05−08−07 8月15日:その1 |
カミさんが一時帰国、自炊生活を4週間やらなくてはならなくなりました。 |
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戦没画学生 |
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広島原爆記念式典 |
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画一性と議論の余地 これもある特集番組での内容です。実はこの内容は数ヶ月前の新聞記事にも出ていたので、それと併せて思い出しました。 内容はある有名私立高校の入学試験問題の英語の長文問題として、太平洋戦争末期の沖縄戦に動員された元ひめゆり学徒による戦争体験の証言が、「退屈で飽きてしまった。」とする文章を出題していたという事です。 この出題はその学校のある先生が、自分の体験に基づいて作ったらしいのですが、元学徒の話し方が、話し慣れし過ぎている、あまりにも職業的であった、その話し方が好きになれなかった、という事でした。 そしてこの問題の中身が不適切という事でやり玉に上がって新聞に載り、その番組では、「苦労をした人の気持ちを理解する事がなくなってきました、、、。」、という例で、ちらとそのキャスターが言及していました。 元ひめゆりの学徒の話は心熱く、そして敬虔に聞かなくてはならない、話し方が少々退屈であっても、その話の奥にある心を汲み取らなくてはならない、そういう事だと思います。 この例は、敢えて誤解を恐れずに言えば、日本社会にある、価値観、考察、考え方の画一性の押しつけの例の一つであると思いました。趣旨は理解したとしても、「退屈であった」、と思ってはイケナイのです。言ってはイケナイのです。 物事に対して、まず、誰かがこうでなくてはならないと決めつける、そしてそれに少しでも批判的な事、ネガティブな事は排除する、公の前でつるし上げをする。 要するに、こうでなければならない、と決めた事に対して議論をしてはいけないのです。議論をすると、その人・組織は抹殺されます。議論、質問はそもそも反逆行為なのです。 あれ?これって60年前と同じじゃない?これが一番反省しなきゃならない事じゃなかったっけ? |
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最近時々メール等で、「オハイオ日記」、についてある批評をもらいます。何か内容が固い、もっと面白い日常生活の話を載せて欲しい、という内容です。 でも勘弁して下さい。難しい事考えないで頭の中にある事をパーッとキーボード叩いて吐き出し、ページ作るのが主義なので。 ![]() それと花壇を作ったのと同時に植えたピーマン、また大きな実がぶら下がっていました。どうやって食べるか、考え中です。 日本の友人に話したところ、火で炙って焼いて、それに砂糖醤油をつけて食べると美味しい。 つまり結構イケル、液体燃料摂取の補助食品になると言われました。 但し、消化が悪いので、食べ過ぎてはいけない、とも言われました。 こちらの家の台所は、そこで油物の料理をしたり、焼き物をしたりする構造になっていません。換気扇がないのです。 魚なんか、台所で焼いたらそれこそ大変な事になります。天ぷらでも大変な事になります。 じゃ、どうするのかって?わたしの家ではガレージでやる事にしています。 やっぱり、ガレージで焼くかナー、、、、。 とにかく、このでっかいピーマンで今夜は一杯です。 私の今の悩みは、このピーマンをどう料理するかであります。自分で解決できる事だけ、悩む。自分で解決できない事は、悩んではダメです。 メグ、サチわかった?これって大事な事ですよ。 |
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