私が初めて今のオハイオの会社に出張で来たのは1987年、今から18年前です。
果てしなく広がるとうもろこし畑の中に建てられた巨大な工場に目を見張ったものです。従業員は既に6000人を超えていたと思います。
コロンバスの朝夕の車のラッシュも今とは比較になりませんでした。まだ全体がかなりのんびりとした雰囲気でした。
会社は急速に成長していましたが、技術部門の従業員でも中心はまだ地元のアメリカ人が中心でした。
そんな中で私が訪れたある部門に通称、「スペやん」、本名ティム・スペンサーという地元出身の社員がおりました。まだ入社したばかりで、ある日本人駐在社員がスペやんを何とか一人前にしようと、図面の読み方とか、テスト機器の使い方とかを教えていたと記憶しています。
そして、この日本人駐在員、スペやんが何か失敗をすると、「おいおい、何をやっとるんじゃい!違う、違う!」、と丸めた書類で、頭をポンポン叩いていました。今これをやったら大変な事になると思いますが(当時でも大変な事なのですが)、スペやんはニヤニヤしながらその日本人駐在員の言う事を聞いていました。
その9年後、私はオハイオに駐在社員として赴任をしました。何と私の部下の中のにこのスペやんがおりました。
スペやんはやはり技術者としての仕事は無理でしたが、100人の所帯だといろいろな仕事があり、スペやんはある特定の領域の仕事のエキスパートとして今もそのポジションで毎日を過ごしています。
何故か私はスペヤンを見ていると、心が和みます。昨日そのスペやんを含む5名ほどと会議を行いました。スペやんが入った会議なんて、2−3年ぶりです。私はスペやんが大好きです。今日はそのスペやんの事を書いてみます。
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