04−11−21 父の一周忌
11月22日は父の一周忌。何としても日本に行って、供養をしなくてはなりません。
10月の日本出張から帰ってきてまだ3週間も経っていませんでしたが、今度はプライベートでの日本行きです。

ところが、出発の少し前に、どうしても会社に顔を出さなくてはならない用事ができてしまい、結局は仕事半分の日本行きになってしまいました。
一周忌という事で、カミさんも日本に行かなくてはなりません。カミさんは1週間ほど先に日本に行き、娘のところとか、母親のところに行く事にしました。

つまり1週間程自炊生活。台所であれこれするのは得意ではないので、なるべく調理の必要のないものを日本食材のスーパーに買い出しに行きます。今は電子レンジがあれば、スイッチを捻るだけで出来上がるインスタント食品が何でもありますので、これを買い込みます。

そんな食べ物ばかりを入れた買い物カゴと、一升瓶の日本酒を抱いてレジに持っていくと、
「アナタ、何モデキナイ。飲ムダケ、デキル。」
と顔馴染みの韓国人のレジのオバサンに、片言の日本語で言われてしまいました。

何も、そこまで言わなくてもいいんじゃない?!この一言、グサッと心に突き刺さっております。
19日(木)のフライトで、いつものコースですが、今回は成田から更に名古屋までのフライトがあります。
成田に着いたのは、金曜日の午後3時半、名古屋までの乗り継ぎに更に2時間以上待たなくてはなりません。ラウンジに行ったら、ラウンジは人で一杯。

やっと席を見つけて、飲み物を持ってきて休んでいたら、ドヤドヤと30代後半くらいの3人の男女が私の前と横のソファーに腰をかけて大声で話し出しました。
「うるせーなーこいつら、、、オレは家を出てから18時間以上経っているのだから静かにしたいのに、、。」

この3人の話を聞くとはなしに聞いていると、今からバンコックに行って1泊、明日ヒマラヤ方面に行くらしい。
待てよ、前にいるヤツ、どこかで見た事がある。
名前は思い出せませんが、週刊誌で見た何とかいう登山家だったと思います。

夜の7時前のフライトで成田から名古屋まで1時間、名古屋空港から名古屋駅までバスで40分、ここから更に近鉄特急で鈴鹿まで45分、そしてタクシーで母親の家まで15分。

結局オハイオの家を出てから7回の乗り換え(車、飛行機3便、バス、電車、タクシー)をして、ドアーツードアーで24時間で到着です。披露困憊とは、この事です。

家では母親と、嫁ぎ先から帰っていた妹が待っていてくれました。
そう言えば、1年前も父の危篤の知らせを受けてこのルートで日本に行ったなー。あの時は臨終には間に合わなかったけど、父の死に化粧姿には会えました。

あれから1年です。
翌日の土曜日は親戚の家を回ったり、いろいろな用事を済ませ1日が終わりました。
父が亡くなった事に関して、やらなくてはならない事が山のように残っており、遠く離れて生活している私は、これらの殆どを妹にやってもらっております。

夜はアメリカ、東京、三重と3カ所でバラバラに生活している私の家族4人が久し振りに集まったので、食事をしようと駅前の割烹料理屋へ。

ところがこの料理屋、信じられないようなヒドイ料理を出してきたので、私はキレてしまい20分で注文をキャンセル、女将さんに勘定を要求して店を出ました。

1年に1回あるかないかの、家族4人の食事をこんな料理でメチャクチャにされ、私は正直言って本当に情けなくなっしまいました。

21日の今日、朝の10時から御坊さんに家に来てもらい、直系の親族が集まり一周忌を営みました。
そのあと、父の墓まで行って更に御坊さんにお経を上げて頂きました。

墓はこの7月に近所の墓地に移してあったので、母の家から歩いて行くことができるようになりました。

私は強烈な時差ボケで、朝の3時半には目が覚めてしまうので、昨日も今日も明るくなってから直ぐに墓に行って、周りの草取りとかをしてみんなが来ても恥ずかしくないようにしておきました。

先祖代々の墓そのものは父が10年ほど前に作り直してあるので新しく、横には父を含む私の先祖の名前と亡くなった日が刻まれてあります。

父の父は37才、そして父の母は34才で死亡とあり、父が両親のない中で、育ってきた事に対して、私は墓の前で一人でぽつんと立っていろいろと思いを巡らせておりました。

10時から始めた法要は12時半頃には全て終わり、御坊さんは帰って行きました。

法要の後は一同で食事をするのが習わしであり、仕出しを取って家で頂くか、どこかの料理屋へ行くわけですが、今回は料理屋に行くことになっていました。

ここでの料理は、いわゆる和食のフルコースで量も味も私は満足。
昨夜の件があったので、余計に感じたのかも知れません。

やはり普段とは違い、みんなで食べるからでしょうか、小食の母が出された料理を全部平らげたのにはびっくりしてしまいました。(私でさえ、かなり満腹になる量でした。)
みんなで集まって、静かに頂いた食事、父もきっと喜んでくれたと思います。

私とカミさんはアメリカに住んでいます。上の娘は東京に住んでいます。みんなそれぞれ遠くに住んでいます。でもみんな忘れずに集まります。
父がバラバラに住んでいる家族、その他親戚みんなをこうやって一カ所に集めてくれるのです。私はそう思っています。
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