04−05−28 雑誌2冊読みました |
今日は夜の7時半からUさんの送別会。Uさんは私の大先輩で、今年57才。オハイオからアラバマへ転勤することになり、来週の金曜日にはオハイオを出ていくのです。 正式な送別会は別途あるのですが、今夜は有志だけが集まっての催しで、私が言い出しっぺです。 そんな訳で今日は5時ちょっと過ぎに退社して一旦家に帰る事にしました。会社から家までは約50km、金曜の夕方は道路が一番混む日なので、家に着くまでに40分以上かかる時があります。特に家に一番近いところでのフリーウエーからの出口が渋滞する事が多いのです。 そして家からみんなが集まる日本レストランまでは10分程度。 今日は余裕のある帰宅です。 |
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CDを聞きながらUS33という道路を100kmちょっとくらいのスピードで運転、I−270というフリーウエーの手前になるとさすが混雑しています。US33からI−270への乗り換え、I−270を見るといつもと様子が全然違います。片側4車線、びっしり車が並んで、しかも殆ど動いていません。![]() 「???」、と思いながらインターチェンジからI−270へ入ろうとしますが、車がびっしりで、割り込む余地もありません。やっと割り込んだものの、車は殆ど動いていません。 「しまったー。こりゃ事故だな。」と思ったときは既に時期遅し、何千台だかの車の中に閉じこめられてしまったのです。 前も後ろも4車線の道路が延々と何キロなのかわかりませんが、大渋滞。1分で10mも進めばいいほうです。 「ま、いいかまだ5時半だし、時間はたっぷりあるし、、、、、。」 最初の30分くらいは余裕を持って蟻のごとくしか動かない中で気楽に考えていました。 非常にゆるやかな下り坂で少しカーブしているので1kmくらい先の車が見えますが、全く動く気配がありません。CD聞くのも飽きたので、FMに切り替えてみました。何か道路情報を流していないかと思ったのです。 いくつかの放送局を聞いてみるのですが、道路情報を流している放送局はありません。 「参ったなー。」、そのうちに何人かの若い女性が車から降りて、道路から20−30mくらい離れた木陰の中に走っていきます。ん? そうjか、おしっこか。1−2分でまた戻ってきますが、車は全然動いておりません。 結局この渋滞から脱出できるまでに私の見える範囲だけでも10人以上が木陰の中に消えていきました。 さてオレは?大丈夫、会社を出るとき済ませていましたので。 |
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6時15分になっても500mも進んでいません。渋滞は何キロなのか何十キロなのか、何千台なのか何万台の車が道路上で立ち往生しているのか検討もつきません。車の中で何もする事がない私。 そうだ、今日は新しい雑誌と週刊誌が会社に届いていたので、これを持って家に帰るところだったのを思い出しました。 私は雑誌2冊と週刊誌1冊を定期購読しており、日本から郵送で送ってもらっているのです。 ハンドルの上に週刊誌を置いて、パラパラとページをめくりながら読み出した私。 前の車が少し動くと、私も少し動き、目は週刊誌に釘付け。これも1時間程で飽きたので、もう一冊の雑誌の方に移ります。車は殆ど動かず、結局動き出したのが8時ちょっと前。 この時間を利用して私は雑誌と週刊誌2冊の主要な部分は全部目を通してしまいました。 携帯電話を持たない私は誰にも連絡もできず、そのまま家に帰らず送別会が行われている日本レストランへ直行。 遅れて参加した私は、さっそく駆け付け3杯のビールを流し込み、Uさんにお詫びをしました。 私だけが遅れてみんなはどうして遅れなかったのかって? 他のメンバーは会社を出たのが6時−6時半、つまりその頃にはもうUS−33からI−270へのインターチェンジは封鎖されており、入る事ができなかったから、渋滞に巻き込まれなかったのです。 そうかー、早く退社した私が一番遅れ、普通の時間に退社したみんなは間に合った、こういう事か。 ちなみに渋滞の原因はやはり事故で、2名が死亡だったそうです。 アメリカのフリーウエーの運転は、車間距離5mー10mくらいで100−130kmくらいのスピードで走ります。ですから一旦事故があると、ものすごい事になってしまうのです。 コロンバス周辺も私が初めて日本から出張で来た時の17年前、いえ駐在になった8年前と比べても格段に交通量は増え、荒っぽい運転の車も目立ちます。危ない、危ない。交通事故だけは起こしたくないし、巻き込まれたくありません。 |
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