03−10−15 腰痛です
ここのところ出張とか、深夜までの仕事、それに休日の仕事が続いておりますが、2日程前の朝、ベッドから起きようとしたら腰が痛くて起き上がれません。
「ありゃ?とうとう来たか!」

そうです、私がここ30年間以上ずっと付き合っている腰痛が襲ってきたのです。
私が腰痛になった理由は明らかな原因があるのです。
35年前、高校生の私は柔道をやっていました。(紅顔の美少年の頃です。)剣道は小さいときからやっており、高校生になってナゼか柔道も始めたのです。

柔道を始めての最初の目標は、、、そうです黒帯です。黒帯を締めるには初段を取らなくてはなりません。この昇段試験の時です。場所は三重県警の警察学校。昇段試験の相手は警察学校の生徒(?)が多く、彼等は柔道と剣道の初段を取らないと卒業できないらしく、一生懸命でした。

夏の暑い日でした。昇段試験の相手はやはり警察官の卵。
一人目はちょっと小柄な相手、内股で技あり、その後寝技で首を絞めて、合せ1本。この時びっくりしたのは首を絞めて(頸動脈を締める)もこの警察官の卵は完全に失神(落ちる、といいます。)するまで、参ったの合図をしなかった事でした。(普通は完全に失神する前に合図をします。)

二人目、また警察官の卵。
ものすごい力で上襟をつかみ、足技を連発してきました。私が勝てる相手ではありませんでした。そう思ったとき、私は肩車という大技を掛けて起死回生、脳天逆さ落としを狙ったのですが、これが運の尽き!

その警察官の卵、低い姿勢の私の背中に半分乗ったところで、上から思い切り体重をかけ、私を潰したのです。中腰で70Kg以上の体重で潰された私は、腰に激痛が走り、全く変な格好でグシャとなって、そのまま寝技で一巻の終わり。
試合が終わった私は腰の激痛のために畳の上に転がって呻くだけ。

今でも覚えています。
その警察官の卵、獰猛そうな顔で上から私を見下ろして、ニヤッと笑っていましたっけ。
これ以来、数年ごとに何かの拍子に襲ってくる腰痛、オハイオに来てからは幸いな事に2回目です。
日本にいたときに何度か医者に通いましたが、医者の答えは、
「これは直らない。体重減らせ。」、でした。

今日の朝もベッドから起きあがる事ができません。少しずつ立ち上がり、壁に沿ってそろそろ歩きます。会社には電話を掛けて、「腰痛で立てないし歩けない。ちょっと遅れて出勤する。」
電話を取ったWさん、「大丈夫ですか?」

会社に行くと、Kさんとか他の日本人の駐在社員が私の腰痛の事を知っており、「大丈夫ですか?」、と声を掛けてくれます。全然大丈夫じゃないのですが、「イヤ、何とか大丈夫。」を繰り返しておりました。通訳のH女史にこの事を話すと、「コルセットをするとイイですよ。」、というアドバイスです。

医者に行くのも面倒だし、コルセットなんかするのもイヤ。でも椅子から立ち上がる時などの激痛は大変なものです。腰は少し熱を持ったような感じで、階段の上り下りもそろそろ。情けない格好です。

この腰痛、長いときは2週間くらい、短いときは1週間くらいで直ってしまいます。周期は3−4年。あと何回襲ってくるのかなー。
腰を痛めた35年前、もう一つの思い出が3段の昇段試験の試合風景。

3段に合格するためには、2段を受けに来ている初段の者を、20分間に20人勝ち抜く必要があるというルールでした。
何人もの3段を受けに来た連中の試合を見ましたが、20人を勝ち抜いたのを見たのは1人だけでした。

20人は半分くらいがやはり警察官だったと思います。その3段の受験者は最初の5−6人は1人20秒くらいで1本で決めて行きましたっけ。鋭い気合いと共に次々と投げ飛ばされて畳の上に転がる、警察官、大学生、高校生。(2段の受験者の中には高校生も何人かおりました。)
さすがのその人も段々体力を消耗して、最後の5人くらいはもう死に物狂いでした。
20人目を倒した時、その受験者はもう立っているのもやっと、という状態でした。バケツで水をかぶったような汗でした。見ていて恐ろしいくらいの迫力でした。

帰りにその人を見ると、陸上自衛隊の制服を着ており、胸に空挺かレンジャーか何かのバッジを付けておりました。
これじゃ普通の連中はかなわないなー。だって、陸上自衛隊のレンジャーって人間じゃないって聞いておりましたので。
当時25才くらいの人だったと思います。

腰痛が起きる度に、私を潰したあの獰猛そうな警察官の顔、それに20分で20人を吹っ飛ばした3段の昇段試験の迫力を思い出します。

今回はオハイオとはあまり関係のない話題でした。
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