03−07−25 やっとビザが出ました
24日の昨日、木曜日なのですが会社は休み。ホテル住まいもとうとう1ヶ月を越してしまいました。
ホテルを出て、朝食兼昼食兼を済ませて、会社のビザの係の担当者に電話をします。
「やっと発行されました。よかったですね。」

ビザの発給が遅れているので、この担当者は休みにも係わらず出勤していたのです。
ビザの申請は彼がアメリカ大使館を毎日往復して申請書類とパスポートを提出、そして発行されたらビザスタンプ付きのパスポート受け取ってくるのです。

帰りのフライトは丁度明日金曜日が予約してあり、これもラッキー。
もしこれが明日の金曜日に出たとしたら、翌日の土曜日から水曜日まで、今度はフライトが満席。オハイオに戻るのが更に1週間遅れるところでした。

早速池袋から永田町、青山1丁目まで地下鉄に乗り、本社横の彼のいるビルに行って、受け取りました。
「あとのNさんとAさんも同時に出ました。皆さん丁度1ヶ月の滞在になってしまいましたね。」

私とNさんはE−2ビザの新規取得、AさんはE−2ビザの更新でした。Eー2ビザというのは5年ごとに何度でも更新ができるビザです。

ホテルに戻り、荷物の整理をして、明日の朝7時の成田までのリムジンバスの予約をします。夕方には帰る準備は全てOK。その後約束があった、Yさんと会って食事。9時半には部屋に戻りました。

長かったナー。でもいざ帰るとなると、いろんな事があったせいか、名残惜しい。
空港に着いて、チェックインを済ませてラウンジへ。
あれ、同じ会社のNさんの後ろ姿。Nさんも私と全く同じ日にビザを申請、昨日発行されて同じフライトで帰るのです。
昨夜は同じホテルに泊まっていたとのこと。

成田からシカゴへのフライトは2階席で満席です。隣の席は中国人の女性で一安心。変なのが隣にいるとイヤですからね、11時間も。
あれ、前の方の席にはまた同じ会社のTさん。Tさんもビザの申請で私と全く同じ滞在だったようです。
ビザの申請で同じオハイオの駐在社員が3名。しかも全員2階席に。
私は8年目、Nさんは6年目、Tさんは4年目、それぞれ年は違いますが、同じような時期に日本から赴任をしているのでした。
シカゴの3番ターミナルです。
シカゴ到着は同じ25日の朝8時半。気温は24℃、晴れ。シカゴの通関は時として結構時間がかかるため、到着と同時に早めに機内から出ます。
案の定外国人用の通関窓口は2つしか空いておりません。

これで300人近くの通関検査をやるの?こりゃ1時間でも済まないのじゃないかナー。
私は急いだせいもあって5人目くらいに並ぶことができました。

全ての手続きを終えて、外に出て一服。Nさんも出てきました。すると外にこれまた同じ会社のSさんが立っています。

このフライトで日本から来た奥さんと子どもをコロンバスから車で迎えに来たと言っておりました。この日はシカゴに泊まって明日、コロンバスに帰るそうです。

Nさんと一緒に国内製のターミナルまで。Nさんのシカゴからコロンバスまでのチケットの右下には、私のチケットにはない、SSSSという文字が書かれています。これは機内持ち込み荷物を開けて検査をする意味です。

Nさんはターミナルゲートで、2人の検査員に荷物を全部出されて、しっかり検査されておりました。
5週間ぶりのコロンバス、やっと帰ってきました。迎えに来ていたカミさんを見つけ、荷物を車に乗せ、家に向かいます。
久しぶりに車の運転をすると、何か違う感覚。

そうか、日本の混雑した道路ばかりを見たり、信号でゴー・ストップばかりを繰り返しているタクシーに乗ってばかりいたので、やけにアメリカのフリーウエーが新鮮に感じます。

空港から家までは30km以上ありますが、その間信号は5つだけ。そのうち3つは家の2km以内です。

5週間の日本滞在で完璧に狂っている体内時計を元に戻すには1週間はかかるなー。
仕事も山のように溜っているし。
日本でお世話になった人たちにお礼のメールも出さなくては、、、。
是非電話を掛けておきたい人もいるし、、、。

そう言えば、昨日荷物の整理をしてびっくりした事があったっけ。
日本で買った本が27冊あったのです。私は速読のせいもあって、そのうちの22−3冊くらいは読んでいるのです。そうか、日本では電車通勤だったのでこれを利用したり、後半は時間的な余裕もあったし、、、。

でもオハイオに戻ってきたら本をじっくり読む余裕がなくなるのです。ナゼかわかりません。
さあ、今日から再びオハイオ生活の始まりです。
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