03−06−24 ビサの申請
私は日本の会社のアメリカ法人の日本人駐在社員です。アメリカで仕事をしている日本人、つまりアメリカで仕事をしている「外国人」です。
ですから合法的に滞在し、合法的に働くにはアメリカ政府の許可が必要な人間なのです。これの許可証がビザです。

ビザにはいろいろな種類があり、私が持っているビザはいわゆる駐在員ビザと呼ばれる、「Lビザ」という種類のものでした。
これの期限は更新をして最大で7年、間もなくこの期限を迎えます。

そこで新しいビザの申請を今年の3月に行いました。新しいビザは「E−2ビザ」という種類で、これは5年ごと何回でも更新ができるビザです。

新しいビザの取得方法は、アメリカで申請する方法と日本に行って申請する2つの方法がありますが、許可までの期間、その他の理由で私は日本に行って取得する方法を選びました。

日本で行う、つまり日本のアメリカ大使館に申請する場合は3週間程度で発行されると聞いていたので、会社の1週間の夏休みを挟んで3週間の日本への出張を計画し、6月22日にコロンバスを離れました。

夏休みを挟んだのは、なるべく仕事への影響を少なくするためです。
コロンバスからシカゴ、シカゴから成田、いつものコースです。

コロンバスでは高校生の集団がいて、荷物検査はごった返しております。今年から機内持ち込みの手荷物だけではなく、貨物室へ預ける荷物も全てX線検査が行われるようになっております。

私は今回も友人に渡すオーディオ用の真空管測定器を持っており、案の上、X線検査で引っかかり、特大のスーツケースを開けられてしまいました。
検査員のオバサン、
「何、これ?えー?真空管の測定器?あなたこれどこで買ったの?どこかのアンティークショップ?」
とか何とか言って、にっこり。
シカゴの国際線ターミナルでチェックインカウンター
そして今度はメイプルシロップの瓶を見て、
「日本ってメイプルシロップ高いんでしょ?聞いたわ。これ誰のお土産にするの?」
とか、主婦丸出しの検査員のオバサンの会話の相手をして無事パス。

今回はゲートの機内持ち込み検査のところのX線検査でも引っかかってしまいました。
ラップトップPCをカバンから出していなかったからです。

「PCはちゃんとカバンから出しておく規則ですよ。」
(わかっとる!ちょっと忘れただけ!)、と心の中で口答えして、これも難なく通過。
こちらはムサ苦しいアンチャンでした。

シカゴでの乗り換えもスムーズ。約12時間のフライトで無事成田に到着しました。
成田空港で通関を済ませバスの時間まで一服。やはり湿度が高い感じです。

おっ、人が走ってる!
空港の職員とか、バスの係の人とかがセカセカと小走りしています。
そうです。人が走る、これはオハイオでは滅多に見られない光景なのです。多分オハイオで走っている人がいるとしたら、泥棒とこれを追いかけるお巡りさん、それと小学生がふざけて遊んでいる時くらいだと思います。

人が走っている、私はこれを見ると、「日本に帰ってきたなー」、と実感するのであります。

成田空港から池袋の定宿のホテルまで1時間30分。今日から3週間、ひょっとしたらそれ以上、お世話になるホテルです。
いつも泊まるホテルですが、今回はちょっと気分が違います。

それは仕事上で緊急の用件がない、日本滞在になるからです。
普段の日本出張は、大抵憂鬱な用件を持って来るので、ホテルに着いても解放的な気分になれないのですが、今回は別。

日もとっぷりと暮れ、ネオンが輝きだしております。このネオンを見ると、「日本に帰ってきたなー」、と益々実感するのであります。

さーて、食事でもするか。私はネオンの海に消えて行くのであります。
日本到着翌日の今日、早速会社に行ってビザ申請の係の社員と面会。

「今の時期、ちょっと時間がかかりそうですよ。学生ビザの申請が大量に出ているし、6月の末には領事の交代とかもあるし、かなりビザ発給が滞っている状態です。」

「大使館というのは本国の休みと、その国の休みの両方を休みますからね。という事は7月4日はアメリカ大使館は休み。つまり連休を取る大使館員も多いようです。ですからそれだけ処理も遅れるという訳です。」

「とにかく早期発行依頼のレターを添付して申請をしますが、どこまで効くかわかりません。長期戦の覚悟が必要かも知れません。」

担当者の話では3週間で発行されればラッキーとの見解。仕方ない、これだけは私の努力で何とかなるというものではない。
8年目に入ったオハイオ駐在生活。完璧にローカルな思考に陥っている私。
今日からビザ発行までの期間、リフレッシュの絶好のチャンスと考えれば悪くはないかも。さあ、長い日本滞在の始まりです。
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