02−11−09 急な日本行き−2
父親の手術の件で日本に行ったものの、やはり高齢である事、それに日本ではじめての試みであるという事、薬による治療を継続している事等の理由から、あと数ヶ月程度様子を見る、という事になりました。

私は、手術はそれ程のリスクはないと感じてはいたし、友人のドクターも高齢とはいうものの、まだ大丈夫ではないかという意見も言ってくれておりましたが、難しい選択であるのは事実です。

時差ぼけの中、朝早く目が覚めた私はダイニングキッチンで新聞を見ながらコーヒーを飲み、父親の書斎兼居間に入ってみました。書棚の隣に掛けてある絵が何となく、前と違っております。

この絵は小さな子どもが画いた、運動会の様子の絵で、ちょっと部屋の雰囲気にそぐわないかな?こんな絵どこから持ってきたのだろうと思いつつ、その後食事。

食事のあと母親が、飾ってある絵の事を言い出しました。
「これ覚えてる?」
私はあまり気に止めていなかったので、「さあ?」という返事。

母親曰く、何とこの絵は私が画いた絵だったのです。「そうか、これオレの絵か。」
家の中に飾ってある絵の中に、私が大分大きくなってから画いた絵が1枚あり、これはよく覚えているのですが、こんなのは全く覚えておりません。

絵を外して裏を見ると小学校3年生とあります。

子どもの頃育った自分の家が急になつかしくなってしまい、思わず妹に津に行ってみようと言ってしまいました。
津には私が育った家が空家でまだ残っているのです。
妹は主人と娘2人がおりますが、私が両親のところに行くときはいつも岐阜からわざわざ来てくれるのです。日本に来ると私には運転をさせてくれません。アメリカの田舎道の、しかも右側通行に慣れた私は危ないと言うのです。

本当に何年ぶりでしょうか?アメリカに来て7年目。多分その何年か前に来たきりです。父母が時々来て手入れをしていたようですが、父の病気以来頻繁に来ることもできず、家の外はかなり痛んでおりました。

庭も人が入れないほどの草が覆い茂っていたそうですが、先日妹と母親が整理をしたと言っておりました。こんなに広い庭を2人で!

家の中に入って私が使っていた部屋とかを見て、庭の奥の方もぐるっと廻ってみました。
空家になって何年になるのか、同居していなくては手入れの手伝いもできない、ましてアメリカにいては何もできない、複雑な気持ちになってしまいました。

庭の一番奥にある物置に入ってみると高校生の頃使っていた自転車がありました。全てが埃だらけで時の流れを感じます。庭の奥まで建物から20mくらいあるのですが、そこに行くのもやっと通れるほどの草と木。もうこの家には私も、そして誰も住まないのだろうな、と思うとナゼか悲しくなってしまいました。

家の裏通りとかの雰囲気は昔のままで、殆ど変わっておりません。
裏道はこんなに狭かったのかなー。もっと広々としていたような気がするのですが、やはりこんな道だったのです。
「せっかく来たのだから、ぐるっと廻ってみよう。」
私は子どもの頃遊んだ神社の森を見たくなったのです。この神社は200mX300m以上はある大きな神社で、最近は「枝垂れ梅」で有名になって観光バスまでが来る名所になっているのです。

神社の中は昔のとおり、きれいなままであまり変わっておらず、ほっとしました。何人かの人に出会い、その中の何人かは顔を覚えている人でしたが、向こうは私と妹には全く気が付かない様子でした。

父の病気、手術の件でドクターに会いにアメリカから来た私。
短い時間でしたが、これを利用して自分の育った古い家、そして遊んだ神社の近辺を見て感傷にふけってしまいました。
夕方からは下の娘を連れて食事の予定。
娘のアパートに行って、部屋の抜き打ち検査。外観は5階建てのエレベーターまでついているアパートですが、部屋の中に入った途端、ウーン、私は声も出ませんでした。

私はこの市で育っているのですが、どこの店がおいしいとかの情報は殆ど持っておりません。
そこで、娘に携帯で友達に連絡をとり、いい寿司屋を教えてもらうように頼みました。
「お父さんと来てるの。どこかイイお寿司屋さんない?」
相手はMちゃんという大学の同級生のよう。実はMちゃんのお父さんは、私の高校の時の同級生でもあるのです。

ありゃ、ちょっとまずかったかな?「お父さんと来てる。」、「寿司屋。」、この2つのキーワード。
こりゃ高そうな店に連れて行かされそう。

まあイイか。でも待てよ、財布の中が、、、、。と考えているうちに、Gという寿司屋に到着。まあまあの店です。店に入って、
「何を食べても可。」
というサインを出すといきなり、「サザエのつぼ焼き」、ときた。

後はもう餓鬼のごとく食べまくっておりましたっけ。
それに良く飲む。
1時間半くらいねばって、その後、免疫をつけさせるために寿司屋の裏のスナックへ。客は最初は娘と私の2人だけ。帰り際に3人ほど入ってきましたが。

結局娘はタクシーでアパートまで。しっかり勉強しなさいよ。この冬休みは、上の娘も、下の娘もアメリカには来れないと言っております。
日本について2日目。明後日はアメリカに帰らなくてはなりません。一瞬の親子の会話でした。
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