02−11−08 急な日本行き−1
私くらいの年齢になると親、親戚の中でいろいろな出来事があり、急に日本に帰る必要がある場合が出ます。
私は幸いにもこのような機会が最近までなかったのですが、今年になって2回目の用事ができてしまいました。父親がある手術を勧められている事がわかり、どうしても担当のドクターに合って話をする必要があったのです。

ドクターとのアポイントは8日の金曜日。そこで6日の水曜日にコロンバスを出て、7日に日本着、翌日に病院に行くというスケジュールを立てました。飛行機のチケットというのは新幹線のチケットのように、ポーンと直ぐに買える訳ではありません。
もちろん空席があり、お金に糸目をつけなければ何とでもなるのですが、個人での日本行きというのは、そうも行かないのです。(そうも行く人もいるでしょうが。)
早朝のコロンバス空港
緊急でチケットを買ったのですが、幸いにマズマズの値段で手に入り、おまけにシカゴから日本までのビジネスクラスへのアップグレードも何とかOK。
日本滞在は3日間としたので、簡単な手荷物だけで出発。

6日の朝コロンバス空港に行くと、Nさんと、Yさんに合いました。2人とも9月からこの日まで、日本から私のところに出張で来ていた方で、日本に帰る日だったのです。

Nさんはコロンバスからシカゴ、シカゴから成田まで私と同じフライト。Yさんはコロンバスからデトロイト、デトロイトから名古屋というフライト。

私はチェックインを済ませて、Yさんと見送りに来ていたカミさんと3人でNさんのチェックインの様子を後ろの方から注目。

さあ、あのでっかいスーツケースともう一つ大きなカバンが検査に引っかかるかどうか?じっと見守ります。
やっぱり引っかかりました。スーツケースを開けられて、一つづつ検査です。10分近くやっておりました。Nさんは引っ張り出された荷物を、もう一度詰め直すのに一苦労です。
Yさんは、
「だから言っただろう。そんな格好じゃなくて、ちゃんとネクタイして来いって。」

空港の検査は、先ず風体で判断して決めることが多いので、きちんとした身なりをするのが大事だとYさんは言い、自分は検査はなしで、チェックインを終える事ができたと言っておりました。Yさんは飛行機に乗るにしては、けっこうきちんとした格好をしておりました。
私も以前にこれに気が付いていたので、荷物を持って飛行機に乗るときは、スーツを着てネクタイを締めることにしております。一番古くてかつ地味なスーツが、私の今の「飛行服」です。

Nさんはゲート入り口のX線検査のところでも、今度は機内持込のカバンの検査と、靴まで脱がされる検査を受け、更に搭乗前にも別室で検査を受けるという、不幸な星の巡り合わせに合っておりました。
やっと近鉄のホームにたどり着きました
コロンバスからシカゴ、シカゴから成田とフライトは順調で、成田でNさんと別れ、私は更に別のフライトで名古屋まで。
実は名古屋空港に着くと言うのは私は始めての経験で、小さな空港ではありますがちょと迷ってしまいました。
案内所でバスはどこから乗るのですか?と聞いてもヒジョーに不親切な案内。まるで、「何でそんな事聞くの?」、という感じの対応でした。

バスで名古屋駅に到着。さて近鉄に乗るにはどこかいな? 「名鉄」と「JR」の行き先はやたらと出てくるのですが、なかなか「近鉄」の看板を見つける事ができません。

名古屋駅周辺は良く知っているつもりでしたが、結局うんと遠回りをして、高島屋のエレベーターのところに出てしまい、やっと近鉄のホームに。

家を出てから20時間以上経っており、機内でもあまり眠れなかったせいもあり、完全に体内羅針盤が狂っていたようでした。
しかし、名古屋駅って何で「名鉄」と「JR」の案内掲示板ばっかりなのだろう?
翌日は病院で担当のドクターの話を聞きました。
話を聞いたのはドクターの診察室。患者である父親と、そして母親、私の妹、私の下の娘、それに私の5人が入ると一杯の狭い部屋で、私は立って話を聞くという有様。オハイオでドクターと面会した経験が3回ほどあるのですが、いずれも立派な広い個室でした。
イケナイ、イケナイ、ここは日本。アメリカと比較をしても何の意味もないのだと自分に言い聞かせておりました。
両親の家の2階から、遠くに伊勢湾が見えます
ドクターはなぜ手術を勧めるのか、詳しく説明をしてくれました。提案している方法は日本では初めてのケースという事もあり、結局は手術を受けるかどうか結論はその場では出せませんでした。

ドクターの説明はわかりにくいい部分が少しあったものの、大体理解はできました。事前に日本の友人のドクターにいろいろと話を聞いてあったので、それが随分と役に立ちました。

その夜は5人で両親の家で食事をしてその後、娘を妹と私が車でアパートまで送って1日は終わりました。
娘のアパートは病院の横、つまり大学の横にあり、学校までは便利なところです。今日は部屋のチェックはできませんでしたので、明日は抜き打ち検査だ。

たった1時間のドクターの話を聞くために、オハイオから片道24時間。父も母もこれを気にしておりましたが、私はどうって事ありません。
仕事は山ほど溜まっていますが、遅れた分は多分アメリカ人が助けてくれるでしょう。仕事の代わりはいても、息子の代わりは私以外誰もいないのですから。

「ちょっと父親の病気の件で日本に行ってくる。」
出発の2日前に主要なアメリカ人にメールを出したら彼らの殆どと、さらにメールを出していないアメリカ人までが私の席まで来て、「Dadはどれくらい悪いのか?でもきっと大丈夫だと思うよ。」
と声をかけてくれました。

家族のためなら何でもする、仕事なんか関係ない。普段はなかなか直接は見えてこない、オハイオ人のこの考え方をちょっぴり肌で感じました。
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