02−09−11 空港はいつもと変わりませんでした
今日は8月28日からオハイオに来ていた下の娘が日本に帰る日です。
そうです、1年前の今日はあのテロに乗っ取られた飛行機がNYのWTCと、DCの国防総省に突っ込んで3000人以上の人が亡くなった日なのです。

9月11日に飛行機に乗るのは何となく避けたかったのですが、予約の都合でこの日しか切符が取れず、仕方なくこの日になってしまったのです。
ここ1月間程のアメリカのニュースは911関連のことばかり。数日前から主要都市上空では、空軍の戦闘機が警戒飛行を開始しており、もし飛行機が乗っ取られた場合はその飛行機を撃墜する命令を受けていると報道しておりました。

フライトは0900出発、余裕を見て2時間30分前に空港に行く事にしました。
6時30分に空港に着いた私たちは、車から大きなダンボールの箱を2つカートに積んで、チェックインカウンターへ。
ダンボールの箱はスーツケースなどに比べて中味の検査の対象になり易く、覚悟しておりました。

カウンターの職員も2つのダンボールの箱を見て一瞬ジロリ。
「中には何が入っているのですか?」
「えーっと、服とか、靴とか、お菓子とか、お土産とか、、、、、」
娘が答えると、職員のオバサンはにっこり。
「OK!」
と言って、そのままチェックイン。ラッキー!!!

このオバサン、ダンボールの箱2つを検査デスクに持っていくのが面倒だったのでOKをしたのだと思います。
後姿の東洋人が娘です
検査をするのはチェックインカウンターから少し離れたところにある、検査のデスクまで荷物を持っていかなくてはならないのですが、これは必ずカウンターの職員が運びます。

娘のダンボール箱は結構重く、しかも紐などで縛ってないので扱いにくいのです。
スカートをはいた、アメリカ人にしては割と小柄なオバサンではこの2つの段ボール箱はやっかいな存在だったのです。

さてと、あっけなくチェックインが終わってしまたので、後はする事がありません。
ゲートに入るレントゲン検査の列もガラガラです。

カミさんと娘と3人で椅子に腰をかけて、周りの様子をぼんやりと眺めておりましたが、普段よりは少し乗客が少ないかな?と思う程度で、特に大きな変化は感じられませんでした。

コーヒーを飲んだりして時間を潰そうとしますが、出発までにまだ1時間30分以上があります。
時間が余ると買い物に走るのが女のクセ。2人は売店で盛んに買い物をしておりました。
1時間前になったので、ゲートに行き機内持込物の検査を受けます。娘とはここでお別れ。
検査は荷物をレントゲンに通す、世界共通のやりかた、但しアメリカはこの後に兵隊とか、警官がたくさんおり、抜き打ちで身体検査をします。

見ていると娘はこの検査に引っかかって棒の探知機で身体をなめ回すように検査されておりました。
おかしかったのは、半袖にもかかわらず、腕の部分を何回も探知機でなめ回していたことです。まるで皮膚の下に爆弾でも持っているのではないかという具合に。

こういうのを真面目な顔でやっているオハイオ人を見るとつい吹き出したくなってしまいます。
娘がいた2週間の間、ずっと仕事が忙しくとうとうどこにも連れて行ってやることができませんでした。帰宅は早いときで11、12時過ぎ、遅いときは2時頃。土日もどちらかは出勤。昨年はワシントンDCまで旅行に出掛けたのですが、今年は一切ムリ。

でも娘は12時頃までは食事をせずに私の帰りを待っていてくれました。
学校の事とか、来年は就職活動をしなくてはならないのでその話とか、まあ短い期間ではありましたが、コミニケーションを少しは取ることができました。

結局娘とは2週間の間に食事に2回行っただけ。
行ったのは家の近くの日本食レストランと、中華レストラン。日本食レストランのマダムは結構怖い人なのですが、娘を連れて行くとがらっと変わって、愛想がよくなります。

「お父さん、あんたが帰ると途端に元気がなくなって、、、、。」、なんて普段では絶対に聞けない、お世辞なんか言ってくれます。
刺身なんかもいいところが、しかも多く出てきます。

中華レストランの方はここも顔馴染で、片言の日本語をしゃべるチューヤンというタレントに似たウエーターがおり、娘も、カミさんも彼が来ると何故か大喜びです。
(ちなみに私はチューヤンなるタレントを知りません)

何はともあれ、あっという間の2週間でしたが、大きなダンボール箱2つを持って9月11日のフライトで娘は帰っていきました。
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