02−03−19 日本帰国雑感
今回の日本出張は急な用件があり、出発の3日前に決定。おまけにその前日はLAで仕事、慌しい出発となりました。近況日の夕方にLAへ、その翌日の土曜日はほぼ徹夜で仕事、日曜日の昼のフライトでLAから成田というスケジュール。

LAに行っていつも感じるのは、「ここはアメリカではない。」という事です。何万人もの日本人が住み、その何倍もの中国人、韓国人ベトナム人等の東洋人、それにどれだけいるのかわからない程のヒスパニックの人達。
いえ、これがアメリカなのかも知れませんが、日本人の医者もおり、日本のレストランも無数にあり、普通の生活をするのに英語は殆ど必要はない、ロスアンゼルス。
人でごった返すLA空港
オハイオはこうはいきません。
少なくとも私の住んでいるコロンバスは完璧な白人社会、東洋人他の人種は全くのマイノリティーで、英語を話せないのは、「知恵遅れ」くらいの感じで見られるのは珍しくありません。

車で30分も走れば「自分の町以外は知らない。」という典型的な白人のアメリカ人たちが住む小さな町が点在し、ここに我々が行くと、時として見世物になるオハイオ。

とにかく徹夜疲れの体に鞭打って、LA空港へ。空港に着いてびっくり。ものすごい行列です。
でも並んでいる人が少し違います。KALのエコノミーに乗る韓国人達の行列でした。私はその奥にあるJALのカウンターへ。

ここは荷物検査も何もありません。コロンバスのような田舎空港ほど検査が信じられないほど厳しくて、このような都会の空港ほどチャランポランの体制。やはりアメリカはどこかおかしい国です。
日本に到着の翌日はまず本社で用件を済ませて、更にその翌日から三重県の鈴鹿へ。実はここへ仕事で行くのは久しぶりなのです。

東京駅の新幹線の切符売り場で、財布から札を出して、つり銭が出ないように小銭をポケットから出して数えていると、うしろから、「おい、早くしてくれよ!」という声がかかりました。別にゆっくりとお金を勘定している訳ではなかったのですが、後ろで待っている人がイライラしていたらしいのです。

私も既にアメリカ生活6年、このような窓口での動作がいつの間にか、かなり緩慢(日本人としては)になっているのです。しようがないので慌てて札で切符代をはらって、つり銭を受け取り、さっと身をかわして窓口から離れました。

オハイオではスーパーのレジとか、郵便局とかで、1セント硬貨を1枚ずつ、それこそ1枚ずつ財布から取り出して、トレイに並べ、指で数えて、あれまだ3セント足りないとか言いながら財布の中を再度引っ掻き回して、あっ、やっぱり足りないとか言って、またその1セントを財布にしまって、お札を出すなんてのは普通で、誰も文句は言いません。

客が何人待っていようがお構いなし。最初は私もこれにはイライラしたのですが、しばらくするとイライラしなくなりました。つまり自分もそれに近いペースになっていたのでした。

そう言えば、自動改札口の前であわててポケットから切符を取り出そうとして、立ち止まってしまい、後ろの人が私にドンとぶつかった事もありました。

そんな事を考えながら、東京から名古屋まで新幹線で1時間30分。10分おきに250km/hで走る新幹線を走らせている日本。何をやるのも日本はペースが驚くほど速く、そして便利。これは本当に実感します。
鈴鹿では仕事の合間に時間を作って、両親の住む家をたずねました。今回は2日半の仕事だったので半日を使う事ができたのです。
今年の日本はオハイオと同じく異常に暖かく、コートは要りませんでした。

久しぶりに鈴鹿に来たのですが、いろいろとあって両親と夕食を共にする事ができず、全て外で済ませたのですが、ここでも、「アレ?」と思うことが一つ。
私は夕食の時は必ず液体燃料を注入するので、大体が居酒屋風の店に入って食事をします。

ところがこれがマズイのです。
ところが料金は東京あたりと比べても全く同じか、少し高め。マズイ店に入ったのだと1日目は諦めて食べ、2日目。これもまた大した事がないのです。

3日目は昔の先輩達と大いにメートルを上げたので、これは別として4日目の土曜の昼食。これもうんとマズイ。

日本へ行くとおいしいものが食べられる、これは日本出張の唯一の楽しみと言ってもいいのですが、今回は何か裏切られた感じ。それに出てくる料理が洗練された感じがない。
いろいろと考えて見ましたが、私が日本に来て何かを食べるというのは殆どが東京。しかも他の人に聞いたり、自分で調べたりしておいしいものを出す店を選んでいたというのが、ここしばらくの「日本の味」だったのです。

行き当たりばったりで店に入るというのは、何かの時を除いてあまりやっていなかった、だからかなり限定した所しか行っていなかったのです。
今回は誰に聞いたでもなく、適当に目についた店に入って食事、イエ、一杯やったので、たまたま平均以下の店に入ってしまった、これしか考えられません。

それに敢えて誤解を招くことを恐れずに言うならば、おいしい料理を出す店とそうでない店の比率が、やはり東京のような都会と、地方ではかなり違うのではないか、そうも考えられます。

アメリカも店によって、或いは地域によって、同じようなものを注文してもうんと味は違います。やはりウマイものを食べるにはそれなりの事前の情報が必要なのはどこでも同じです。
アメリカにいると日本の食い物は全部ウマイ、という幻想というか、憧れを持ってしまうのですが、ちょっぴりと反省をさせられました。
今回は短い日本滞在だったのですが、この6年間一度も会った事がない、会っても一杯やりながらじっくりと話す機会がなかった友人、先輩に4人も会うことができました。

同じ会社にいて4年前に外資系の会社に転職をした先輩のMさん。ユーモア−万点のところは少しも変わっておりませんでした。

中学、高校の同級生のK君。大手ゼネコンの社員になって30年弱。ざっくばらんな性格で、堅苦しいところがない点は30年前と変わっておりませんでした。自分と、家族、そして仕事を冷静に見ており、相変わらずの頭の切れのよさを感じました。

入社当時の上司であったIさん。どれだけの事を教えてもらったか、数え切れません。言葉とは違う謙虚さを感じました。NZに住む計画を実現させるために早期退職に踏み切った、同じく入社当時の上司のFさん。
この2人は実に6年ぶりに顔を見させて頂いた方でした。先輩のMさんはロッククライミングに没頭、昨年はスイスまで行ってきたと言ってみえました。

このような人達と会って話をするのは、視野と考え方が狭くなりがちな自分を見つめ直す絶好の機会なのです。
海外駐在の生活とは、日本人との付き合いはほんの限られた人になってしまい、いろいろな情報からも駐在生活が長くなるにつれて驚く程疎くなってしまいます。

自分にとっての日本は6年前でフリーズ。でもみんなどんどん変わっているのです。改めて実感しました。
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