01−12−15 伊勢神宮
鳥羽に一泊した翌日は伊勢神宮へ。お決まりのパターンですが、鳥羽からそのまま帰るのはもったいないですからね。
保養所を出てタクシーで鳥羽駅まで。と、思ったのでうが、エイ、そのまま伊勢まで。時間ももったいないし。

天気は快晴なのですが気温がかなり低く、おまけに風があるので体感温度はかなり低めです。娘に聞いたところ伊勢神宮は初めてとのことで、連れてきた甲斐がありました。
タクシーを降りて、バス停の土産物屋に荷物を預けていざ出発。
師走の伊勢神宮は思いの他、人出がありました。
忘年会か何かでの泊まりの人たちでしょうか、男ばかりの団体さんがゾロゾロ、やはり年配の人が目立ちます。でも本当に寒い。
不敬罪で逮捕の可能性あり
雨が少ないのでしょうか、前に来たときよりも五十鈴川の水かさも少な目です。あと2週間ちょっとで大晦日、社務所の付近は大晦日の参拝客に備えて臨時の建物が建ててありました。

ずっと前にこの伊勢神宮にアメリカ人を2回ほど連れてきた事がありますが、彼らにとっては只の神社で、それよりも「何で公園に連れてきたの?」、という顔をしており、それ以来連れて来るのは止めました。

娘にはちょっとだけ伊勢神宮の持つ意味を説明しておきましたが、わかったかな?いつもの私のやり方、本殿では100円の賽銭を投げてささやかなお願いをしておきました。
娘の方を見ると何やら真剣な顔をして随分長い間手を合わせておりました。

ここは神社の総本山であるから、ご利益も日本一である、よってお守りか何かを買うとイイと言ってやると、さっそく買いに行きました。
あわてて財布を捜しております
学業成就のお守りを買ったのですが、お金は私が出してくれると思っていたらしく、私の方を振り返ったので、

「自分のお守りは、自分のお金で買って初めてご利益があるのダ。異論なければそのようにセヨ。」

娘はあわてて財布を出していましたっけ。

この後はこれも定番のおかげ横丁の方へ。
江戸時代から続く伊勢神宮参りと、セットになった遊興の習慣は行ってみると成るほどと思うものがあります。

江戸時代は伊勢参りが何回も大流行をしたそうで、延々と行列が続いたということを本で読んだことがあります。

ここに来て伊勢名物の赤福を食べない訳にはいきません。
タクシーの運転手に教えてもらった、座敷で日本庭園を見ながら赤福が食べられる所に行って赤福を賞味。すすり茶という、ちょっとややこしい飲み方をする湯のみが出てきました。

座敷にはオジサン、オバサンのお客の他に、やはり若い女性が多くおりました。
でもお茶と赤福2個では何か物足りない。私なぞは普段は、5個くらいは平気なのですが。

2年前に上の娘と来たときは「伊勢うどん」を食べましたが、これは下の娘は知っているらしく、食べたくないという訳で大正時代風のレストランで普通の食事。

私は三重県の生まれで、三重県育ちですが、伊勢うどんはずっと知りませんでした。

伊勢うどんとは、うどんに濃い汁を少しだけかけて食べるうどんで、オツユの中でうどんが泳いでいる、という普通のうどんとはぜんぜん違います。

汁がないので私の場合、これを食べるときはビールが必要になります。お酒又は焼酎でもかまいませんケド。

娘は小学校の1年生になって1学期を終えたところで、私の転勤により埼玉県に転校したため、三重県の事はあまり知りません。言葉も違うし。
この日は私のガイドで、三重県の勉強をしてもらいました。
私は1年に数回日本に行きますが、業務出張なので娘たちにはめったに会えません。今回は休暇帰国なのでこのようにして過ごす事ができた訳です。

娘と2人での1泊の小旅行。ひょっとしたらこれができるのは私がアメリカにいるせいかも知れません。
inserted by FC2 system