01−06−22 国際人とは
今日は金曜日、久しぶりに早く帰ってきました。
夕食はいつもテレビを見ながらまず一杯。1日で一番リラックスできる時です。テレビとはCATVで数多くの中に国際チャンネルというのがあって、1日に1時間だけ日本の放送をやるのです。でも放送時間は日中なので、普段は見ることができず、カミサンに録画してもらっておいてこれを見るのです。

番組はフジサンケイのニュース番組で、やたらコマーシャルが多くて、そのままでは見れたものではありませんが、録画は便利、コマーシャルを全部かっ飛ばして見ることができます。

今日は特別な英語の教育を受けている、3才から8才くらいまでの児童の様子の報道をやっておりました。
番組で紹介されていた児童達は私もびっくりするような「英語」をしゃべったり聞いたりできる子ばかりで、もう唖然とするばかり。
番組の中では「国際人」という言葉がやたらと出てきて、解説のアナウンサーもその言葉の流暢さに驚くと同時に、
「日本の将来はこのような子ども達が大きくなって世界を股に羽ばたく、、、、。」
とか言っておりました。
英語のレベルはそれぞれ差はあるものの非常に流暢で、目をつぶってその発音を聞くと全くのネイティブと同じような感じの子もおり、もう外国語をしゃべっているという感じは全くありませんでした。

Would you like something to drink?
という簡単な言葉を何人かの子どもにしゃべらせて、ネイティブスピーカーのガイジン(多分アメリカ人が殆ど)が○Xの札を持って、ネイティブに近ければ○、そうでなければXを挙げるというのまでやっておりました。
この短い言葉のポイントは「like」のLと「something」のTHだそうで、5人のガイジン全員が○をつけた子どもまでおりました。

私なんかもアメリカ人と話をしていて相手が「??」となったときは、当然別な言葉で言い直して伝えるのですが、この時は特にFとかVとかB、それにこのTHの発音を正確にするようにしております。それは特に日本人の英語(ジャングリッシュといいます)に慣れていない原住民相手の時は重要です。

こちらに来たばかりの時、ある店に電球を買いに行きました。電気製品の並べてある場所の担当の店員に、
I'm looking for a 60W bulb.」
と言ったのですが、全く通じない。
店員は口をポカンと空けて私をじっと見つめるだけ。3回くらい言い直したのですが、ダメ。もう仕方がないのでメモと鉛筆をかせ、と言って電球の絵をかきました。そしたらその店員は絵を見て、
Ah, you are saying bulb !
とか何とか言って電球の置いてある場所まで連れて行ってくれました。

何でオレの「バルブ」は通じないんだ?こいつのしゃべっている「バルブ」と同じじゃん!!

ずっと後になってこの話を職場のアメリカ人にしたら、
「SHIN、お前のバルブは"bulb"には聞こえない。何かよくわかんない。"balv"に聞こえる。」
とか言われてしまいました。
とにかくテレビに出ていた子ども達の英語(会話力)には唖然としてしまいました。
インタビューではそれぞれの子どもは次のように答えておりました。

「あなたは頭がイイと思いますか?」
「はい。」

「将来は何になりたいですか?」
「国際弁護士になって日本と
アメリカの架け橋の役をしたいです。」

更に別な子は
「妖精になって好きなところに飛んでいきたいです。」
「好きな所ってどこ?」
アメリカです」

何だ、みんなアメリカを頭の中に描いているのか。そうだろうなー。日本人にとって英語と言えば、イギリスでも、シンガポールでもなくアメリカだもんなー。
一人の女の子なんか表情の作り方、仕草までアメリカ人そっくりで、あの作り笑いのうまさも身についておりました。

番組では「国際人」という視点でしたが、子ども達の視点は間違いなくアメリカで、何となくどうも
「英語=アメリカ人=国際人」という式が頭の中に出来上がっている感じでした。
「英語=アメリカ」は間違いはないのですが、「アメリカ人=国際人」ってホンマカかいな。

アメリカ人が、他国の人、文化、社会を認め受け入れる事が秀でている人種だとは思えません。
国際人というのは自分のアイデンティティーを持った中で、相手をわかる(理解できる)事のできる人を言うんじゃなかったっけ?早い話が。
多分この子ども達はこのまま行けば、それこそむちゃくちゃに「英語のうまい日本国籍の人間」になると思います。
でもこの子達が今、
英語を覚える努力と同じくらいに「日本人」になる努力をしているのでしょうか?

日本の歴史を知り、先祖の事を知り、文化を知りという、まず国際人になるための基本をおろそかにしていない事を願うばかりです。

ある日本の女子留学生が、韓国人の留学生に取り囲まれて、
「豊臣秀吉知ってる?400年前に何をしたか知ってる?」
と言われ、秀吉の半島への出兵で朝鮮人がどんな目にあったのか延々とやられ、最後にその女子学生は、
「ごめんなさい。ごめんなさい。私そんな事あったなんて知らなかった。」と泣きながら謝ったそうです。

秀吉の朝鮮出兵を「悪事」であったとか、それを正当化するとかでの問題ではなく、このような質問をされたら日本人としてどのように対応するか、ここが重要なのです。
泣いて謝ればそれでOK、これは国際人ではありません。

私は職場のアメリカ人に西部時代にアメリカインディアンをアメリカ人が駆逐していった事を聞いた事があります。
「SHIN,弱い者が強い者に征服される事を否定するのか?オレ達の先祖だって一杯インディアンに殺されたのだよ。
過去も大事だが、将来を考えようじゃないか。」

「我々は先住民族と共存しているし、共存の努力は昔からやっていた。
私は先住民族を尊敬するし、そのような人は昔から多くいた。」

ちなみに答えてくれたのは30才前後の学校を出て7〜8年の普通のアメリカ人でした。他にもいろいろな答えがありましたが、これを何と理解するか。彼らの自信はどこから来るのでしょうか。

テレビに出ていた子ども達が「国際人」として活躍をするときは、どんな国際人になるのでしょうか?

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