00−08−05 にぎやかになりました  
3月に日本に帰って大学に通っている下の娘と、同じくこの4月から大学生になった姪の2人が8/2にアメリカにやってきました。
会場の公園の入り口、よく整備されております
しばらく2人きりの生活だった家の中が急ににぎやかになっております。アメリカにやってきた2人はさっそくあちこちに買い物に出かけたり、家の手伝いをしたり元気イッパイです。

2人が来てからは私もなるべく早く会社の仕事を片付け、いつもより早く帰宅しております。


今日は近所で行われた、「Irish Festival」というお祭り(?)に出かけて見ました。
私たちの住んでいる市は「Dublin」という名で、アイルランドの地名になっております。

つまり、昔はアイルランドからの移民がこのあたりには多く住んでいたのでしょう。
Festivalが行われる場所は、家から車で約10分程の所にある公園で、私が1年間の単身赴任時代に住んでいたアパートのある付近です。

公園付近に近付くと、州外からの観光バストかが目立ちます。多分アイルランド出身の人達が他の州から来ているのだと思います。
何百年も前の人力の旋盤(?)での食器作りの実演
会場の公園は住宅地に隣接しているのですが相当に広く、会場内はアイルランドにちなんだ催し物、バンド演奏、その他みやげ物屋のテントが延々と続きます。

会場には12時前に入場しましたが、何千人という人が集まっており、アメリカにしては相当な人混みです。

それにちょっと以外だったのは、ワインとかビール等の飲み物、それに食べ物屋の屋台が一杯出ている点です。

色々な食べ物屋の屋台から流れて来るおいしそうな匂いつられ、バベキューとかレモネード等を買って食べてみましたが、やはり野外での立ち食いは何とも言えない美味なものです。


カミさんが誰か「焼きソバ食べてた。」というものですから、「お前、ここは日本のお祭りじゃないんだよ。」と言ってみたものの、中華料理の屋台を見つけた時はびっくりしました。
焼きソバはここにありました。
アイリッシュ風のロックコンサート会場
アイルランドは古い国で、長い歴史を持っており、その歴史を紹介するテントもあちこちで見る事ができました。
大きなテント内では各種のバンド演奏が行われており、全部で4ー5つはあったのではないかと思います。
バンドのテントは一つで、何百人も入れる非常に大きなものでした。

記念のお土産はアイルランドの民芸品にしようかと思いましたが、結局は大きなビールグラスに名前を彫ってもらい、これを今回の思い出の品にしました。

オハイオにはヨーロッパの地名の街がたくさんあります。アメリカは最初はヨーロッパからの移民で成り立っていた国なので、それらの人々が故郷の街の名前を付けたのでしょう。

あちこちのテントに顔を出して午後の3時に会場を出て、家に帰りました。
夕方の5時からは2人のために歓迎のバーベキューを先輩駐在員がやってくれる事になっており、娘と姪の2人はこれの準備のお手伝い。広々とした庭でゆったりとバーベキュー
2人を先輩の家に置いてきて、私とカミさんは一旦家に帰りひと休み。

5時少しに先輩の家の庭でバーベキューを開始。

会社には日本からの大量の文書を翻訳したり、会議の通訳等をするために何人かの翻訳/通訳の人を雇ってあるのですが、このうちの3人が一緒に参加。

従って、先輩と私の2人以外は全て女(7人)というアンバランスなバーベキューになってしまいました。

途中でKENさんという、これもまた翻訳の仕事で昨年まで私の会社で働いていた韓国人の方が参加したので最終的には3:7になり、男の比率は少し改善されましたが。

このKENさんという人は年齢は60才をとうに越えた国籍は韓国の人ですが、日本語と英語をそれぞれ母国語以上に理解する人で、聞けば小説に出てもおかしくないような人生を歩んできた人です。
今はアメリカの永住権も取得して、この地に骨を埋めるつもりだそうです。
左は娘、右は姪
姪はアメリカの家の広々とした庭でのバーベキューに大変満足の様子で、ビールもかなり積極的に飲んでおりました。
先輩の奥さんが準備してくれた(娘と姪も手伝って)大量の肉と野菜の串、ソーセージ、とうもろこし、おにぎり、漬け物、その他一杯の食べ物でみんなお腹一杯。

夜の8時半頃まで空は明るく、9時頃にやっと真っ暗になったのでバーベキューはお開き。

2人の娘達は後片付けを手伝ってカミさんが家まで送って行きましたが、私と先輩、それに途中から参加したKENさんの2人はこれで終わる訳がありません。
庭から家の中に会場を変更して、2次会の開始。結局私が家に帰ったのは夜中の12時を越えておりました。

カミさん、娘、姪、そして私も大満足の一日でした。
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