ビバ、メキシコ
メキシコはアメリカのお隣の国です。アメリカは北はカナダ、南はメキシコに接しています。オハイオに来てカナダには何度も旅行をしましたが、メキシコは今回が初めてでした。
メキシコは仕事では今までに何度も行った事がありますが、仕事ではどこに行ってもそお国を知ることは殆どできません。多くの場合、会社とホテルと空港の往き来だけになるからです。

メキシコは対日感情もそれ程悪い訳ではなく、親しみを覚える国ですが意外と具体的には何も知りません。陽気で明るく、過去には文明を誇った時代もあったのですが、西欧諸国の植民地にになってからは不幸な歴史に綴られている、、、こんなぼんやりとした知識しかありませんでした。

本当は行く前にメキシコについて事前勉強をしておけばよかったのでしょうが、今回はそれを十分にやることなく行ってしまいました。
ですからコメントはかなり不正確な部分があると思いますがご容赦下さい。

メキシコは行く前には治安に問題があるという事でちょっと心配しておりましたが、幸いにもそういう経験はする事はありませんでした。
2008年暮れ時点では国警とマフィアが血みどろの闘いをやっており、警察幹部が残忍なやり方で何名も殺されているそうです。
テキサス・ヒューストン空港

今回の行き先はメキシコシティー、コロンバスからのダイレクト便はありませんので、どこかで乗り継ぐ事になります。

今回のフライトはコンチネンタルなので、ヒューストンで乗り換えです。
非常に大きな空港ですが、空港内で迷うことはありません。

掲示板をじっと見ていたら、空港の係員のオバサンが「どこまで行くのですか?」、と声を掛けてくれました。
ホテル(1)

今回の旅行は飛行機の予約、ホテルの予約、ツアーの予約を旅行会社の薦めによって個別にやりました。結果ホテルはかなり上のランク、というよりガイドさん曰く、5つ★ではなく6つ★(ホントかな?)のホテルに宿泊する事ができました。


2Fの広間なんかちょっとした美術館並のオブジェがあったりしてなかなかのものでした。

ドルの威力もそれなりで、宿泊代、食事代ともドル換算するとかなり安い感じがしました。
ホテル(2)

そうです、門松です。メキシコシティーに到着したのはクリスマスの25日、メキシコのクリスマスは12月の中旬から1月6日までだそうですが、新年に向けてメインエンタランスの横では作業員が門松の飾り付けを終えたところでした。

さすが日系の大ホテルです。

「ところでお前さんはハポネスか?これは何の飾りですねん。教えてくれはりまっか。」、と作業員に言われたので説明をしてあげました。
メキシコシティー(1)

ホテルは高級住宅地とチャプルテペック公園の近くで3分も歩くとレフォルマ通りに出ます。この通り沿いには人類学博物館、動物園、植物園、等が続きます。

道路とかの清掃も行き届いており、清潔な感じがします。
観光客なのか、地元の人なのか家族連れがゾロゾロと歩いております。道路際では飲み物とか果物を売っております。

至ってのどかな風景であります。
メキシコシティー(2)

ホテルを出てレフォルマ通りを北東に2kmくらい行くとメキシコ独立記念塔があります。
なかなか立派な記念塔です。
1910年にメキシコの独立を記念して建てられたそうです。

日曜に行ったらこの通りは歩行者天国ならぬ、自転車天国になっていました。何でも政府がブクブク太った自国民を少しでも痩せさせようと自転車に乗れ!という号令のもとに自転車天国を作ったそうです。

でも通りで自転車に乗っているのはそんな必要のない、痩せた人ばかりでした。
メキシコシティー(3)

この建物は国立芸術院、だったと思います。

市内は大型バスで回りましたが、このような立派な建物がある場所を重点的に回りました。

でも私はソカロ広場の近くにあった、狭い石畳の道路に左右に小さな店とかレストランが並ぶ旧市街なんかを、徒歩でブラブラしたいと思いました。

クリスマス休暇中なので、空気もきれいで車も少なく、観光には好都合な時期だったかも知れません。
メキシコシティー(4)

ソカロ広場の近くまで来ると多くの観光客で一杯です。でもこの建物の横の大行列は観光客ではありません。
広場にあるスケートリンクに入るために並んでいるメキシコシティーの人々です。

行列は何百mもあるのですが、メキシコ人達は気にする様子もなくみんな楽しそうにおしゃべりをしながら並んでいました。

ここから広場の横に抜けるのに、地下道を通りましたが写真撮影禁止地域でした。
メキシコシティー(5)

国立宮殿(大統領官邸)の方から見たカデドラル(大寺院)です。
写真には写っていませんが、お巡りさんがうようよいます。でもみんなおしゃべりに夢中で、実際に仕事をしているのは10人に2人くらいです。

全てスペイン植民地時代に建てられた建造物で、立派なものばかりです。
スペインはメキシコを植民地として血の一滴まで吸い尽くしたそうですが、この感覚は植民地になった事のない日本人に理解は難しいところです。
メキシコシティー(6)

カテドラル(大聖堂)です。
いろいろと説明を受けましたが覚えているのは16世紀に起工されて完成したのは19世紀の初めという、長い年月をかけて造られた建物であるという事です。

周りは鉄の柵で囲われ、入るときは観光警察による0.5秒の持ち物検査があります。

この正面のソカロ広場にはテント張りのスケート上が開かれており、先ほどの行列が延々と続いておりました。
メキシコシティー(7)

カテドラル(大聖堂)の中です。荘厳な造りに息をのみます。何百年も前にこのような素晴らしい建築を造り、若干の修復は行ったとはいうものの、ここまで感動させるというのはやはりスゴイの一言に尽きます。

仏教の建物、仏像は乾いたどちらかと言えば質素な世界です。これに比べてキリスト教の世界は荘厳、圧倒の世界です。
仏教の世界は非常に精神的です。キリスト教の世界は物質的です。
メキシコシティー(8)

グアダルーペ寺院に行きました。ここはローマカトリック教会にも公認されている”カトリック3大奇跡”のあったところだそうです。

16世紀のスペイン征服の直後に先住民の前に褐色の肌のマリア様が現れて教会を建てるように、その先住民に伝えた。
そのマリア様からバラの花をもらってマントに包んで持っていったら、そのマントに褐色のマリア様が浮かんだので、これを信じた司祭が教会を建てた、という事らしいです。(間違っていたらゴメン。)

なお、こういう教会とかは、極力先住民の土着宗教の建物などを壊して、その上に造ったそうです。
メキシコシティー(9)

褐色のマリア様です。これは複製で、本物はこの横の高いところに掲げられており、歩く歩道に乗ってみれるようになっています。
写真撮影も自由、歩く歩道には何度でも乗れますから、何度でも見れます。

このマントはメキシコ政府の分析チームが解析をしたら、現代科学でも説明のつかない、いろいろな事が分りやはり奇跡である、という事が証明されたそうです。
スラム

メキシコシティーには200万人とも300万人とも言われるスラムの住民がいるそうです。
普通の家は屋根のうえに黒い水タンクが置かれて、これに水道からの水を貯めて、それを使うそうです。メキシコシティーの水道は水圧が低くて、そのままでは使えないからです。

こういうスラムは山の斜面で、しかも屋根には水道タンクもありません。という事は容易に水が使える状況にはない、という事です。
どうやって生活しているのだろう。
腹ごしらえ

グループツアーは昼食も効率よく摂れます。

ガイドさん曰く、
「いろいろなレストランに皆さんを連れて行きましたが、下痢を起こしたりいろいろとありました。
でもここのレストランは、今日までそういう事は起きておりませんので安心して下さい、、、、。」

そこで私は消毒のため、止むなく麦ジュースを注入する事にしました。
ティオティワカン(1)

ここはメキシコシティー北東50kmくらいにありバスで1時間弱で行けました。

っこは紀元前2世紀〜6世紀くらいまで存在していた巨大な都市で、当時のアメリカ大陸では最大規模だったそうです。

ピーク時には人口は20万人くらいいたそうですが、7世紀頃に急に消えてしまった幻の都市だとガイドさんは言ってみえました。

滅びた理由はよくわからないのですが、人口の集中による食糧問題とか治安問題だったという説が有力です。
ティオティワカン(2)

ここには巨大なピラミッドがありますが、城壁はありません。
という事は戦争などの争い事がなかった、または少なかったと思われています。

ここの発掘はまだ殆ど行われていない状態で1987年に世界遺産に指定されています。

しかしこんなに広範囲に、こんな立派な建て物をよくも建てたと驚くよりありません。
ティオティワカン(3)

ティオティワカンというのは「神々の都市」、という意味だそうでこれは後にこの地にやってきたアステカ人が命名したそうです。

ピラミッドは太陽のピラミッドと月のピラミッドの2つの大きなピラミッドがありました。

写真は月のピラミッドでこれを北端として南方向には大きな道路(死者の道)が4kmほど延びています。
ティオティワカン(4)

ピラミッドは上れますので、早速”月のピラミッド”に上ってみました。
ピラミッドは高さ47m、底辺が140mX150mでゆっくり上っても2分くらいで上れます。

傾斜は30°もない緩やかな会談のハズですが、いざ上ってみると結構急な階段に感じます。
カミさんはダーッとひとりで上がっていきましたが、私はゆっくりと上を見ながら、下を見ながら上りました。
ティオティワカン(5)

47mの頂上までは登頂禁止のロープが張ってありましたので35mくらいの高さでしょうか。
それでもkなかなかの眺めです。

ずっと延びている道路が死者の道で、どうしてこのように言うかといいますとこの道路の左右からは人骨が大量に発見されたからで、ティオティワカン文明でも生け贄の儀式が盛んに行われていたそうです。

なかなか壮大な眺めでしばしこの風景を楽しみました。左に見えるのが太陽のピラミッドで、眺めはこちらの月のピラミッドからの方が、いいそうです。
ティオティワカン(6)

月のピラミッドから死者の道を南に歩いて太陽のピラミッドまで行ってみました。

太陽のピラミッドにも登ろうかと思いましたが、月のピラミッド登頂で結構体力使っちゃいましたので、下から眺めるだけにさせて頂きました。

周りには土産物を売る人がうようよいます。ガイドさんによるといったん興味を示すと、ずっとついてくるから決して興味を示さないように、という注意がありました。
ティオティワカン(7)

太陽のピラミッドの東側大きな駐車場があり、そこに向かって歩いていきます。この通りにはずらっと土産物屋が並んでいます。

何だか随分安い値段で売っています。
銀のブレスレットとかネックレスも安い値段で一杯売られています。
土産物は交渉でいくらでも安くなる雰囲気です。

私もちょっと見てるだけで、一気に最初の3分の1くらいの値段に下がって、そのブレスレットを買わされそうになりました。
ティオティワカン(8)

メキシコと言えばサボテン、サボテンといえばテキーラですが、サボテンはれっきとした食材でもあるのです。スーパで安く売られているそうです。

日本人には身に薄く衣をつけて天ぷらにするのが口に合うそうです。

サボテンは女性はお肌がきれいになり、男性は精がつくという大きな効果もあるそうです。
国立人類学博物館(1)

これも立派な博物館で、チャプルテペック公園の端にあり、ホテルから歩いて10分少しで行けます。

博物館にはご覧のように自動小銃を持った警官が入り口を警備しております。
更に入り口を入ったところには観光警察官がいて、持ち物の検査をやっており、カバンの中も全部見せなくてはなりません。

私は持っていたリュックサックを開けて中を見せたら0.1秒くらい検査してパスでした。
国立人類学博物館(2)

ゲートを通ると切符売りの窓口があり、普通はここできっふを買って入りますが、私達はガイドさんがまとめて面倒を見てくれました。

入ると大きな中庭になっており、翁円柱お上から滝のように、水が流れています。

規模は非常に大きく、ゆっくりと見て回ると1日は欲しい感じです。
でも残念なことに説明の大半はスペイン語のみなので、私には説明が理解できませんでした。
国立人類学博物館(3)

ここで最大のスペースを占めているのはアステカ文明の展示です。

正面には直径は3m、重さが20トン以上の太陽の石があります。これにはアステカのカレンダーが彫られています。
複雑な彫り物が一面にびっしりされており、全て意味を持っており、そして繋がりがあります。カレンダーは閏年もきちんと考慮されています。

詳しい説明を聞きましたが、驚愕の古代カレンダーです。
国立人類学博物館(4)

事前の勉強が不足したままメキシコに行ったので、写真を見ても何だったか思い出せませんが、その中でもこれは思い出せるものの一つ。

これはマヤ文明の展示館にあったパレンケ遺跡の王様の墓の中にあった像。(とメモにあります。)
鼻筋はともかく、顔のイメージは何だか日本人に似ている感じです。

メキシコでは日本人と見間違うような男女を一杯見ることができます。モンゴリアンがベーリング海を渡って、北米を通過してメキシコ、南米に行った、という事実からいくと当然の事ですが。
国立人類学博物館(5)

銀類学博物館ですから、人類の起源から説き起こして説明、展示がされています。

類人猿の進歩も詳しく説明があります。これは骸骨からその当時の人間(類人猿から殆ど人間になった頃)の顔を創作したものです。

ウーン、この顔は正に我々の仲間、という感じですね。
でも、この顔、日本だったら電車に乗ったら隣にいそうなオジサンの顔ですね。
国立人類学博物館(6)

博物館の展示品の殆どはメキシコで見つけられた物ばかりで、外国のものは殆どないそうです。

つまり欧米の博物館は、いわば盗品の陳列場です。
ですから国力・経済力・盗人力はスゴイなー、と思うものの、それらの国々の技術とか芸術レベルの高さとかは全く感じません。

ちなみにアメリカの博物館の特徴は、武器の展示がやたらと多い、というかものすごく多い事に気がつきます。
国立人類学博物館(7)

ちょっと疲れました。博物館の土産物屋の横に野外レストランがありました。

ウエイトレスを呼んでビールを注文、値段は35ペソ(250円くらい)。
よく冷えたビールがうまい!周りには家族連れとか若いカップルが食事をしたりしています。

ウエイトレスの愛想がよかったのと、結構可愛かったのでチップは15ペソあげました。
(かなり古いけど、アン・ルイスそっくりさんでした。)
メキシコのアメリカ人(1)

メキシコにはアメリカ人も一杯観光に来ております。お行儀が際だって悪いのと、大声でしゃべるので直ぐにわかります。

それとアメリカ人は短パン、Tシャツ、スニーカー、の3点セットを身にまとっているので、100m先からでも識別できます。

この格好はオッサンもオバサンもみんな不思議なくらい共通です。アメリカ人以外でこの格好をしているのは殆ど見ません。
メキシコのアメリカ人(2)

最近はアメリカ人の共通の持ち物としてリュックサックがあります。上記3点セット+リュックサック、この格好を見たらアメリカ人と思っても外れの確率は低いと思います。

メキシコはアメリカ人にとって観光だけではなく、リタイアーした連中がのんびりと余生を過ごす国でもあるそうです。

確かにドルは強いし、アメリカにいるよりもワンランク以上の生活ができるのは間違いありません。
ホテルの部屋からの夕暮れ

ここのホテルからの眺めはなかなかのもので、特に夜はきれいでした。

クリスマス休暇中なので車が少なく、普段は車の排ガスで澱んでいる空気も非常にきれいで、夜景も絶景でした。

でも例年は夜でも13〜15℃はある気温が10℃以下になり、かなり寒く感じました。ホテルには暖房がなく、フロントに寒い、と言ったらボーイがセラミックヒーターを持ってきてくれました。
クエルナバカ(1)

メキシコシティーかの南75kmにある町で、タスコに行く途中に寄りました。
メキシコシティーの大金持ちが別荘を持つ町でもあり、静かな佇まいでした。

ここでは大聖堂のみ立ち寄りました。
この日のガイドさんはお父さんがメキシコ人、お母さんが日本人の?(名前を忘れてしまいました)さんという若い女の子でした。
クエルナバカ(2)

大聖堂の祭壇とその周りの壁に書かれた壁画は立派なものでした。

ここにはメキシコで最初に聖人になった宣教師が祀られており、この聖人は日本に来てキリスト教の布教をおこなったものの、豊臣秀吉のキリスト教弾圧で処刑された人だそうです。

何と壁にはエンペラー・タイコウヒデヨシという文字が書かれているそうです。
「あそこに書かれています。」、という説明でしたが、当然わかる訳はありませんでした。
クエルナバカ(3)

メキシコはスペイン人に征服され、みんなキリスト教に強制的に改教させられました。
土着の宗教は邪教である、という事でそれらの土着宗教の祭壇とかの上に彼らの教会をデーンと建てて行ったそうです。

ヨーロッパの植民地化はキリスト教の宣教師と軍隊の組み合わせで巧みに行われ、これの危険を悟った織田信長、豊臣秀吉、徳川家康はキリスト教を排除したと言われています。
結果、日本はヨーロッパの植民地にならなかったというのが事実である事を我々は知るべきです。
タスコ(1)

タスコメキシコシティーの南西170kmくらいにあります。
この町に入る手前で私達はガイドさんに銀細工の土産物屋に連れて行かれました。

入ると先ず店の親父さんから銀製品の本物と偽物の見分け方とか、この地方がいかに銀製品で有名なのかとかいう話を聞かされ、次に売り場に案内されました。
タスコ(2)

店は結構大きな構えで、いろいろな銀製品がずらっと並べられておりました。

どこかで記念に一品欲しかったので、ここで買う事にしました。
まあ、観光旅行会社が連れて行く店だから間違いはないだろう、という安心感がはたらいたせいでだったのでしょうか。

3000ペソ(約240ドル)もするブレスレットを2つも買っている人もおりました。
タスコ(3)

タスコの町は明るくてにぎやかです。ここはサンタ・プリスカ教区・教会を中心に広がっており、周りには土産物屋とかレストランがいっぱいあって、狭い道路には車が溢れています。

ブラブラと歩いて路地に入ったり、土産物屋を冷やかしたり、全く退屈をしないところです。

本当はこういう町のホテルに泊まってゆっくりと過ごすのがメキシコ旅行の醍醐味かも知れません。
タスコ(4)

教会の前の広場です。狭い道にお構いなしに車が入ってきます。これに対し、人々はお構いなしに車の前を横切ります。
物売りがゴザを広げて民芸品、帽子、飲み物などを売っています。
ちょっと目が合うと、直ぐに声を掛けられます。

土産物屋は殆どが銀製品を売る店です。
そうです、タスコはメキシコの中でも特に銀で有名な町なのです。
タスコ(5)

山の方には広い壁で赤い屋根の建物が続いています。本当にきれいです。雰囲気としては17〜8世紀の南ヨーロッパの感じでしょうか。

路地の奥には雰囲気のよさそうなレストランがあります。夜になるとみんなテキーラでも飲みながらバンドの演奏を聴くのでしょう、きっと。

あまりセカセカと動き回ると息が切れます。ここは1800mの高地であることを忘れてはなりません。
タスコ(6)

教会の右横の奥の路地には市場があります。何でも売っています。
野菜、果物、菓子類、飲み物、日用品、服、それこそ何でも、です。

私はこういう場所をブラブラと見て歩くのがこの上なく好きです。
1時間くらいかけて回りたいのですが、残念ながらグループツアーなのでそうはいきませんでした。
タスコ(7)

市場の中にはちゃんと液体燃料販売所もありました。ビール、テキーラ、ワインが中心で、ウイスキーも少しありました。

テキーラはオハイオでも時々ですがジュースで割って飲みます。酔いの廻り方に癖があって、ジワジワではなく、ドカッと急にきます。あ〜、そろそろかな、と思った時は既に手遅れです。
ですから非常に危険な液体燃料であります。

ここには我が愛飲する米汁(清酒)、芋ジュース(焼酎)は残念ながら見当たりませんでした。
タスコ(8)

メキシコ人を一口で言うとものすごく自我の強い気質だそうです。
「まずはオレ、次にオレ、そして最後にオレ。」

これはメキシコ人が自分で言っているそうですから、間違いはなさそうです。

アパートのベルを押すので、「どなた?」、と聞くと、先ず、「オレ(わたし)」と答えるそうです。
全てが自分中心で他人の立場からものを見ることができない。

何だ、これってアメリカと全く同じじゃないか。
タスコ(9)

子供が群がっているので何だろうと近寄ってみると、篭にお菓子を入れて売っていました。
パンのようなお菓子で、あちこちで見掛けました。
あとよく見掛けたお菓子は乾燥させた果物のお菓子でした。

日本にあってタスコにないもの、それは自動販売機というものがここには全くありません。それに看板もありません。
ですからどこを歩いてもこの瀟洒な町の雰囲気が壊れていないのです。
タスコ(10)

メキシコはアステカ神話の中に白人が神のような存在で出てきて、1520年にスペイン人がやってきたとき、その神の白人の再来という事で、あっけなく征服をされてしまった、、、1日目のガイドさんは非常に博識な人で話が面白かった。

タスコは2日目の観光、別なガイドさんで、1日目に比べるとちょっと物足りませんでした。

広場の横で迎えのバスを待つ私達のグループ。
客は5名、これにガイドさん、運転手の小さなグループでの観光でした。
メキシコ料理を頂きました

メキシコに来たからには昼食だけではなく。やはり夕食にメキシコ料理を食べてみなくては話になりません。

メキシコの3大食品とはとうもろこし、インゲン豆、とうがらしです。
1521年にスペインに征服されるまでメキシコ人は動物性食品は食べなかったそうですが、今は牛、豚、羊、それに油類を大食します。

従ってメキシコ人は一部の人を除いて、はち切れんばかりの体格の人が目立ちます。
国立劇場(1)

3日目は闘牛を見に行く予定をしていたのですが、直前にこれがキャンセルになってしまい、国立劇場でメキシコの民族舞踊を見る事にしました。

写真ではバイオリンがないし、トランペットもないので正規のマリアッチではないように見えますが、ちゃんと人が入れ替わって演奏をしてくれました。

これを聞くとメキシコに来たんだナー、って気になってしまいます。
国立劇場(2)

チケットには座席指定の番号が書いてあるので、その席を一生懸命探すのですが見つかりません。あと5分で始まるし、どうしようと考えていると、「どこに座ってもいいのですよ。」、と英語で私より少し若い男性が教えてくれました。

日本人観光客は私達だけのようで、観客の殆どは地元の人のようでした。

舞踊はメキシコらしく、動きの激しいダイナミックなもので、ダンサーは男も女も白人との混血の彫りの深い顔立ちの人ばかりでした。
国立劇場(3)

パンフレットもらったのですが、全部スペイン語で残念ながら読むことができず、どの地方の何の踊りなのか全く理解できませんでした。

でも明らかに服装も踊りもスペイン風で、1521年から1910年までの約400年の植民地時代に出来上がった舞踊である事だけは理解できました。

2時間の公演はあっという間に終わってしまいました。
スリのメッカ、オペラハウス前

ホテルの横にはチャプルテペック公園という大きな公園がありその中をレフォルマ通りというのが横切っております。
公園の中は国立人類学博物館とか、動物園、植物園とが点在しています。

公園脇の歩道には現代画家が描いた絵とか、写真が掲示されており、メキシコの芸術的センスの良さが窺われます。
ホテルの日本レストランの朝食

宿泊したホテルは日系のホテルで、本格的な日本レストランがありました。

和食の結構なコースでも450ペソ(3500円くらい)程度で食べる事ができます。
ところが、日本酒がめちゃくちゃに高い。一番安い銘柄で1合180ペソでした。

朝食は1度だけこのレストランで食べましたが、やはり日本人、ご飯とみそ汁ををお腹に入れると精神的にナゼか安定します。
さようならメキシコ(1)

帰りのホテルから空港までのタクシーの運ちゃんはかなり年配の混血で、スゴイ訛りの英語でいろいろと質問をしてきました。
(私も日本語訛りのスゴイ英語ですけど。)

そして運転の途中で、花売りからバラの花を取り上げて、カミさんにくれました。
こんな些細な出来事が何となく大きく印象に残るものです。
さようならメキシコ(2)

4泊5日のメキシコ観光の旅、なかなか充実しておりました。

アメリカの隣国、アメリカの影響を色濃く受けている国メキシコ。


ああ、かわいそうなメキシコよ、
神からかくも遠く、
アメリカにかくも近くて!


メキシコ人が言うそうです。
車を5台も6台も持って、30部屋もある豪邸で10人くらいの召使いに囲まれて生活しているお金持ち、片方では泥の家に住んで、名前も書けないでウジ虫みたいに生きている貧困層。マヤとかアステカの古代文化遺産と、超近代的な建築物が立ち並ぶ近代都市。

メキシコって不思議な国、というのが今回の旅行で、ほんの少しだけ分りました。とにかく両極端というか多様性というか、「平均的なXXXは、、、」、という言葉・数字は殆ど意味をなさない、という国のようです。

メキシコシティーではありませんが私の会社もメキシコにあり、20名くらいの駐在社員がいます。聞くと実際に住むと結構大変な事が多いと言います。でも面白い、という人もいます。

私の見たメキシコは瞬きの一瞬にもならないレベルだと思うのですが、何だかもう一度行ってみたい国になってしまいました。
メキシコ、何だか不思議な魅力を感じる国です。
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