帰国子女のその後
帰国子女もいろいろです

父親の転勤でアメリカに連れて来られた子供達、その年齢、滞在期間、それぞれ様々です。
そしてその大半の子供達は父親の帰任に伴い、日本に帰っていきます。アメリカに残る子供達もいますが、やはり日本に帰るケースが大半です。
人口100万のコロンバス、でも車で15分でこんな風景です
帰った子供達はそれぞれの年齢に応じて、再び日本での生活を始めます。
最近は帰国子女という事で、話題になる事は少なくなったようですが、やはり相当な数の子供が、親の都合でアメリカに来て、そして親の都合で日本に帰っているのです。

これらの子供達がその後どうなったのか、私の知る範囲での事実を書いてみました。

オハイオには日本人学校はなく、全ての子供はオハイオの学校でアメリカ人と一緒に学校生活を送ります。(土曜日の日本語補習校には殆どの小中学生が通いますが。)

同じ子供達でもLAとかNYで日本人学校に入学して、日本と同じような教育を受けているのとは根本的に違います。ですから、「アメリカからの帰国子女」、という一言ではくくれないのです。
とにかく子供達は大変です。
1. 中学2年から高校3年まで(男):5年間

英語で苦労したのは約1年、その後クラブ活動に熱中(バスケットボール)、高校1年生からはレギュラー選手で大活躍。高校卒業の翌年、日本の私大の経済学部に入学。
日本に帰っても特に逆カルチャーショックもなく、順調に大学生活も送りました。この子の場合はスポーツができたので、これがオハイオ高校生活を割りと問題なく乗りきる事ができた理由でした。

もう一人の例でも、レスリングで大活躍し、て学校生活を問題なく過ごせた子も知っています。
スポーツのできる子は同級生達の人気の的になる、そしてそれが他のハンディキャップを吹き飛ばすようです。アメリカでは勉強より、このようなスポーツで目立つ子は比較的早く学校生活に溶け込めます。

勉強は数学は大抵の子は編入したら、すぐトップクラスになります。小学生から中学生にかけてオハイオに来た子で、数学で苦労したという子供の話は聞いた事がありません。
2.中学2年から高校3年まで(男):5年間

言葉もあまり上達せず、性格的にもおとなしい子で、仲間内でも何かを発言する事も少なかった。先生が質問をしてもあまり答える事もなかった。それである先生が、
「彼は知恵遅れであるから別なクラスに入れた方がよい。」、という提案を出しました。

ところが他の先生が、
「いや、違う。それは彼の性格と言葉の問題である。」、という意見を出し、結局は知能テストを行う事になりました。結果、平均よりずっと上。
で、その子は言葉をあまり話さなくてもいい、コツコツ自分で何かをするテクニカルハイスクール(工業高校)に編入し、無事卒業をする事ができ、日本に帰りました。

アメリカはすごい田舎でない限り、いろいろな選択肢があるので、自分に合った進路を選ぶことができます。
3.小学校6年から高校3年まで(女):7年間

言葉も2年くらいで問題がなくなり、自由に楽しく高校生活を送り、そして卒業。翌年にある私大への入学も決まりました。ところが、オハイオの高校卒業から大学入学までの間、東京で暮したのがちょっとまずかった。
その子はかなり大人びており、そして可愛かった。

で、あちこちから声がかかり、それに全て応えているうちに、とうとう進学をする意欲がなくなってしまいました。
アメリカで生活をすると、いつもニコニコ、普通の日本人より表面上は愛想がよくなります。
そして声をかけられると、よほどの事がない限り返事をするクセがつきます。

他の人から見ると、非常にとっつき易い子になります。
それとある意味で刺激のない所で育つので、東京のような変化の激しい場所に対しての免疫力が殆どありませんから大変です。

オハイオは子供達にとっても刺激の少ない、毎日の時間がゆったりと流れる、日本とは別世界のところなのです。
4.幼稚園(5歳)から小学校6年まで(男):8年

家では親が日本語を上達させようと必死で日本語を教え、学校では英語で過ごすと言うダブルカルチャーの中で生活。殆どの子はこのような環境になる訳ですが、これがずっとこの子の頭の中の混乱を継続させ、結局は英語もまあまあ、日本語も完璧ではない子になってしまいました。

日本に帰ってある有名私立中学校(帰国子女入学)に入ったのですが、学校生活に支障をきたし、とうとう登校拒否。そこで、帰国子女に対して特別な教育を行う私立中学に転入、今は楽しい中学生活を送っています。

小さくてオハイオに来て、そして中学くらいで日本い帰る子は、ある程度(かなり?)アメリカ人になっていますので、今度は日本に馴染むのが大変なようです。
学校に行って1月もしないうちに親が先生に呼ばれ、「みんなと一緒のことをやらない」、「何でもかんでも質問をしてくる」(自分が納得のできない事は質問をするのが大切で、質問をしないのはダメな子なのです。)、とか文句を言われた例をいくつか知っています。
5.中学2年から高校2年まで(女):4年、現在もオハイオで高校生

言葉で苦労をしたのは最初の1年間、日本の中学でやっていたブラスバンドクラブにこちらでも入りました。
で、それがものすごく認められて、学校で表彰されるやら、あちこちに遠征するやらで、もう超一流になってしまいました。本人はオハイオの学校生活が楽しくて仕方なく、友達も一杯できて、大学もブラスバンドの研究ができるアメリカの大学に行きたいと言っているそうです。

これもやはり何かができる子はスムーズに学校生活を送ることができるいい例です。
勉強も大事ですが、アメリカではもっと目に見えるスポーツとか、このようなブラスバンドみたいなものに対して、日本では考えられないほど先生も生徒も評価をするようです。
学校から帰って塾に行って、休みの日はテレビゲームをやる、なんてスタイルは、、、、、、。

同じように楽器に夢中になっている子を、もう一人知っておりますが、この子も学校によく溶けこんでいるようです。
6.小学校2年から高校3年まで(女):10年

英語はもちろんペラペラ、殆どネイティブと変わりません。話すのだけを目をつぶって聞くと完璧なオハイオ人でした。
言葉だけではなく、考え方もアメリカ人そのもの。

卒業後日本のある私大へ。でも1年でやめてしまいました。東京の狭いアパート生活に耐えられなかった、学校の授業がわからない、友達とうまくやっていけない、等がやめた理由でした。
その子の性格とか、環境に対する順応性とか、家庭環境とかによると思いますが、オハイオで小学校から高校までを過ごすと、何も教えないとほぼ完璧な、「アメリカ人」、になってしまいます。

国籍は日本、顔は日本人(もちろん)、日本語もほぼ完璧なこのような外人に対して、日本の人は外国人扱いをしてくれません。アメリカ人になっていたこの子は、「変な子」、という扱いをされ、それに耐えられなくなったのでしょう。かわいそうなケースです。
7.0歳から5才、そして小学校5年から中学3年(男):5年を2回、合計10年

5才で日本に帰える時は英語と日本語の両方を話せたそうですが、半年で英語は完璧に忘れたそうです。
逆に小学校5年で再びオハイオに来た時は半年でほとんど問題なく会話はできるようになったそうですが、読み書きにはやはり苦労したようです。

この子の親は夏休みには(こちらは6月上旬から8月下旬まで!)日本に連れて行き、日本の学校に1月間毎年入れたそうです。
オハイオでの中学校生活は細かい事は抜きにしてあまり問題なく過ごし、卒業後日本の高校に入り、今は大学生です。この子が中学生の時に会った事がありますが、普通の日本の中学生の感じでした。
オハイオで生活をするのだからオハイオに馴染むのも大事、でも永住はしないのだから日本の事もきちんと年齢に応じて親が教育をしておく、これが大事なような気がします。
日本の事を子供に教えると言っても限界がありますので、日本語放送の衛星テレビを入れたという人がいました。日本のニュースやドラマを見せて随分変わったと言っていました。
高校の卒業式、お世話になった先生と
それぞれの子供達は5年とか、長い子で10年とかのアメリカ生活を送るわけですが、長くなるとアメリカに馴染み、こちらの生活では問題がなくなる代わりに日本に帰った時に今度は苦労をする、というパターンになります。
また最初は子供を連れてきても、小学校の高学年になる頃に奥さんと子供を日本に返し、本人は単身赴任の形態をとる、という人も結構います。

そしてアメリカで育ってアメリカの学校に行った子供達にとって「日本」は自分が「帰る祖国」ではなく、自分の知らない「外国」になってしまい、結局はアメリカに残って人生を送る、という子もたくさんいます。

また一旦日本に帰ったものの、アメリカに戻りたいという事で、子供(この場合大学生以上)だけが再びアメリカに戻ってしまうというケースもあります。

日本で生まれて日本で育って日本に住む、日本で生まれて外国で育って日本に帰って住む、外国で生まれて、外国で育って日本に住む、これ以外にもいろいろな生き方をしている子供達がいるのでしょうが、一昔前では考えられなかった事です。

これから益々、このような子供達が増えていくような気がしてなりません。
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