神島、故郷の離島:12−04
三重県の志摩半島は”伊勢志摩国立公園”という事で、独特の景観があり、観光地で知られています。
一番有名なものは何と言っても伊勢神宮なのでしょうが、夏は志摩半島の南部は海水浴客でも賑わいます。

ですからこの地方には多くの観光旅館、民宿、個人の別荘、それにかつては多くの企業の保養所などがなどがありました。
伊勢志摩地方の売りはもう一つ、それは豊富で新鮮な魚介類を食べさせてくれるところとしてです。

私はオハイオから帰ってきて、これらの海の幸を食べたいという事で2回ほどホテル旅館に泊まりました。1人25000円以下の予算では居酒屋に毛の生えた、イエ、それ以下の料理しか出さない事がわかりました。
ヒドイ、に尽きます。
最近の伊勢志摩は観光地としての人気はかなり落ちているようなのですが、恐らくこれも原因の一つかな〜、と思ってしまうほどです。

その三重県の志摩半島の沖には離島があります。離島と言っても伊豆七島とか鹿児島県の離島とは違い、連絡船で30分〜50分で行ける距離で、それぞれの島には人が住んでおり生活が営まれています。
これらの離島はいわゆる観光地としての華やかさはありません。ここに行くのは主として釣りをする人です。

しかし、それぞれの島には民宿もあり、本土側のホテル旅館とは比べ物にならないおいしい海の幸を格安で食べさせてくれるという魅力があります。
と言うわけで行ってきました、故郷の離島”神島”へ。
鈴鹿を出発です

鈴鹿から鳥羽までは電車で行きます。
平日の9時ちょっと過ぎ、人は疎らです。もっともこの駅はラッシュらしいラッシュはありませんが。

土日などを利用して行くのは手軽なのですが、私は人混みがキライなので、平日に2日間の休みを取って行くことにしました。

電車は往きは特急を使わず、急行です。鳥羽まで850円です。
鳥羽の港(佐田浜)

鳥羽駅を降りて、港まで歩いて6〜7分です。ここは昨年の夏に答志島に行った時にも来ました。

神島までは和具港(答志島)経由で行きます。
思惑通り、乗客に観光客はいません。
もっとも鳥羽駅を降りた時も観光客は殆ど見掛けませんでした。

つまりここは観光地として明らかに寂れているという事です。鳥羽港から神島まで約50分、料金は710円です。
神島が迫ってきます

神島は周囲4km弱の小さな島で伊勢湾入り口の伊良湖水道のど真ん中にあります。
伊良湖水道は写真では島の裏側なので、往き来する船は見えません。

この船は伊勢湾フェリーで、愛知県の伊良子港と鳥羽港をつないでいます。
季節によって1日8往復から13往復もしていますから、完璧なド赤字航路に間違いありません。

でもこのフェリーのシルエット、なかなかかっこいいと思います。
神島港到着

和具港で人と荷物をさっと下ろして、その後神島に到着です。建物と民家が見えます。
ここは人口500人弱、産業は漁業のみです。

実はこの島、私が今住んでいるマンションから毎日見ているのです。
鈴鹿からは直線で50km、天気の悪い日以外はよく見えます。
毎日拝見しているところに、とうとうやって来た、という感じです。
「ちは〜ス」
島の案内地図

港を降りたのは10名もおりません、船着き場には荷物などを受け取りに島の人が何名か来ており、下ろした荷物をさっと引き揚げていきます。

港の横には観光用の大きな案内地図の看板があります。下にはちゃんと映画”潮騒”のカットが貼ってあり、ここが三島由紀夫の”潮騒”のモデルになった島である事を強調しています。

吉永小百合、山口百恵、、、やっぱりべっぴんさんですナ〜。
民宿”山海荘”

港から歩いて2分です。ここには結構有名人も来ていて中にはサンコンなんてサインもありました。
1階は食堂になっています。1年くらい前にテレビで紹介されて、その時のビデオでイメージを覚えておりましたので、フムフムという感じです。

こんにちは〜、、こんにちは〜、と呼んでも誰も出てきません。勝手に上がり込みます。
奥さんが上から下りてきました。
「ハイハイ、今部屋の掃除をしていますので、ちょっとお待ち下さい。」
昼食

私: 「島には昼前に着くのですが、どこか食事をするところはありますか」
奥さん: 「ありますけど、ウチで準備できますよ」
私: 「じゃ、お願いします。」


という訳で電話で昼食をお願いしてありましたので、島内観光に出掛ける前にこれを頂きます。
タコ飯、穴子の天ぷら、刺身、昆布に煮物、山菜の煮物などほとんど島でとれたものばかりです。

隣のテーブルでは本土から来たらしい、電気工事か何かの作業員も食事をしていました。
島内観光に出発です

民宿の昼飯を腹一杯食べて、荷物を部屋に置きます。
チェックインは午後3時らしいのですが、部屋に通してくれました。

島の地図をもらって、島内観光に出掛けます。
島は平地が殆どないので、家を建てる事ができるところは限られており、道は極端に狭く作られています。

誰もいません。静かです。
洗濯場

神島に水道が来るようになったのは1979年だそうで、それまでは水は島では貴重でした。
それまでは島の女性はここまで天秤棒をかついで来て、表層水で洗濯をしたそうです。
今は誰も使わなくなった洗濯場、きれいな水が静かに流れていました。

洗濯場の道を挟んだ前の家が三島由紀夫が”潮騒”を書くために1ヶ月の長きにわたり逗留した当時の組合長、寺田さん宅です。

表札はまだ”寺田”になっていました。
坂道を下りていく人

家は勾配の小さな山の斜面に建てられています。この人は野菜をしょって下りていきました。
島では耕作できるところには何かが植えてあり、狭い土地を最大限に活用しています

でも港の前の一部を除いて、殆どがこういう坂道ですから、生活をするのも大変だと思います。
民宿の奥さんによると、「子どもの頃からですから慣れています。」、とのことでした。
八代神社への階段(1)

214段の階段です。
これを上って行かなくては八代神社にたどり着きません。
下から見るとエーッという感じです。

八代神社は島巡りの中のハイライトの一つである事は知っていましたが、階段が214段あるというのはあとで知りました。

どれだけあるのかわからない長い階段というのは、やはりちょっと不安になります。
八代神社への階段(2)

嫌がるカミさんを連れて階段を上がり始めましたが、早くもカミさんは休憩です。

半分くらい行ったところで神社が見えましたので、一安心です。
この日は気温が17〜8℃でしたが、ここで先ず一発目の大汗をかきました。

私は今10階のマンションに住んでいますが、時々歩いて上がります。これが150段くらい。
214段はやはり結構きつかった。
八代神社

ここには海の神様「綿津見命」が祀られているそうです。

三島由紀夫は毎日のように寺田さんの家からここまでお参りに来ていたそうです。

一回上ったら、もう二度と行きたくない、などというキツイものではありませんから、毎日上っていれば体力もついてくるから、ま、運動にはいいかな。
ゼイゼイ。

念のために付け加えますと、私は1回の休憩で一気に上りきりました。
トランシーバー

神社の海抜どれくらいでしょうか。100mくらいでしょうか。伊勢湾の入り口の孤島ですから見晴らしは十分。
持ってきたアマチュア無線用のトランシーバで鈴鹿にいる友人を呼び出してみました。

トランシーバーはタバコ大、アンテナは20cmもない長さですが、バッチリ交信できます。
鈴鹿までは直線距離で50km以上ありますがら、驚きです。
灯台への坂道

神社で一服して次の目的地である灯台に向かいます。早くもカミさんのペースがダウンしています。

灯台までの階段の左右は平らに作られており、恐らく灯台に必要な機材とかを運搬しやすくするためだと思われます。(車輪付きの運搬機が使える)

汗はかきますが、湿気はなく気持ちのいい日です。
神島灯台

ここの灯台は歴史があり、江戸時代前期に灯明台が作られ、明治6年に近代灯台になり、その後菅島灯台が役割をとって代わり、廃止されました。

ところが明治後期に日本海軍の戦艦が伊良子水道で座礁したためやはり必要であると判断され、再び新しく灯台が建築されたそうです。

またここでは日本最初の無線電話の実験が対岸の伊良子との間で行われた場所でもあります。
伊良湖水道

伊良湖岬との間が伊良湖水道です。
ここは日本三海門(他二つは鳴門海峡、音戸の瀬戸)の一つで、海の難所です。

神島と伊良湖岬の間は4km程ありますが、暗礁が多く、大型船が通れるのは僅か数百メートルしかないそうです。

この日は少しモヤがかかっており、伊良湖岬はくっきりとは見えませんでしたが、実に素晴らしい眺めです。
灯台から監的哨へ

この島は上り道しかないのか!と思うほど上り道ばかりです。
夏に神島に来て、このコースを歩くとなると結構大変かも知れません。

ペットボトルと汗拭きのタオルは必須です。
アブとか蜂も結構多いので、虫除けスプレーも必要でしょう。

灯台から監的哨まではゆっくり歩いて十五分くらいです。
旧陸軍監的哨

昭和初期に建てられた軍事施設跡です。
これは伊良湖岬から発射された砲弾の着弾観測をするための施設だったそうです。

二階の上に登ってみたかったのですが、立ち入り禁止になっていたので、諦めました。

ここには兵隊さんは常駐していたのでしょうか、それともその都度出張で来ていたのでしょうか。
こんなところに勤務できた兵隊さんは幸せですね。
監的哨から伊良湖水道を望む

伊良湖水道はびっくりするくらいに多くの船が行き交います。
これは自動車運搬専用船です。
喫水は2/10くらい、つまり空バケツ(何も積んでいない)です。
専用線は名古屋港か四日市港に入港するのが鈴鹿のマンションからもよく見えます。

ここまで来て初めて人と出会いました。反対側から一周コースを歩いてきた人でした。
カルスト地形と海岸

監的哨を出て少し下ったかな、と思ったら突然この風景です
おかしいな〜、あんなに上りばっかりの道を来たのに大した下り坂もなく、海岸に出てしまいました。
目の前は太平洋です!

屋根付きの休憩所があったので、ここに腰を掛けて一休みです。
この日は天気を心配していましたが、晴れて本当によかった!
小中学校

小中学校は港のほぼ反対側、つまり集落の反対側にあります。
これは集落の付近には学校を建てるだけの平地の空きがなかったので、ここに建てたそうです。

後で聞いた話によると現在小学生十二人、中学生八人がここに通っているそうです。
高校に行くには毎日船で鳥羽まで通わなくてはなりません。
クラブ活動

学校の中を通って行きましたが、職員室には先生が二人見えました。
校舎の横では運動着を着た中学生が七人(殆ど全校生徒!)座り込んでおしゃべりをしている様子でした。
この後、ランニングの練習をしている女子生徒に会いましたので、全員の姿を見た事になります。

こういう子達は島を出たとき、環境の変化をどのように受け取るのでしょうか。興味があります。
やっと戻ってきました

学校を出てまた上り坂です。この島は絶対におかしい!! 本当に上り坂しかないのだから。
と、間もなく集落が眼下に見えてきました。

民宿を過ぎて船着き場に行ってみます。時間は既に4時。
鳥羽への最終便は出たあとで、鳥羽からの最終便が1便着けば、この日は終わりです。

港も通りも人影は少なく、静かな街です。ゆったりと時間が流れている感じです。
夕食(1)

お風呂は4階にあり、伊勢湾を見渡しながらお湯に浸かれました。最高の気分です。

さてお待ちかねの夕食です。
出ました!!長さ80サンチの船に刺身が盛られています。鯛、伊勢エビ、ホラ貝、サザエ、それにイカです。これで2人前です。
こりゃ、食いきれんわ。

液体燃料は麦ジュースで始めて、直ちに米の汁に切り替えます。堪りません!
夕食(2)

刺身以外に特大の煮魚、天ぷら、カニ、サザエのツボ役、酢の物、蒸しエビ、煮物、等々。

私: 「ところでお値段は?」
奥さん: 「1泊2食で8千円からです。1万円以上だと舟盛りが付きます。1万5千円まで作ります」
私: ちょっと考えて、、、「じゃ1万2千円くらいで」


という宿泊申し込み時の電話のやりとりの結果がこれでした。悪くはないと思います。
朝飯(1)

夕食で言えるのは、あれだけ魚、魚、魚で攻めまくられたのに、全く生臭みがない点です。
本当に鼻の中に魚を突っ込んだとしても微塵だに匂わないのです。
つまり新鮮だからです。

朝食は普通かな?
と思ったらこれも結構豪華でした。
朝食(2)

伊勢エビでダシをとった味噌汁。これは伊勢志摩の民宿の定番ですが大きさが半端じゃないのです。でっかいドンブリで出てきました。

食べ始めたら奥さんが、「はい」、直径30cm以上の皿に山盛りのカブト煮を持ってきました。
昨夜の刺身にした鯛だと思いますが、でかい!

箸でほじくり返すと、いくらでも身が出てきます。これでお腹が一杯になるくらいでした。
パラボラアンテナ設置

食事のあと散歩に出掛けました。
何かやっています。
何をしているのか、監督さんに聞いてみました。
海底ケーブルが故障したので、修理ができるまでの間、各種通信回線を衛星に切り替えるので、その工事をやっているとの事。

離島と言えども本土と同一のインフラを維持しなくてはならないのです。
インターネットはこの島はケーブルテレビでサービスされていると監督さんは言っていました。
港付近散策(1)

ここは結構立派な港があります。
鳥羽までの船には11時35分に乗るので2時間以上の時間があります。

この島にはかなり立派な港があります。港付近をブラブラしてみる事にしました。

大量のタコ壺があちこちに置いてあります。神島はタコでも有名なようです。
港付近散策(2)

しばらく歩いていくと懐かしいタイプの漁船がひっそりと浮かんでいます。

昭和20〜40年代に使われたタイプです。かつて漁船と言えばこのタイプでした。
レーダーもなく、無線機1台で僚船、陸地と交信をしながら漁をした船です。

使われなくなって久しいのでしょう。係留索にはびっしりと海草、フジツボが付いていました。
港付近散策(3)

漁師は夫婦で働きます。漁船に夫婦で乗るのは普通です。その他、網の手入れ、水揚げされた獲物の整理、漁師町はみんなで働きます。

この4人のご婦人方、大きな声で噂話をしながら網の手入れをしています。
「よっちゃんがこの前よ〜、、、、」
「アハハハ、、、」

若い人はあまり見掛けません。やはり若い人は島を出て行く人が多いそうです。
港付近散策(4)

最新式の漁船。延縄漁をやる漁船のようです。
レーダーを装備、操舵室には魚群探知機、などの装備が見えます。

こういう漁船は伊勢湾を出て熊野灘とか遠州灘などに出て漁をするのでしょう。
問題はやはり漁師になり手が少ない事で、遠洋漁業では既に外国人を雇って漁をしている船も少なくはありません。

近海漁業もそうなるのは時間の問題でしょうか。
港付近散策(5)

堤防の上では何人もの人が釣りをやっています。その中の一人と話をしてみましたが、松坂から来たと言っていました。

ここはよく来るそうで、このように穏やかな日は少ないと言っていましたので、神島にはよく来るのでしょう。
獲物は、、、バケツの中はまだ殆ど空っぽでした。

島には4〜5軒の民宿があるので、釣り客は私達とは別のところに泊まったのでしょう。
港付近散策(6)

さざえの大漁です。
漁師仲間でしょうか、「ええとこ行ったのう」、盛んに岸壁から声を掛けていました。

水揚げされた獲物は午後1時からのセリに掛けられて売られていきます。

残念ながらその前に鳥羽行きの船に乗ったので、セリは見学できませんでした。
神島から鳥羽へ

着いた日は島の中を散策し、夜は海の幸を頂き、翌日は港をブラブラして帰ってきました。
泊まったところは結構清潔な民宿で、快適に過ごす事ができました。

三島由紀夫のようにはいきませんが、1週間くらいこういう民宿でブラブラと過ごすのも悪くはないな〜、と真剣に考えているところです。
鳥羽一番街

定期船は予定どおり鳥羽に着きました。駅の横にある一番街に行ってみました。
これだけ広い土産物屋に客は誰もいません。
土産を買った店員さんにちょっと聞いてみました。

私: 「いつもこんなに客は少ないの」
店員さん: 「そうなんです!何とかして下さい!」
私: 「でも間もなくゴールデンウイークですから」
店員さん: 「はい、神様、お客様が来るように、、、


面白い店員さんでしたが殆どギブアップという感じでした。
伊勢エビもヒマそう

伊勢エビを宅配してくれるお店です。去年の8月に来た時も2匹いました。
この伊勢エビもヒマそうで、ひょっとしたらその時からいる伊勢エビと違うんか?
と、思いたくなるような雰囲気でした。

3階の食堂街は昼飯時という事もあってパラパラと客はいました。
あと10年、いや5年したら一番街はどうなるんでしょう。
鳥羽から鈴鹿まで

帰りは特急です。特急は急行に比べて10分程早いのですが座席がうんと快適です。
座席はガラガラで、乗車率は20%くらいと言ったところでしょうか。

鳥羽までは車で行くよりも電車で行く方が楽だと思います。
私はぼんやりと外の風景を見ながら電車に乗るのが大好きです。
これからこの電車に度々乗る事になりそうです。
てこねスシ

神島の民宿を出発するとき、奥さんが渡してくれました。
「てこねスシを作りましたので、帰りに召し上がって下さい。」

昨夜は鯛の刺身を食べきれずに残したのですが、それを使って作ってくれたようでした。

てこねスシとは漁師が舟の上で作るスシで、獲れた魚を刺身にして醤油とみりんに浸して、すし飯にぶち込む、という豪快なものです。
おいしかった〜!奥さん、ありがとう、、、。
マンションから毎日見ている神島、やっと訪れてきた、という感じです。四日市港、名古屋港から伊良湖水道に向かっていく巨大船、また水道を抜けて港に向かう船もよく見えました。
これらの船を神島の灯台とか監的哨から見ると、極端な言い方をすると眼下に見える、という感じでした。

私はこういう風景はいつまで見ていても飽きません。
あの貨物船はどこに行くのだろう、あのタンカーはペルシャ湾から来たのかな、あのコンテナ船のコンテナには何が入っているのだろ、、、船を眺めながらそんな事をぼんやりと考えるのが好きです。

神島は静かな島で、何もしないでゆっくりと過ごすには最高のところだと思いました。但し、何もしないで過ごすとは私にとっては読書と散歩と液体燃料注入は含みません。

最近そういう過ごし方をする時間をちょっとだけ持たせてもらおうか、という気持ちになってきました。
ン?そんなのは10年くらい先でもいい?そうかも知れませんね。
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