質問をする、、、 : 日本では御法度なの?
教育実習

下の娘はコロンバスの高校を卒業して丸3年。ある国立大の人文学部に通っており今4年生、教育学部ではないのですが教職課程の単位を取っております。
4年生になると教育実習があり、普通は自分の母校に行って実習をするのですが、娘の母校は埼玉県。実習中の住まいとかの関係で、今住んでいる近くの中学校を大学の先生から紹介をしてもらいました。

実習期間は約1ヶ月、実習先は三重県津市のKH中学でした。
かなりアメリカ的な感覚を残した女子大生が、かなり保守的な県の、しかもかなり閉鎖的な世界である、「教員社会」、でいろいろな経験をしてまた一つ成長をしました。

私は娘の教育実習中には毎日のように電話を掛け、その様子を聞き、そしてその後娘に会って話をいろいろと聞き、私なりに考えるところがありましたのでこれを書いてみました。
アメリカの高校を卒業した日本の大学に通う娘が経験した、日本の地方都市での中学校における教育実習とは、、、、。
教育実習開始

学校に行くと実習生を指導する先生を紹介され、その先生のクラスを担当する事になります。娘は英語を教える事になっており、指導の先生も英語の先生でクラスは1年生。
娘はアルバイト先の学習塾で個人授業はやった事があったのですが、大勢の前で教壇に立つのは何しろ初めての経験。随分緊張したようです。

「君は自分を良く見せようと背伸びをしている。」
これが指導教員からの最初の言葉だったそうです。緊張した実習生が教壇の上で必死になって授業をやっているのですからぎこちないのは仕方ありませんね。

2番目に指導された事は、
「授業では英語を教えるのではなく、英語に興味を持たせる事が大切で、これを工夫して授業をしなさい。」
そうか、その通りだな、興味のない教科なんて誰も勉強そのものをやろうという気になりませんからね。

「英語は言葉です。授業の中では生徒と対話をしながら進めること。一方的にしゃべるのはダメ。」

最初のうちはこのような極く一般的な指導を受けながら教育実習はスタートしました。
指導を受けて、その内容に対し自分の意見を言い、また指導教員の意見を聞き翌日の授業に反映をする。新しい事を覚えるための師弟関係にある人間が取る極めて一般的なプロセスです。

問題はこのような指導に対して、娘はかなりしつこく質問をした事で起きてしまったようなのです。
質問とは

娘は指導教員に、どのような内容の質問をどのようにしたのか。詳しくは知りません。授業が終わった後、かなり長時間指導教員から指導を受けたようです。

そのような中で1週間目くらいから、段々とその指導教員の機嫌が悪くなって、とうとう眉をつり上げて怒り出したそうなのです。

そして2週間目に、
「バカヤロー!!オレの言うことが聞けないのかー!」
とそのセンセイ、突然キレてしまったのです。
これには娘も一瞬何が起きたのか、耳を疑ったそうです。同時にナゼか悲しくなって、少し涙ぐんでしまったそうです。

この時までにいろいろと私は娘からやりとりを聞いておりましたが、どうも指導教員の指導内容は非常に具体性を欠いたもので、極端な言い方をすると禅問答に近いようなもの。私は、質問が出るのは当然のように思えました。

しかしよく考えてみると、そのセンセイは「質問=反抗」と捉えたフシがあるのでした。
日本人の社会では目上の人が何かを言ったとき、それが例え殆ど理解できない場合であっても質問をしてはイケナイという不文律のようなものがあるのは、我々日本人は知らず知らずのうちに身に付けています。

だから我々は目上の人の話は、「ジーッと聞く。」。質問は目上の人に恥をかかせるものである
なぜなら質問というのは、その目上なりの人の話す内容が不完全であってよくわからない、あるいは自分の疑問等に対して的確に答えていない、つまりその目上の人の不完全さを追求している事になるからです。

だから日本の社会では目上の人には質問をしてはイケナイのです。ありがたく聞いているフリをしていなくてはならないのです。
アメリカ社会での質問の意味

ズバリ、アメリカでは質問をしない聞き手は、「バカ」、か、「全く理解できていない」、かのどちらかに取られます。ですから聞き手はそれがものすごく目上の人であっても、大抵の場合は質問をします。
そして受けた方はこれに答える義務があります。

質問に答えられないというのは、その言っている内容に説得性がない事を意味します。質問に答えるというのは、「私は何にでも答えられる。」という自信を表す機会でもあり、質問が出る程その内容は評価される事が多いような気がします。

また質問が出ない場合は、徹底的に相手が理解をしたか、徹底的に相手がその内容を無視したか、どちらかです。
アメリカの学校では質問の仕方を教えています。
この場合、質問というより、相手の言っている事をどこまで理解したかを表現する、と言った方がいいかも知れません。

「Anyone questions?」
という問いに対して、「私はあなたの今の内容に対して、本当にそのとおりだと思います。」、というような意見、所見を述べる事も多くあります。

極めつけは質問に対して、答えられない時に
、「That's Good question.」、と答える場合です。直訳すると「そりゃ、イイ質問だ。」になりますが、違います。(映画の字幕には時々このような訳文が出ていますが。)
「君は痛いところを突いてきたね。」、という意味です。この場合は質問をする側も、答える側も両方がニヤッと笑って受け答えをする事もあります。

またとんでもない質問が飛び出したとき、あるいは全くの基本的な事がわかってない質問などの場合は、
「何々に書いてある事をまず読んで下さい。それでも同じ質問をあなたが持った場合は、もう一度聞きに来て下さい。」
というような言い方をします。

いずれもどのような立場の人でも、質問に対して、
「お前、バカか!こんな事もわからんのか!今まで何を勉強してきたのダ。」、とか
「何年この仕事やってんダ!お前みたいなヤツは一からやり直しだ。オレに質問は10年早い!」
的な答えはありません。

質問は教える側と、教えを受ける側のお互いのレベル差、認識の違いをお互いが具体的に把握する重要なイベント、行為なのです。
どうすればいいの?

娘は教育実習という中で、指導教員に、「バカヤロー!!オレの言うことが聞けないのかー」、という返事を受け、更に職員室のど真ん中で怒鳴られ、罵倒され、かなりショックを受けとうとう1日学校を休んでしまいました。
そのセンセイは質問を、「自分をバカにされた。」、と受け取るタイプの人だったようです。

最後には、「君は英語力はあるけど、指導力がない。」、とか、「いいかっこしてるんじゃない。」、「生徒は英語が好きになっているのではない。お前が好きになっているだけだ。勘違いするな!」、とかのイジメの世界にまで発展してしまったようです。これらは全て娘の、「質問」、に起因していたようです。
3年間とはいうものの、アメリカの高校で教育を受けて育った娘。ちょっと日本流ではないところがどこか残っているようです。

会社でアメリカ人にこの話を少ししてみました。
「これはアメリカでもあるよ。但し、小さい子どもの世界だけだね。」
「相手を教えて、納得させるのがセンセイでしょ。本当にその人はセンセイなの。」
というような答えが返ってきました。

アメリカ流がいいとか、日本流がいいとかの前に(教員になるにせよ、どこかの会社に勤めるにせよ)娘は(多分)日本で生活する事になります。 
娘の、「どうすればいいの?」、に対する私の答えは今のところ、「That's Good question.」、にしてあります。
いろんな方法はありますけどネ。今度教えてあげます。
実習が終わって

13才の中学1年生と過ごした1ヶ月。
恋の悩み(?)も聞かされたそうです。「先生、好き。」、とも言われたそうです。(ん、オレに似てカワイイもんな。)

娘は最後に全員から実習期間中の感想文をもらいました。
「先生の話を聞いて、英語を勉強してアメリカに行ってみたいと思いました。」
「XX先生より分かり易かった。」
とか書いてあったそうです。イヤな思い出もあったでしょうが、娘の宝物に違いありません。

そして実習が終わった次の週、生徒の何人かとカラオケに行ったそうです。誘われた時、教頭先生に相談の電話を掛けたら、「是非行ってやって下さい。お願いします。」、と言われたそうです

教育実習の先生と生徒がカラオケに行く、この辺は私にはちょっと理解できない世界でもあります。
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