イタリア (その2) 0907
イタリア旅行の後半はいよいよピサの斜塔で有名なピサ、フィレンツェ(フローレンス)、ベネチア(ベニス)、ミラノというイタリア北部の各都市です。
イタリアはローマを境にして南部イタリアと北部イタリアに区分され、住む人の気質・習慣もかなり違い、私達のガイドさんによればそれぞれ仲もかなり悪いそうです。

例えば南部はオフィスとか商店は朝9時頃に開き、午後1時に一旦占めて昼休みをとり、再度3時〜4時に仕事を始めて6時から7時頃に終わるというパターンだそうで、これだとなかなか大企業による産業が成り立ちにくい訳で、従って工業化は北部に集中し、結果として南北の経済格差がかなりあるそうです。

グループツアーも3日目くらいを迎えるとメンバー間も会話が弾むようになり、お互いに親しみがわいてきます。今回の最高年齢の方は76才の男性、50才から60才くらいの方が中心のような感じでしたが、新婚さんが5組10名みえ、平均年齢をぐっと引き下げておりました。

後半もお天気に恵まれ、順調に日程をこなす事ができました。以下、そのスナップショットです。。
私達のバスです

イタリアのバスはちょっと変わっています。バス自体が変わっている訳ではなく、乗り方のルールです。

・車内で物を食べてはいけない。理由はズバリ、汚すからだそうです。今度も車内でビールを一杯やろうと”柿の種”を持ってきたのに、残念。
観光バスって半分は宴会やるのが目的と違うの?

・駐車場で停止中はクーラーを入れない。詳しい理由を聞くのを忘れましたが、見学が終わってバスに乗り込んだ時は、サウナ状態です。
ピサ(1)

ピサと言えば”ピサの斜塔”、これしかありません。ピサの斜塔は高さ55m、傾きは4°弱で一時期この傾斜が増加して、倒れる事が予測され問題になりました。

この斜塔12世紀から14世紀にかけて3回に分けて建築され、1回目の工事が終わった時点で傾き始めたそうです。

ですから14世に工事された一番上の部分は地面に対してちゃんと垂直になっています。
これは知りませんでした。
ピサ(2)

この斜塔にはお金を払って上る事ができます。

階段は約300段あり、パンフレットには体力のない人は上らない事、高所恐怖所の人は上らない事、階段は滑りやすいので注意の事、等と細々と書いてありました。

私は上りませんでしたが、上った人の話によるとなかなかスリルがあったとの事でした。
ピサ(3)

大聖堂で、やはり12世に建てられたものです。これは傾いてはおりません。
そう見えるのは写真の都合です。

ピサは市内も観光名所がいっぱいあるそうですが、やはりここが超有名、たくさんの観光客が押し寄せていました。

建造物群から離れた通りはずらっと土産物屋が並んでおり、ちょっと興醒めでした。
ピサ(4)

大聖堂の中の天井です。素晴らしい装飾がされています。

ピサは天才ガリレオ・ガリレイとは切っても切れない関係にある場所です。
まず落下の法則を証明するために斜塔の上から重さの違う玉を落とした、という話。
(それまでは重いほど早く落ちる、という事になっていた。)

もう一つはこの大聖堂にあるシャンデリアの揺れを見て振り子の等時性を発見したという話。

こういう物語を子供の頃、何度となく本で読み、そしてヒゲのお爺さん(ガリレオ)とピサの斜塔の写真を飽きることなく眺めておりました。

その場所に実際に来たのですから、ちょっぴり感傷的になってしまいました。

ガリレオとピサの斜塔、ガリレオと大聖堂のシャンデリア、これは作り話、なんて言わないで下さい、ガイドさん。
ピサ(5)

斜塔等の見学が終わり、集合場所の城門の南側入り口付近に行きます。
城壁の外は土産物屋とかレストランがずらりと並んでいます。。

おいしそうな果物を売っている店がありました。カミさんによるとオハイオと同じくらいの値段だとの事でした。
イタリア旅行中、訪れた町のあちこちでこのように果物を売る人を見掛けました。
ピサ(6)

お土産の物色です。

日本からみえたある新婚さんカップルの話によると、新婚旅行に行った時のお土産は、会社で自分の属するグループだけではなく、オフィスのフロアーの全員に配るというルールになっており、これをそろえるのが大変、と仰っていました。

この場合、ほんの気持ち程度でもいいそうなのですが、全員となると大変です。
ちなみにフロアーには100人くらいの社員がいるそうです。
フィレンツェ : ミケランジェロ広場(1)

アルノ川の南東に位置する小高い丘でダヴィデ像が立つ広場があります。
ここからフィレンツェ中心部の町並みが一望できます。

ミケランジェロはそのの彫刻を知らない人はまずいないというくらいに有名な芸術家です。
ちょっと調べましたら、1475年生まれで1564年に亡くなるという当時としては非常に長寿であった人です。

ミケランジェロが生きた時代を日本で言うと、室町時代から戦国時代になります。
フィレンツェ : ミケランジェロ広場(2)

町の眺めは素晴らしく、レンガ色の屋根が連なり、実にきれいです。
この日は空気も澄んでいてトスカーナの山並みもくっきりと見えました。

イタリアは第二次大戦で国土が戦場になっており、フィレンツェもドイツ軍がいたのですがドイツ軍は橋を破壊しただけで戦闘になる前に退却し、大部分の建造物は被害を免れたそうです。
フィレンツェ : 昼食のレストラン

この日の昼食は何と中華レストランでした。
8日間の旅行中、日本食は一切口にせず、唯一この日の昼食だけが米粒を口にした日でした。

私が日本食を食べなかった日数の記録は、同じくヨーロッパに会社から出張した時で、3ヶ月間で日本食を食べたのは2回だけというのがあります。

カナダに日本から出張した時に、連れの日本人が夜中に、「うどんが食べたい!」、と言い出して困った事があります。
フィレンツェ : 町並み

フィレンツェは日本の京都と姉妹都市で、古くからの商業都市です。

ここの出身で有名な人はミケランジェロ以外にレオナルド・ダビンチ、それにアメリゴ・ベスブッチとい人がおります。

アメリカ大陸の発見者はコロンブスという事になっていますが、コロンブスは今の西インド諸島を発見したのであり、大陸そのものの発見はアメリゴだったようです。
フィレンツェ : ドウモ

これは正式にはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂というそうです。
白大理石にピンクとグリーンの大理石が模様として使われ、独特のデザインに仕上がっています。

イタリアに来てこういう建築物をいくつも見たわけですが、たいした建築機械もない時代にどうやって建てたのだろと、不思議に思ってしまいます。

実際にこれは1300年頃から140年という歳月をかけて作られています。
フィレンツェ : シニョリーア広場(1)

ここの広場には多くの彫刻作品が並んでおり、野外美術館のような感じになっています。

どこへ行っても広場には警察がパトカーでいますが、あまりあてにならないそうです。

広場はスリ、引ったくりが多く、ジプシーと呼ばれる連中が特に要注意だとガイドさんから教えられました。
ジプシーは子供を含むグループでの犯行が多く、神業のような手口でスリをやっていくようです。
フィレンツェ : シニョリーア広場(2)

広場の周りにはカフェが並んでおり、休憩をするには最適です。

この広場にはウフィッツィ美術館が隣接しており、超有名作品が山と展示されています。
この美術館は18世紀にギャラリーが公式に開館されたとありますから相当に古い美術館です。

私も見学をしましたが、館内は一切の写真撮影が禁止なので、全作品収録の公認ガイドを購入してきました。
ベネチア : さあ出発です

ベネチアは水の都、ゴンドラ、ベニスの商人etcで世界中の人が知る超有名観光地です。
フィレンツェからバスに揺られて3時間半で着きました。
ベネチア本島に行くには、更に船に乗り換えて行きます。

観光6日目、この日もジリジリと太陽が焼き付き、気温は軽く30℃を超しています。
ベネチア : さあ到着しました

船着き場からサンマルコ広場の方に歩きます。
広い通りも観光客であふれています。

運河を通って来る間に10万トンクラスのクルーズ船が何隻も入港していましたので、ここからの上陸してきた観光客が相当にいると思われます。

周りを見渡すと今まで写真でみたベネチアそのもので、感激です。
ベネチア : 路地に入ると、、、

ちょっと路地に入るとこんな感じです。小さな土産物屋土産物屋とかレストランが並びます。

見学の前に昼食をすませます。
ここでイカ墨のスパゲッティーを食べました。歯は江戸時代のお歯黒状態、口の周りも黒くなってお互いに大笑い。

でもそんなに騒ぐほどの味ではないと思いました。
と言うより、雑食系の私も口に合う味ではありませんでした。
ベネチア : サンマルコ寺院

運河沿いには大きな広場があって、その東側に位置します。
11世紀に建てられ、その後幾度となく改修されて現在の形になっているそうです。

院内、院外のいろいろなものは、十字軍遠征であちこちから略奪してきたもので、その後フランスに持ち去られたものとか、説明を聞いていても頭がクラクラしてしまいます。
ベネチア : ガイドの”銀ちゃん”

ここでの現地説明員は、シルバー何とかという名前で本人曰く、「皆さん多分私の名前は発音できないと思いますので”銀ちゃん”って呼んで下さい。」、でみんな、「銀ちゃん、銀ちゃん」、で通しました。

ほぼ完璧な日本語と、ユーモアーで今回最高の現地人ガイドでした。
大学で本格的に日本語を勉強して、日本にも住んだことがあり、マスコミ関係の仕事をしながらガイドもやっている、という人のようでした。
ベネチア : 運河の中の寺院

サン・マルコ運河の向こうに見えるのがサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。

どういう由来か、名前だけがメモで残っているのでわかりませんが、青い海と空、白い雲、そして茶色の建物のコントラストが素晴らしかったので1枚撮ってみました。

こういう場合は小型のポケットデジカメの限界を感じます。
ベネチア : どこだか忘れました

サンマルコ寺院を出たところなのか、どうだったか”銀ちゃん”の漫談に聞き惚れてメモがありません。

ドウカーレ宮殿のどこかかも知れないし、よく覚えておりません。
これだけ短時間でパーッと連れ回されては位置関係も定かではなくなります。

これは短い時間になるべく多くの場所を見るという、グループツアーの欠点かも知れません。
ベネチア : 小広場

たくさんの人がいます。小広場から大広場にかての建物には土産物屋とか、カフェがずらっと並んでいます。
生演奏を聴かせているカフェもありました。

周りにいる人を注意深く観察してみましたが、ジプシー風の連中は見掛ける事はできませんでした。
また警察官は一人もいないのは、他の観光地の広場とはちょっと違う点でした。
ベネチア : ゴンドラに乗る(1)

これに乗るために今回のイタリア旅行に日本から来た、という新婚さんカップルがみえました。

普通は一艘に2人の客を乗せて、50分くらい迷路のような水路を回っていくのですが、私達の場合一艘に5人、時間は30分程という簡略バージョン。

簡略バージョンなのでなので、船頭さんは歌も歌ってくれません。
ま、仕方ないか。
ベネチア:ゴンドラに乗る(2)

乗り心地はともかく、この風景は絵になります。

橋の下を順番にくぐっていきますが、運河の横の殆どの建物には実際に人が住んでいます。
よく見るとかなり生活の香りが漂っています。
洗濯物なんかも干してあったりします。

水は決してきれいではありません、と言うかはっきり言ってもの凄く汚いです。
ベネチア : ベネチアングラス

ベネチアの有名品としてはベネチアングラスがあります。
ワイングラス、デカンタ、花瓶、飾り物、置物等いろいろとあります。

装飾はかなり派手で、飾り物のな場合、日本の家に置くとちょっと浮いてしまうかも知れません。

と言いつつ、結局ぐい飲み風のショットグラスをペアーで買ってしまいました。
ベネチア:休憩です

日差しは強いし、暑いし、少し歩くと汗だくです。
カフェで一服することにしました。
ビールがコップ一杯7EUR(1000円くらい)、ファンタが5EUR(750円くらい)です。

全ての物資を船で運んで来るという事情があるので仕方ありませんが、それにしてもちょっと高すぎる感じです。

高いと言えばゴンドラ、50分で100〜150EURだそうで、2万円もします。
ベネチア : ア・ツ・イ!

お天気は最高です。でも暑いのがタマにキズ。
私はサングラスは使わない(と言うか、使わなくても問題ない)方なのですが、ここでは眩しくてずっと使ってしまいました。

首にはタオル、土方スタイルという人もおりますが、汗かきにはこれが一番です。

ビールもどんどん進みます。昼2本、休憩で2本、夕食で2本。ちょっと飲み過ぎかなー。
ベネチア:世界中からの観光客

ここには本当に世界中から人が来ています。

”銀ちゃん”曰く、「フランス語しゃべれますか?土産物屋に行ってフランス語で買い物してみて下さい。直ぐに値段が2倍になります。ここはイタリアですからね。」

イタリアとフランスはムチャクチャに仲が悪く、何かにつけてよくもめるそうです。
日本と某国みたいなもんですかねー。
ベネチア:さようなら、ベネチア

やがて集合時間となりました。
もう少し時間があれば、サンマルコ広場の鐘楼に上りたかったのですが、言い出せばキリがないほど見るところはたくさんありました。

銀ちゃんはしみじみと言いました。
「13世紀から15世紀にかけてベネチアは強力な海軍力を持って、地中海、黒海などからあらゆる物をかっぱらってきて栄えたところですからねー。昔のイタリアはスゴかった。」

ナルホド。
ベネチア:巨大クルーズ船

今や世界はクルーズ船の大ブーム。ここベネチアにも巨大船が何隻も入港していました。

しかしこの巨大さは一体何なのでしょうか。ぱっと見ると船と言うより、ホテルが浮かんでいる、という感じです。
乗船の費用はリーズナブルで、船室のクラスにもよりますが大体1日1万円相当もみておけばいいそうです。

この日は港から10分くらいのところにあるホテルに宿泊でした。
今日のお土産屋さん

ベネチアのホテルを7時半に出発、ベローナ経由、ミラノに向かいます。

出発してしばらくしてから、早速お土産屋さんに入ります。今日が実質的な観光は最後の日なので、相当に買い物をされる方がみえました。

カウンター横にパンフレットが積んであったので、覗くと日本語、韓国語、中国語の3種類が置いてありました。
東洋人専用のお土産屋さんのようでした。
ベローナ(1)

ベローナと言ってもピンと来ないでしょうがここはロミオとジュリエットの舞台になった町です。

今は農産物の集積地で北イタリアの交通の要所らしいのですが、ここにはローマ時代のコロッセオとか要塞、城壁があります

通りには観光客も少なく、イタリアの普通の町並みを見ることができました。

ここでもイタリア人女性のガイドさんが案内をしてくれました。
ベローナ(2)

ここがロミオとジュリエットの話のジュリエットの家という事になっています。

ロミオとジュリエットはシェークスピアの戯曲で有名ですが、オリジナルはここのベローナを舞台にして、イタリア人が書いたお話だそうです。

そしてそのお話は実話に基づいて書かれたという事で、そのジュリエットの家がここという事でした。
(なんかどこまで実話で、どこから小説なのか、混乱しそうでした。)

私もオリヴィア。ハッセーがジュリエット役をやる映画を多い出せないくらい以前に見た事があり、ストーリーは覚えています。

ロミオとジュリエットはウエストサイド・ストーりーの原作にもなっていたと記憶しています。
ベローナ(3)

確か市庁舎だっと記憶しております。左右にも古い建物が残っています。

観光7日目になると、どこの町のどの建物が何だった、というのがグチャグチャになって後で写真とメモを見てもよく思い出せません。

まあそれはともかく、ガイドさんの案内をフムフムと聞きながらゾロゾロと後をついて行きます。
ベローナ(4)

広場に出ると市場が出ており、野菜とか果物を売っていました。
真ん丸な茄子とか、特大の黄色のピーマンとか日本では多分あまり見掛けない野菜が置いてありました。

土産物屋も店を出し始めておりましたので、やはりこの町にもそれなりの観光客が来るようです。
ベローナ(5)

ベローナは古代ローマ時代は植民地で、その後12世紀に自治都市になったそうです。

ローマはどうやって領土をひろげていったか、その方法は非常に単純明快だそうです。
まず強力な軍事力でその地方を征服する、そして駐屯して道を造る、次に自分たちに住みやすい環境(家)を作る、市場を作る、、、、だそうです。

ただ破壊と搾取だけをやっていたのではあれだけの勢力の拡張はなかった、という事らしいです。
ベローナ(6)

ベローナにはローマ時代に作られたコロッセオがあり、ローマのコロッセオより規模は小さいのですが保存状態が良いとの事でした。

驚くべき事はこのコロッセオを使って今でも国際的なオペラが上演されるとの事でした。

後で調べましたら、イタリアオペラ鑑賞ガイドの中にちゃんと入っておりました。
北部の田舎風景

ベローナからミラノに向かう途中はこのような田舎の風景がずっと続きます。

アメリカの農村風景は広大そのものです。桁違いの広大さです。

昨年の夏、ドイツの農村を同じくバスで走りましたが、ドイツの農村はあまりにもきれいでした。何もかもきちんとし過ぎていました。

それに比べるとイタリアはちょっとゴチャゴチャしていて、日本の農村風景に近いと思いました。
ミラノ(1)

ミラノは稚内と同じ緯度です。オハイオのコロンバスとも同じくらいです。

ミラノはファッションの街というイメージがありますが、イタリアの工業の中心地でイタリアの経済を担っているところだそうです。

ここまで来るとナポリとか、その南のイタリア人とは同じイタリア人でも、別人種と言っていいくらい気質・生活習慣・経済的なレベルが違うそうです。
ミラノ(2)

この城も名前が思い出せないし、メモにも残っていませんが、きれいな庭園が続いていましから”スフォルツエスコ城”かも知れません。

何か旅行の後半は今回はメモを取る元気がなく、後で写真を見ても「さて?」、という部分がかなりあります。

写真を撮ると、同時にGPSでその位置が写真と共に記録されるという最新兵器もあるようで、これを買うのが確実なのはわかっているのですが、問題は軍資金、、、、。
ミラノ(3)

ミラノ中央駅です。
そうです、映画「ひまわり」の最後のシーンがこの駅なのです。
あの映画は泣けます。

ソフィアローレンは70才を超えているとは思えない容色を維持しているそうで、現地ガイド(ここは日本人でした)のKWさんが何度も言っていました。

ここはバスを降りて、駅の中を見たかった!!!
ミラノ(4)

建物はスカラ座に似ていますが、スカラ座ではありません。でもスカラ座の側でした。

ミラノは成田からJALの直行便があったと思います。
ミラノ市内はローマよりも地下鉄とか発達しているようで、古代遺跡が殆どないので、これに阻まれて都市開発ができないという事がないようです。

但しバスの車窓から見るミラノ市内は大変落ち着いたきれいな街でした。
ミラノ(5)

ドーモの北側にあるショッピングアーケード。名前がついているのですが長ったらしい名前です。

鉄の枠組みとガラスドーム、それに建物のデザインが独特の雰囲気を作っています。
プラダ本店もこの中のどこかにあるそうです。

中央のガラスドームの横には壁画があって、日本とかアメリカのショッピングアーケードとは大違い、さすがイタリアはミラノです。
ミラノ(6)

あの”M”、そうですアメリカでは国民食と言っても差し支えない、マクドナルドです。
日本では関東では”マック”、関西では”マクド”と言います。

別にどうという事はありませんが、ちゃんと周囲の雰囲気に合わせてシックな色合いにしてあるのが、何ともにくい!

ここの2階の席で飲み物を飲みましたが、席はガラガラ。ショッピング盛るでの休憩の穴場です。
ミラノ(7)

ドーモです。このドーモの雰囲気、荘厳さ、威厳には正直、キリスト教徒であろうとなかろうと圧倒されます。
よくもこんな建物を作ったな〜、と思います。

14世紀に着工して、度重なる戦火で工事は中断され完成は19世紀の終わりで、実に500年かけて作った、という事になります。

イタリアには100年単位で作られた建物がいっぱいある訳ですが、このねばり強さはどこから来るのでしょうか。。
ミラノ(8)

実はこのドーモ、上に上る事ができます。
料金8ユーロを払ってエレベーターであっという間に屋根まで連れて行ってくれます。階段でも上がれますが、大変そう。

今日まであちこちで一杯ドーモを見たのですが、このミラノのドーモが最後、しかもローマのサンピエトロの次にでかい。
という訳で、自由行動時間を利用して、大枚8ユーロを払って上がってみる事にしました。

実は私、高いところが大好きなのです。
ミラノ(9)

建物自他が巨大なので屋根の上も広い。
このドーモは全長158m、幅93m、高さ108.5mだそうで、見学者が歩いているのは多分90m〜100mくらいの高さのところでしょうか。

多彩な装飾を目の前にでき、その精緻さというか、一種の迫力に圧巻されます。

私は建築の素人ですが、クレーンとかの建築機材の全くない時代にどうやってこれを作ったのか、不思議としか言いようがありません。
ミラノ(10)

ミラノの街の眺めも素晴らしい。
ドーモの上は尖塔が林立しておりこの数は約150本。尖塔の上には聖人が立っています。

尖塔と町並みをミックスさせて眺めると、これも素晴らしい風景になります。
これを見ただけでミラノに来た甲斐があったと本気で思いました。

こうやって風景を見ていても、近代建築物が殆ど目に入りません。それに看板というものが一切ありません。景観の維持は見事です。
ミラノ(11)

このドーモは古くから、”気まぐれな菓子職人の作ったデコレーションケーキ”と呼ばれているそうで、実に言い当てていると思いました。

500年間もかけて作ったドーモ、さて図面はあったのか、もしなかったとしたら、どうやってこの統一したデザインと美しさを継承していったのか、つい職業柄そんな事を考えてしまいました。

全ての床は微妙な傾斜がついており、その先には溝がありました。そうです、屋根ですから排水についてもいきちんと考えられているのでした。
ミラノ(12)

屋上から広場方面は殆ど見えないようになっており、屋上は下を見下ろす展望台としての目的は全くなかった事がわかります。

写真は僅かな隙間からカメラを出して殆ど目くら撮りしたのですが、何とか撮れています。

ドーモから降りた後、広場をぐるっと歩いてみましたが、暑かった〜〜。
そうだよな〜、焼けた石畳の上を歩いているのだから、人間様はまるで石焼き芋の芋みたいなもんだもんな〜、、、。
ミラノ(13)

現地ガイドのKWさん。イタリアに来て27年だそうです。

KWさん、自分はなぜ結婚しないのか、イタリア人の男とは、イタリアの家庭とは、皆の知らないイタリアの本当の姿とは、について一席ぶってくれたのですが、抱腹絶倒でした。

ベネチアの”銀ちゃん”と、ミラノの”KWさん”、この2人のガイドは今回の中では際だっていました。
アトランタからコロンバス

ホテルの前で見掛けたイタリア人グループ。
時間は夕方、リムジンが準備してあってあって、ビデオも撮影していました。

どういう人達なのか、後ろ向きの2人は背が高く、エライ目立つし、モデル風と言えばそうもみえるし、
何かのパーティーに出かけるところなのか、さて、、、。

ちょうど添乗員さんがホテルのチェックインをしている時で暇だったので何となく1枚撮らせて頂きました。
ミラノのホテル

今回泊まった4つのホテルの中で一番良かったホテルです。
部屋のエアコンも冷蔵庫もちゃんと冷えました。

ヨーロッパのホテルでは今でもクーラーのないホテルというのは珍しくありません。
でもクーラーが付いているのだったらそれなりに動作して欲しいですね。

でもロビー横のバーで飲んだビール、やはりあまり冷えていませんでした。ビールをキンキンに冷やすのはアメリカだけですかねー、、、。
ミラノからアトランタ

7時15分にタクシーに乗り大雨の中、空港まで。
10時45分のフライトでアトランタへ向かいます。

来る時と同じで、満席状態。

ところが周りの席は赤ん坊とか、幼児が10人くらいいてうるさいの何のって。
飛行機はイタリア人が多かったのですが、イタリア人は子供が少々騒いでもあまり注意しません。

耳栓持ってきて、よかった〜
アトランタからコロンバス

ミラノからアトランタまでのフライトは10時間30分、15:15に到着しました。結構長いフライトです。

空港は人でごった返しています。
先週の土曜日が独立記念日、今週は休暇を取ってどこかへ行く人が多いのでしょうか。

コロンバスに着いて真っ先に感じたこと。
それは気温が22〜23℃で湿気がほとんどなく、ものすごく爽やかであるという事でした。

やはりコロンバスに到着すると、ほっとします。
イタリアの旅の後半も無事終わり、9日振りにコロンバスに帰り着きました。
今回のイタリア旅行で経験した事は、自分が描いていたイタリアのイメージと大きくかけ離れた部分は1つを除き、殆どありませんでした。
1つとは暑さと湿気です。

でも冬に今回のコースを旅するのも、きっと大変だと思います。というのはイタリア北部というのは緯度から言っても、相当に寒いハズですから。

それとイタリアはこそ泥、スリが横行する国としても有名ですが、残念ながら今回グループの中で1名だけその被害に遭われました。
ピサの観光を終わって、バスに戻る途中、Gパンの前のポケットに入れてあった財布をすられたのでした。あっという間の出来事だったそうです。

イタリアでもう一度行ってみたいところは?というのを聞かれましたが、「今回行ったところ全部。」、というのが答えになります。
と言うのは、それぞれの都市があまりにも違いすぎで、あまりにも個性的だからです。だからそれぞれを比較してよかった、そうでもなかったという事が言えないのです。

さあ、今度ゆっきりとイタリア映画のDVDでも鑑賞しますかね。今回の旅行の風景を思い出しながら、、、。
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