イタリア (その2) 0907 |
イタリア旅行の後半はいよいよピサの斜塔で有名なピサ、フィレンツェ(フローレンス)、ベネチア(ベニス)、ミラノというイタリア北部の各都市です。 イタリアはローマを境にして南部イタリアと北部イタリアに区分され、住む人の気質・習慣もかなり違い、私達のガイドさんによればそれぞれ仲もかなり悪いそうです。 例えば南部はオフィスとか商店は朝9時頃に開き、午後1時に一旦占めて昼休みをとり、再度3時〜4時に仕事を始めて6時から7時頃に終わるというパターンだそうで、これだとなかなか大企業による産業が成り立ちにくい訳で、従って工業化は北部に集中し、結果として南北の経済格差がかなりあるそうです。 グループツアーも3日目くらいを迎えるとメンバー間も会話が弾むようになり、お互いに親しみがわいてきます。今回の最高年齢の方は76才の男性、50才から60才くらいの方が中心のような感じでしたが、新婚さんが5組10名みえ、平均年齢をぐっと引き下げておりました。 後半もお天気に恵まれ、順調に日程をこなす事ができました。以下、そのスナップショットです。。 |
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私達のバスです イタリアのバスはちょっと変わっています。バス自体が変わっている訳ではなく、乗り方のルールです。 ・車内で物を食べてはいけない。理由はズバリ、汚すからだそうです。今度も車内でビールを一杯やろうと”柿の種”を持ってきたのに、残念。 観光バスって半分は宴会やるのが目的と違うの? ・駐車場で停止中はクーラーを入れない。詳しい理由を聞くのを忘れましたが、見学が終わってバスに乗り込んだ時は、サウナ状態です。 |
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ピサ(1) ピサと言えば”ピサの斜塔”、これしかありません。ピサの斜塔は高さ55m、傾きは4°弱で一時期この傾斜が増加して、倒れる事が予測され問題になりました。 この斜塔12世紀から14世紀にかけて3回に分けて建築され、1回目の工事が終わった時点で傾き始めたそうです。 ですから14世に工事された一番上の部分は地面に対してちゃんと垂直になっています。 これは知りませんでした。 |
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ピサ(2) この斜塔にはお金を払って上る事ができます。 階段は約300段あり、パンフレットには体力のない人は上らない事、高所恐怖所の人は上らない事、階段は滑りやすいので注意の事、等と細々と書いてありました。 私は上りませんでしたが、上った人の話によるとなかなかスリルがあったとの事でした。 |
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ピサ(3) 大聖堂で、やはり12世に建てられたものです。これは傾いてはおりません。 そう見えるのは写真の都合です。 ピサは市内も観光名所がいっぱいあるそうですが、やはりここが超有名、たくさんの観光客が押し寄せていました。 建造物群から離れた通りはずらっと土産物屋が並んでおり、ちょっと興醒めでした。 |
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ピサ(4) 大聖堂の中の天井です。素晴らしい装飾がされています。 ピサは天才ガリレオ・ガリレイとは切っても切れない関係にある場所です。 まず落下の法則を証明するために斜塔の上から重さの違う玉を落とした、という話。 (それまでは重いほど早く落ちる、という事になっていた。) もう一つはこの大聖堂にあるシャンデリアの揺れを見て振り子の等時性を発見したという話。 こういう物語を子供の頃、何度となく本で読み、そしてヒゲのお爺さん(ガリレオ)とピサの斜塔の写真を飽きることなく眺めておりました。 その場所に実際に来たのですから、ちょっぴり感傷的になってしまいました。 ガリレオとピサの斜塔、ガリレオと大聖堂のシャンデリア、これは作り話、なんて言わないで下さい、ガイドさん。 |
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ピサ(5) 斜塔等の見学が終わり、集合場所の城門の南側入り口付近に行きます。 城壁の外は土産物屋とかレストランがずらりと並んでいます。。 おいしそうな果物を売っている店がありました。カミさんによるとオハイオと同じくらいの値段だとの事でした。 イタリア旅行中、訪れた町のあちこちでこのように果物を売る人を見掛けました。 |
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ピサ(6) お土産の物色です。 日本からみえたある新婚さんカップルの話によると、新婚旅行に行った時のお土産は、会社で自分の属するグループだけではなく、オフィスのフロアーの全員に配るというルールになっており、これをそろえるのが大変、と仰っていました。 この場合、ほんの気持ち程度でもいいそうなのですが、全員となると大変です。 ちなみにフロアーには100人くらいの社員がいるそうです。 |
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フィレンツェ : ミケランジェロ広場(1) アルノ川の南東に位置する小高い丘でダヴィデ像が立つ広場があります。 ここからフィレンツェ中心部の町並みが一望できます。 ミケランジェロはそのの彫刻を知らない人はまずいないというくらいに有名な芸術家です。 ちょっと調べましたら、1475年生まれで1564年に亡くなるという当時としては非常に長寿であった人です。 ミケランジェロが生きた時代を日本で言うと、室町時代から戦国時代になります。 |
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フィレンツェ : ミケランジェロ広場(2) 町の眺めは素晴らしく、レンガ色の屋根が連なり、実にきれいです。 この日は空気も澄んでいてトスカーナの山並みもくっきりと見えました。 イタリアは第二次大戦で国土が戦場になっており、フィレンツェもドイツ軍がいたのですがドイツ軍は橋を破壊しただけで戦闘になる前に退却し、大部分の建造物は被害を免れたそうです。 |
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フィレンツェ : 昼食のレストラン この日の昼食は何と中華レストランでした。 8日間の旅行中、日本食は一切口にせず、唯一この日の昼食だけが米粒を口にした日でした。 私が日本食を食べなかった日数の記録は、同じくヨーロッパに会社から出張した時で、3ヶ月間で日本食を食べたのは2回だけというのがあります。 カナダに日本から出張した時に、連れの日本人が夜中に、「うどんが食べたい!」、と言い出して困った事があります。 |
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フィレンツェ : 町並み フィレンツェは日本の京都と姉妹都市で、古くからの商業都市です。 ここの出身で有名な人はミケランジェロ以外にレオナルド・ダビンチ、それにアメリゴ・ベスブッチとい人がおります。 アメリカ大陸の発見者はコロンブスという事になっていますが、コロンブスは今の西インド諸島を発見したのであり、大陸そのものの発見はアメリゴだったようです。 |
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