八重山諸島 :14−03
半年前に久米島、その2ヶ月後に宮古島、そして今回八重山諸島に行ってきました。

仕事を辞めて8ヶ月、沖縄の離島は私にとってロングステイの候補地になっていますが、殆どの離島は最近は観光客を呼び寄せるための開発が進んでおり、どんどん俗化しています。

石垣島を中心とする八重山諸島も俗化が進んでたくさんの人が訪れていると聞いており、私にとってそれ程興味が湧く離島ではありませんでした。
でも一度は行っておかないと話もできないな〜、という気持ちはありました。

そんな中、カミさんが”八重山諸島5島スペシャル3日間”、というグループツアーを見つけきたのでした。

このグループツアー、本当に2泊3日で5つの島に行けるのかしらん、という疑問は少しありました。。
でも旅行会社のプロが練ったプラン、そんなガッカリする内容ではないはず、それなりに楽しめるのではないかと期待半分で参加してきました。

以下、そのグループツアーのスナップショットです。
セントレア空港

直前になって1日目が早朝のフライト(07:50)になったので空港横のホテルに前泊となりました。

朝食カフェテリアは中国人の団体さんでごった返しています。
パンを皿に山盛りにして持ってきて、それをギュウギュウにカバンに詰めているオバサンがいます。
ゴミをポーンと床に捨てるオジサンがいます。

あと何年かしたらこういう風景が全国で見られるのかと思うと寂しくなります。

セントレアの4階の広場はステージが常設され、完全にイベント会場になりました。
那覇空港着

那覇空港でゲートを出ると旗を持った添乗員さんが現れました。
体格のいい大きな若い女性です。

私はここでJTAのカウンターに行って、那覇から石垣までのフライトをJシートに替えてもらいました。

Jシートは国内線どこでも空席があれは、1000円で前方の広い席に座ることができます。
Jシートは非常にコストパフォーマンスのいい、絶対にお勧めのチョイスです。
石垣空港に着きました

今の石垣空港は約1年前にできたばかりなので大変きれいな空港です。
本土からのダイレクト便もたくさん飛んでおり、それだけここを訪れる人が多いという事でしょう。

とはいうのものやはりのんびりとした雰囲気で、南国に来たな〜、という感じにさせてくれます。

添乗員さんの後をぞろぞろと歩いてバスに向かいます。メンバーは全部で39名です。
バスは石垣港に向かいます。
石垣銀座

石垣港で一旦降りて、ここで昼食・自由行動です。

当初のスケジュールでは石垣には午後遅く着く予定でしたが、早朝フライトになったので市内でたっぷり時間を過ごすことになったのです。

市内をブラつく、などというのはグループ・ツアーでは普通はありませんので、早朝フライトになって私はラッキーでした。

石垣で最大の730交差点では工事をやっていました。
ショッピングモール

昼食はレストランなどで自由に摂ります。

交差点から少し行くとショッピングモールがあり、中には公設市場もあります。

ショッピングモールのお店は殆どが観光客向けのお店です。このモールから路地に入るとポツポツと飲食店が並んでいます。

適当な居酒屋に入りました。
居酒屋での昼食(1)

入った居酒屋は結構大きな店でカウンター席、テーブル席、座敷席があって広々しています。

夜のメニューは日本のメニューに加えて、沖縄独特の”海ぶどう”とか各種チャンプル、石垣牛の料理などがあります。

そうか、ここは石垣牛で有名なのだ、添乗員さんの説明では石垣で生まれた仔牛が全国に出荷され”XX牛”、とかになるそうです。

という事は我が故郷の”松坂牛”もお母さんは石垣にいるのかな?
居酒屋での昼食(2)

座敷では地元のオジサンが昼食中であります。
ビールに刺身定食です。

私: 「オリオンビール、生で下さい!!」
昼食は私は石垣牛丼定食、カミさんは白身魚フライ定食を頂きました。

昔誰かが言っていました。
スーツ着たオジサンが、額に青筋立てて、牛丼を食っている姿を見ると、何とも言えない生活感がにじみ出てきて、涙が出そうになる、、、。

スーツは着ていませんが隣のオジサンと目の前の牛丼を見て、ナゼかこんな事をふと思い出しました。
ショッピングモールの露店

殆どが観光客向けの乾物、調味料、お菓子、果物とかいったものばかりです。島らっきょうの束とかの農作物も少し売っていました。

グループツアーではこういうところにはあまり来ませんので、普通の個人旅行客を相手に商売をしているのでしょうか。

この日のこの時間帯(14:00頃、品物を覗き込んでいる人はあまりいませんでした。
見ちゃ、おれん!

公設市場の中に入ってみました。
鮮魚売り場のところに来たら若い女の子が刺身の切り方を教わっています。

「アーア、違う、違う!包丁は押して切るんじゃなくて引いて切らなきゃ! アーア、危ない!指切るぞ!」

オジサンは思わず心の中で叫んでおりました。手に汗を握る、とはこの事です。

この子、夕方までには指の2本くらいはなくしたのではないかと思います。
焼き物

街をブラブラしていると焼き物を売っている店があったので入ってみました。
店の中は実用品から飾り物までの様々な焼き物が陳列されています。

店のオカミさんによると石垣には40人くらいの陶芸家がいるとの事、そして地元の人は2人のみで他は全部”内地”から来た人だと言っていました。

工房の数は人数より少ないとは思いますが、こんなに多くの陶芸家がいるとは意外でした。
石垣港横のマンション

ハハーン、これが機内誌に出ていた売り出し中のマンションか〜。

60u〜80uで2千万円〜3千万円、内地の人のセカンドハウスとか移住者用ですね。港を見下ろすなかなかいい場所です。

でもね〜、
気が付いたら前の港に五星紅旗の軍艦が入ってきて、「このマンションは接収するあるよ、みんな出てけあるよ」、とかになる可能性は?

あと10年でわかりますね、いや5年かな。どうなるか。
我が故郷の英雄

このパンチパーマのボクサー、そうです具志堅用高は石垣市の生まれで、もとジュニアフライ級のチャンピンです。

ガイドさんも石垣出身で、彼の実家は港の近くで今でも時々帰省して姿を見るそうです。
非常にきさくな、テレビで見るイメージそのままだそうです。

銅像は港の乗船客が全員通るところに立っています。
ホテル

石垣シーサイドホテルというところに泊まりました。
何の変哲もない観光ホテルで、増築を繰り返したのがよーくわかる、ホテルです。

例えば部屋からレストランに行くのに数段の階段を5回(!)越えるとか、歩いていくと急に扉が前に立ちはだかるとか。

部屋からの眺めはマズマズなのですが天気が悪く、青い空に蒼い海、という風景は見れませんでした。
夕食(1)

夕食はホテルではなく、再びバスに乗って”和琉ダイニング”の何とかというレストランまで行ってしゃぶしゃぶを頂きました。

パッと見るといろいろあるようですが、追加注文で石垣牛を一皿頼んでおいてよかった〜!、というのが正直な感想です。
何が言いたいのか、ご想像を。

それと別注文の泡盛のロックは許せん!
泡盛を小さじ三杯と、氷の欠片を数個を小さなグラスに放り込んで800円はないだろう!
夕食(2)

夕食会場の上座にはステージがあって、ひとりの芸人さんがトークやったり、蛇味線を弾いたりしてくれていました。

でもみんな拍手をするでもなし、ステージの方を注目する訳でもなし、黙々と食事をして10分もしたらそそくさと席を立つ人もいます。

話し声なし、ただ物をクチャクチャ噛む音と時々咳き込む音だけが聞こえてくる、、、。
これじゃ通夜の食事風景じゃないか。

あとで聞いた話によるとこのステージに上がっていた女性、芸人ではなくバスのガイドさんでした。
夕食を終えて

レストランを出て50mほど歩いて国道の方に出てみます。視界には民家、その他一切ありません。

既に太陽は沈んでいますが空に明かりは残っています。
気温は20℃〜23℃くらいでしょうか、気持ちのいい風が吹いています。
車の騒音、人の話し声、その他雑音は一切聞こえません。

これぞ私のイメージする南国の夕方です。
幹線道路

この国道は380号線といって島の幹線道路です。
というか島はぐるっと廻っている道路が一本だけで、迷いようがない道路しかありません。

石垣島はかつてはマラリアが蔓延していた島で、マラリアで全滅した村もあったそうです。
今は人口5万人弱、宮古島と同じくらいで、主たる産業は観光と若干の農業だそうです。

レストラン横にバス停があったので時刻表を見てみました。1日6往復のバスが幹線道路を走っている事がわかります。
水牛車に揺られて(1)

翌日は石垣島から西表島に行って水牛車に乗ります。

カミさんはこの旅行に行く目的の一つがこの水牛車で、テレビで見てからいつかは、と思っていたとか言っておりましたが私は、「あっ、そう〜」、という感じ。

水牛というのは力持ちなのですね。大きいのになると17〜8人を乗せた牛車を引っ張るそうです。
水牛の家系図

水牛車に乗ってどこに行くかというと、数百メートル沖に浮かぶ由布島に行きます。
ここは亜熱帯植物園になっています。

土産物屋の中にはここで苦行に喘ぐ水牛達の系図があって、誰が母親か、誰と兄弟かわかるようになっています。

面白いのはちゃんと父親が判明しているのは1頭だけで、あとは全部父親は不明です。
つまり知っているのは母牛だけという事ですね。
牛車乗れて満足です

往きの水牛は”元気”君、帰りの水牛君の名前は残念ながら忘れました。

御者の話によると水牛は利口な動物で、人間の事もわかるし自己主張もするそうです。
よく見るとカワイイ目をしています。

寿命は30年、牛車を曳くのは20年、水牛の1年は人間の3年、つまり20年でリタイアという事は60才定年。

何だ、人間と同じじゃないか。
昼食です

水牛に乗って再びバスに乗って昼食レストランへ。
決して豪華ではありませんが、沖縄らしい”おかず”が少しずつ入っています。

誰かが限られた予算の中で一生懸命考えて作ったメニューなのでしょう。

ただポンポン口に放り込むのではなく、そういう事を考えながら頂く、最近はそういう余裕が私にもできてきました。
カンムリワシ

日本では石垣島、西表島などの限られたところでした観察できない貴重なワシだそうです。

これを1日に3回みるとラッキーな事がある、とかで西表島には僅かな時間しかいませんでしたが3回見ました。

ナゼこんなに簡単に見れたのか。
天気が悪くなるとワシは地上に近いところに下りてくるそうで、この日は天気が悪かった、そういう事でした。
西表野生生物保護センター

西表島は独特の生物生態系がある、というか琉球列島自体が独特で、固有種・亜固有種の生物が多く、しかもそれが極めて限られたエリアにのみ棲息している、と説明にありました。

ここは展示エリアはそれほど大きくはなく、メインは研究施設のようでした。

こういう事を研究するのは大変な事だろうけど、きっと面白いんだろうな〜、と思います。

要するに面白いから研究するのですよね、研究者というのは。
イリオモテヤマネコ

とにかく研究をする価値がある極めて特殊な山猫だそうです。

西表島は石垣島より面積は大きい(300平方キロ弱)にもかかわらず、人口は2000人少ししかいません。(石垣は5万人弱)

島に人口が少ないのは歴史的な理由もあるようですが、自然保護という事で開発などが著しく制約をされているのが大きい要素のようです。

バスの運ちゃん: 「ネコもいいですが、人間も大事にして欲しいですね〜、アハハ〜」
琉球泡盛”いりおもて”

7年ものの古酒、35度です。
愛想のいいお嬢さんに試飲をすすめられ、口に含んで即購入に至ったオジサンは2人。

ひとりは名古屋市からきたオジサン、もうひとりは三重県鈴鹿市からきたオジサン。

昨年に久米島に行って泡盛を飲んで以来、それまであまり好む液体燃料ではなかったのですが、大好きになってしまいました。

泡盛のロック、サイコーですよ〜!
竹富島へ1)

グループツアーは効率重視、つまり限られた時間で多くの”観光場所”を廻ります。その間にトイレ、食事もあります。

今回のツアーは島の間を往き来しますので、連絡船に頻繁に乗りました。
そして着くとバスが待っている、それに乗る、という無駄のない移動です。

全部定期連絡船を使いますが、この離島間は結構な数の船が走り回っていました。
竹富ゆがふ館(1)

島に到着すると観光インフォメーションセンターである”竹富ゆがふ館”というところを訪れます。

竹富島の紹介をする施設で、かなり広い敷地はきれいに整備されています。

そこをゾロゾロと冬服を着た観光の一団が入っていきます。
この季節に琉球に行くときは服装が面倒なんですよね。出発するまではまだ冬服ですが、到着するとちょっと暑い。
上着で調節するのがコツですが、ずっとマフラー巻いてた人もいました。
竹富ゆがふ館(2)

沖縄にはこういう立派は建物・施設があちこちにあります。
かなりのお金がかかっているのが一目瞭然なものばかりですが、中に入っても ”見るべき物”があまりない、という場合が少なくありません。
ここもその一つだと思います。

ではみんなここで何をしたか? トイレでおしっこして後は時間を待つだけでした。
つまり我々にとってここはトイレ施設、でした。

こういうのは全部日本政府から沖縄に投入された日本の税金によって作られているのですね。
さあ、何をしているのでしょうか

竹富島の青い海と空にふさわしくない、黒っぽい冬装束のオジサン、オバサン軍団。
さて何をしているのでしょうか。

竹富島と言えば星の砂、そうです、みんな無邪気に星の砂探しをやっているのです。もちろん私もやってみました。

星の砂は、岩石が風化してできたいわゆる”砂”ではありません。海中生物の死骸だそうです。
赤い瓦の街並み(1)

竹富島は人口350人しかいません。

この島は漆喰で固めた赤い屋根が有名で、あちこちの観光パンフレット、雑誌に出てきます。

これらの街並みを維持するために各家には制限があって窓ガラスが見えないようにスダレをを下げるとか、サンゴの白砂の道はみんなで毎日掃除をするとか、結構細かいようです。

赤い花は ”でいご” の花です。これを見ると、私は八丈島を思い出します。
赤い瓦の街並み(2)

竹富島紹介の写真はこの角度から撮ったのが多かったと思います。
赤い瓦も古いもの、新しいもの、様々で電柱もあるしいい写真を撮るのは難しいものです。

ところで、この人口350人の島には”XX館”と呼ばれる施設が5つある事がわかりました。

ゆがふ館、まちなみ館、喜宝院蒐集館、てぇどぅん かりゆし館 、竹富民芸館です。


補助金が出る都度、チマチマと作っていったのでしょうか。
再度、水牛車です

ここも水牛車があります。
10人〜14人くらいの観光客を乗せてゆっくりと歩いていきます。
この水牛も先祖は昭和の初めに台湾から来た子孫ですね。

ここから台北は250km、それに対して那覇は400km、台湾の方がずっと近い。

沖縄(八重山)と台湾の歴史・関係を調べてみるのは面白そうです
高速連絡船

竹富島と石垣島を結ぶ連絡船の時刻表を見ると思ったより多くの船が往き来しており、1日に20往復くらいありました。

西表島のバスの運ちゃんが言ってました。

「昔は石垣に行くのは4時間かけて小さな船で行きました、今は大きな船で1時間もかけないであっという間に行けます」

生活が具体的にどう変わったのか、そういう歴史にも興味がわいてきます。
小浜島

2泊目は小浜島の”リゾナーレ小浜島”というリゾートホテルに泊まります。

各ロッジとフロント・レストランの建物はゴルフカートで往き来しますので、用のある時はフロントに電話を掛けて来てもらいます。
部屋は広く、風呂トイレも清潔でマズマズです。

でも残念ながら、「部屋でくつろぐ」、というムードの部屋ではありませんでした。
外の眺め

遠くに別のロッジが見えます。
でも目隠しの木がせっかくの景色を遮っています。
ちょと残念。

まあ、今回のグループツアーの費用から考えると。あまり文句は言えませんけど。

このホテルに来て、かなり前にカナダのジャスパーで泊まったリゾートを思い出しました。
朝食バイキング

こういうお皿を使うのは初めてでした。便利と言えば便利です。
朝飯を食べながらどいう人が来ているかぐるっと見渡してみました。

私よりかなり年上の4人組、同級生かな、ゴルフに来ているようです。それに若い女の子の4人組、あとは我々の年代が圧倒的に多い。

春休みになっていないので、子ども連れがいません。割と静かに食事ができました。
小浜島から石垣島へ

3日目の朝です。
ホテルをゆっくりと出て港までバス、そして連絡船で石垣島に戻ります。

島民は600人くらいとの事でしたが、年間の観光客は15万人以上、リゾートホテルも2カ所ですからその生活物資の量も相当なものだと思います。

三重県の離島でも船が着くたびに荷物が運ばれ、それを待つ人が港で待ちかまえています。
同じ光景がここでも見れました。
川平湾

石垣島港から川平湾へ。
ここは石垣島の中でも有名な観光地で、ここの海の色は八重山諸島、いや沖縄全部の中でも一番美しいという評判です。

が、この日は太陽が出ていません。
残念ながらエメラルド色に輝く海を見る事ができませんした。

公園の上からぐっと海を見て、こんな色かな、あんな色かな、とこの日は想像をするだけになってしまいました。
ザンネン。
グラスボート

30分ほどの海底見学です。
きれいな珊瑚礁、大きなシャコ貝、それに様々な熱帯魚、南海の海を堪能させてくれます。

船頭さんはあちこちの海底の見所に次々に連れて行ってくれ、説明をしてくれます。

後で話を聞いたら、観光する海底の様子は大体頭の中に入っているとのこと。
私達が乗った船の船頭さんは、40年ここでグラスボートの操船をやっていると言ってました。
きれいな海、風景とは

白い浜、蒼い海、青い空、白い雲、これは沖縄のあちこちに一杯あります。これらで甲乙は付け難いと思います。
では川平湾はなぜ飛び抜けて有名なのか。

・ 湾が”緑”の木々に囲まれている、やはり海・空と緑とのコントラストはいい

・ 全体が狭い範囲にある、日本人はこじんまりした箱庭的な風景を好む

・ グラスボート観光と組み合わせてある


いかがでしょうか。
昼食です

ここでの昼食はなぜかツアー料金の中に入っておらず、各自手配です。

とはいうもののガイドさんに事前に申し込みができましたので、注文をしておきました。

八重山そば(魚のすり身のてんぷら入り)、雑穀米のゴハン、もずく、刺身、沖縄を凝縮したシンプルランチであります。

やはりここでもオリオンビールを頂きました。
野外ステージ?

野外ステージに間違いはありません。
実はここでは ”ハブとマングースの決闘ショー” が行われていました。

2000年頃に動物愛護法が改定され、ショーは禁止になりました。

この法律の趣旨はわからない訳ではありませんが、何となく偽善臭いところが見え隠れする法律のような気がするのですが。
ハブ弁天様供養の碑

決闘場でしたから、どちらかが死んだわけですが、
マングースの方が圧倒的に勝率が高く、大抵の場合はハブが昇天、とう結果に終わったそうです。

私がずっと以前に見たときもマングースが勝ったと記憶しています。
ステージの横にこういう碑が建っている理由もわかるというものです。

ハブは弁天様の使いであったと言われている、と書かれれていました。

無名戦士のハブちゃん達へ、、、南無阿弥陀仏。
バンナ展望台

天気が悪く、あまりよく見えませんでした。

ここにも高校生の団体がいました。大阪の高校の修学旅行生でした。
尖閣列島問題の勉強はやっていったのかな?
やってないだろうな〜。

石垣港には海上保安庁の巡視船が何隻も停泊をしていました。ここは尖閣領土問題の第一線基地なのですね。
巡視船はその辺の港で見る薄汚れた巡視船ではなく、真っ白なピカピカの船ばかりでした。
巨大しゃこ貝

空港に行く前に土産物屋に寄りました。
このツアーは土産物屋とかに寄る回数が少なく、良心的でした。

買い忘れたお土産を2〜3個買って店内をブラブラ。
隅っこに見たこともない大きなシャコ貝の貝殻が陳列してあるのを発見。

シャコ貝は刺身で食べれたはず。あれ?そう言えばまだ食べてなかったような気がします。
今度久米島に行った時に食べてみましょう。
石垣空港、何かおかしいぞ

チケットもらって出発ロビーに入ります。乗客でごったがえしています。

ありゃ〜、本土直行便の殆どが大幅に遅れています。関東地方の天候が非常に悪く、これの影響だという事です。

とうとう大阪行きのANAのフライトがキャンセルになりました。団体さんがぞろぞろ出ていきます。
島でもう一泊していくのでしょう。

我々の乗るJTA622便は?那覇から来るのだから大丈夫でしょう。
空港の土産物屋

何と、JTA622便は那覇を出発したところで機材の故障が発生、那覇空港に引き返したとのこと。

こりゃ、俺たちももう一泊かな、と思っていたら飛行機は1時間半遅れで那覇から石垣に来ました。

でもこれだと那覇から名古屋の乗り継ぎも遅れるし、那覇泊まりかな、と思っていたら那覇から名古屋は飛ぶ予定とのこと。

先ずは一安心。
朝帰りとなりました

フライトが遅れ、ギリギリで鈴鹿には帰れそうだったのですが、万が一の事を考えて出発前にJTAにホテルの手配をお願いしておきました。

名古屋に着いたのが22:15頃、帰れない時間ではなかったのですが、疲れていたしJTA手配のホテルに泊ることにしました。

翌朝の四日市行きのバスに乗って自宅に着いたのはお昼前でした。

バスから見る伊勢湾は気持ちのいい快晴でした。
今回のツアーで何よりも残念だったのは天気がイマイチだった事でした。南の島に行く価値の80%はきれいな海と空を見ることにあると私は思っています。
そしてそれは天気がよかった場合にのみ体験できる事なのです。

旅行は事前に申し込んであるので、天気が悪そうだから延期しますという訳にもいかず、そいう意味では少々残念な旅行でした。

しかし駆け足ではありましたが八重山諸島の石垣島・西表島・竹富島・小浜島・由布島の5つを訪れることができ、グループツアーの効率の良さを遺憾なく発揮してしてくれました。

このツアーの添乗員の仲川さん(阪急交通社)、帰りのフライトがグチャグチャになったにもかかわらず、最後まで冷静に面倒をみてくれました。
やはりこういうツアーは添乗員さんの腕で決まってしまうな〜、というのも改めて実感しました。

しばらくすればもう一度行ってみたいと思う島が頭の中に浮かんでくると思います。
その時はまた計画を立てて、今度はのんびり旅で行ってみたいと思います。
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