田舎のレストランで
アメリカの年配者の日本観

アメリカの年配者、等に70才以上のお年寄りの日本に対する感情は大きく分けて2つあります。
まず、全てのお年寄りにとって日本とは戦争の相手であった、これしかありません。これ以外の経済とか、社会とか、文化とか、そういう観点からの視点は特別な人(学者さんとか)を除いて持っておりません。

そして重要な事は、日本は真珠湾攻撃でだまし討ちをした、これも彼らの発想の起点になっております。この発想はお年寄りのみではなく、アメリカ人にとって一般的なものである、という点を日本人の殆どが忘れております。

これらのアメリカ人のお年寄りのまず1つ目の日本に対する見方は、単なる東洋のサル、「ジャップ」でだまし討ちをしたのでアメリカが懲らしめてやった、原爆も2つ落としてやった、本当はもっと落としてやってもよかったのだが、降参したので、落とし損ねたくらいの認識の人達です。

2つめは戦争が終わって、多くのアメリカ人が日本に進駐して日本を進駐軍と通して知っている人達で、戦争に負けた貧しい日本のイメージを持っている人達です。しかし、当時の滅茶苦茶強いドルにものを言わせて日本で生活していたので、悪い印象はそれ程持っておりません。

ある日、コロンバスの空港で日本からの出張者を待っているときに、隣でやはり誰かを待っている黒人の年配者が声を掛けてきました。彼は1950年前後に東京の府中に空軍の兵士で2年間いたそうで、いろいろと思い出話をしてくれました。初対面ではあったのですが、その時に名刺を渡したら、数日後に、当時日本で撮った写真とかを送ってきました。

見ると、どこかの料亭で箸を使ってみんなで食事をしている写真でした。この人は日本に対して良いイメージを持っている人の一人だと思います。
いつ日本に行ったか、どこにいたか

アメリカの年配者は驚くほど多くの人が日本に行ったことがあります。恐らく何十万人、いやそれ以上かも知れません。全て兵隊としてです。
そしてこれらの人にとって、いつ日本に行ったのか、どこに行ったのかでものすごく日本に対するイメージが違うようです。時期としては太平洋戦争の終戦直後から数年間、それと朝鮮戦争勃発後の昭和25年から昭和30年頃まで、そしてそれ以降、と3つの時期に分ける事ができると思います。

サンフランシスコ条約が締結されるまでの、いわゆる占領軍として日本に行った事のある人は、これは終戦食後から数年の間ですが、戦勝国の兵隊として優越感の中で日本を経験しており、故郷では英雄扱いされた人達です。アメリカで「英雄扱いされる」というのは日本人が想像する以上にかなりスゴイ事のようです。

しかし、いずれにせよ全て日本が非常に貧しい時期で汚い格好をしている人が多く、ボロボロの自動車が道を走って、粗末な家しか建っていない日本しか知らない、というのが共通点です。ですから例えば、日本がアメリカを脅かす存在になるとは夢にも思っていなかったし、そんな事あり得ない、と心から今でも思っているフシがあります。

若いときに何十万人ものアメリカ人が経験した日本、良きにつけ悪しきにつけ、これがアメリカの一般的な日本に対するイメージを作り上げている基礎になっております。
戦争の思い出

コロンバスの北の方にある田舎のレストランに行った時の事です。
日本人の友人と2人で入ったのですが、料理を注文して周りを見るとお年寄りの数人のグループが同じように注文を待っている姿が見えました。
格好からするとこの田舎町の住人に間違いありません。

やがて皿が運ばれ、半分くらい食べたところでふと気が付くとそのお年寄りのグループの一人が私達の横に立っているではありませんか。何だろうと不思議に思ったのですが、知らぬ顔をして食事を続けておりました。
するとその人は「お前達は日本人か?」と聞いてきたのです。

私は「そうだ」と答えました。
するとその人は急に「オレは日本人の事をよく知っている。」から始まって、早口で大声で何かをしゃべり始めました。
グループの他の老人達もみんなこちらを見ております。
早口だし、日本人にとって(私だけかも知れない)非常に聞き難い発音で、最初は何をしゃべりだしたのか良く聞き取れませんでしたが、どうやら戦争の話を始めたようなのです。

「オレは昔フィリピンに行ってジャップの兵隊と戦をした。ある川の側で機関銃でジャップを待ちかまえて、ジャップをいっぱい殺してやった。ジャップ達は逃げまどい、川の中でいっぱい死んだ。」

大体こんな内容でした。
ナゼこの老人がわざわざ私達のテーブルの横に来てこんな話を始めたのか、今でもわかりません。日本人という時にジャップという言葉を使いましたから、好意を持って私達に近づいてきたのではない事は事実です。

「我々は今ここで食事をしている。お前と話をする気はない。あっちに行け。」
と言いましたが、側をはなれようとしません。グループの連中ジーッともこちらを見たままでした。

「食事のじゃまをするな。」
この一言で、その老人は席に戻っていきました。
永遠の記憶

この老人はそれ程いい身なりではありませんでした。言葉からしても教育を受けた人の言葉ではありませんでした。アメリカは教育を受けた人と、そうでない人はしゃべり方で大体わかります。

ここまで露骨に言われたのはこれが初めてで、それ以降もありませんが鋭い目で、睨み付けて我々に対して無視をされた事は何度かあり、たまたまかも知れませんでしたが、全て年輩のアメリカ人、白人でした。
我々日本人はアメリカでは「被差別民族」であるのは勿論、間違のない事実ですがやはり悔しい思いがします。

朝から晩までどこかのチャンネルで日本との戦争の番組をやっているアメリカ、彼らの頭の中からは永遠にこの記憶は消えないのでしょう。
記憶が薄れた頃にはちゃんと「パールハーバー」なんて映画を作り、忘れないように努力している国民ですから。
inserted by FC2 system