大西部−4
今回の旅行はバスに乗ってあちこち廻るだけでなく、行った先々で相当に歩くコースが準備されているというメニューでした。ですからかなり汗もかいたし、靴は埃だらけで黄色になったりしました。

一緒にツアーに参加した人に中には、「只バスで連れられて行くだけでは面白くありません。やはり行った所を自分の足で歩いて確かめる、このようなツアーがいいと思います。」、と仰られていました。

さてツアー後半はアンテロープキャニオンからグランドキャニオン、そしてルート66を通ってラスベガスに帰るというコースでした。
ナバホ・国定記念物 (1)

今から何百年も前にナバホ族がこの渓谷に50年間だけ住み、そして去って行った不思議な場所です。この洞窟の高さは100m以上あり、洞窟の下に住んでいたそうです。

アメリカ先住民族は昔の事を調べようとすると、よくわかりません。
というのは彼等は文字を持たなかったために、昔の事は全てが口伝えなのです。
ナバホ・国定記念物 (2)

これはナバホ毒のお風呂です。
お風呂というと、我々日本人はお湯を浴びるか、湯船に浸かるというイメージですが、これは世界的に見た場合、例外と言ってもいいかも知れません。

ナバホ族はこの土の鎌倉の中に入り、外からたき火で温め、汗をどっとかいて、後は水でその汗を拭う、という方補だったそうです。

西欧人も基本的にサッとシャワーですね。日本人は贅沢な事を昔からやっていたと言えると思います。
レイク・パウエルのダム (1)

ページという町の近くにあるダムです。巨大です。
久し振りに見る豊かな水、やっぱり水を見ると安心しますね。

今年は降雨が極端に少なく、水位が例年の半分くらいのレベルだそうです。
赤茶けた岩と水のコントラストがトが何とも言えないですね。

いくら暑くても、水があるかないか、これが人間が住めるか住めないかを決める。今回の旅で、少し分かったような気がします。

尚、レイク・パウエルは人造湖です。
レイク・パウエルのダム (2)

水源はコロラド川です。川の流れ沿いの岩には木が生えています。

思い切って崖っぷちのギリギリまで寄り切って、写真を撮ってもらいました。私、平気そうな格好していますが、心の中では結構ビビッています。

ここは当初の予定に入っていない見学場所で、ガイドさんの好意により寄ってくれたのです。

ナゼか、、、実はここは第一作の「猿の惑星」、の撮影に使われた場所でもあるのです。
レイク・パウエルのダム (3)

しばし感激で立ちつくす私。猿の惑星はチャルトン・へストン主演のSFで、高校生の時に初めて見ました。
チャールトン・へストンが猿の捕虜になってそして解放されて、帰らない事を約束に禁断の東部への旅に出掛ける。
トボトボと馬に乗って旅をする場面が確かこの右側の崖だったと思います。

そして見つけたものは、、、、この猿の支配する惑星、それは実はこの地球だった。
今でもあの最後の場面のショックは鮮明です。

そこに自分が来ている、、、、感激でした。
アンテロープ・キャニオン (1)

ページという町、きれいな新しい町です。ここのスーパでサンドイッチとかサラダを買って食事をして、その後4WD車に乗って、砂漠に入り、ここに到着しました。

この4WDの車の運転の荒っぽい事、ちょっと参りました。4WD車と言っても、只のトラックで、我々は荷台に載せられて運ばれます。

この状態で100kmくらいで道路を走り、そして砂漠の中を70km以上で走るのですからたまりません。
事故を起こしたら全員即死状態間違いなしです。
(旅行会社に正式にクレームを送りました。)

ここは「らせん状渓谷」ところで渓谷と言うより、岩穴の中に入っていく感じです。
入ってびっくり、光の幻想です。

これはナバホ・サンドストーンが長年の降雨とかそれに伴う洪水で削り撮られ、そして谷を吹き抜ける風によって浸食されてできた、と説明がありました。
アンテロープ・キャニオン (2)

ナバホ・サンドストーンは近くで見るとこのような層でできており、何か硬いものであればガリガリ削り取る事ができそうな感じです。

内部の道幅は狭く、写真を撮る人が立ち止まるので、一旦抜けるのに30分以上はかかります。

この日も我々以外に、アメリカ人の個人旅行者、団体さんもおり、往きは結構ごった返していましたが、帰りはあまり人数もいなくて、ゆっくりと見学ができました。
アンテロープ・キャニオン (3)

こんな砂漠の中の奇景を誰が見つけたのか、後で調べたら1930年にナバホ族の12才の少女が見つけたそうです。

内部は砂漠の中にある渓谷ですから、非常に暑く、軽く40度は超えている感じで、さらに下はものすごい目の細かい砂岩で、歩くたびにこれが舞い上がり、口の中まで砂だらけになります。

人を入れないで写真を撮るのは今のシーズンやはり不可能で、これが一番ましな写真です。
お土産(ナバホ族の民芸品) (1)

素朴ですが、素晴らしいデザインです。
そして茶色と黒、そして白に近い薄茶色の3色のコントラストは見事としか言いようがありません。

このデザインの壺は昨年イエロー・ストーンに行った時に買いましたので今回はパス。
別のデザインの小さな壺を買いました。

先住民族の人達は、未だにアメリカ社会に溶け込んでいる訳ではなく、多くの人が貧しい暮らしをしているのが実態です。
お土産(ナバホ族の民芸品) (2)

アメリカ先住民族は15世紀にアメリカ大陸がヨーロッパ人に発見された時は、人口500万人を下らなかったという推測が一般的で、それが今は270万人、これが増える傾向にはないそうです。す。

インディアンは居留地に住み、高校までは一般的にここで住み、その後社会に出るのですが、多くの人が社会に馴染めずに戻ってくるそうです。

オハイオにも先住民族の居留地があります。
グランド・キャニオン国立公園 (1)

とうとうやってきました、グランド・キャニオン。
アメリカ観光の最大のスポットで、自由の女神、デズニーランドと並んでアメリカ人も一度は訪れる場所と言われています。
最初の感想は、、、月並みですが、やはり言葉では言い表せません。

「Nさん、Nさんじゃないですか!」、振り返ると同じ会社の駐在員のKさんとそのファミリー。
Kさんはラスベガスからレンタカーであちこちを廻っているとの事でした。
もうびっくりしたの何のって。グランド・キャニオンの感激が増幅された感じでした。
グランド・キャニオン国立公園 (2)

先ずホテルにチェックイン、そしてその後ブラブラと40分ほど歩いてヤヴァパイ・ポイントというところまで行きました。
ここが夕日を見るには最高のスポットだそうです。

8時ちょっと過ぎ、グランドキャニオンの向こうに夕日は静かに落ちていきました。

自然の一大彫刻であります。
グランド・キャニオン国立公園 (3)

泊まった宿はカチーナ・ロッジというところ。まあまあのロッジでした。
この付近には4〜5カ所のロッジがあり、結構立派なレストランもあります。

夕食はカチーナ・ロッジの横にあるレストランで、久し振りにステーキを食べてみました。
それとこれも久し振りに、ビール以外の液体燃料(ワイン)を飲んでみました。
やっぱりステーキとワインはウマイなあ。

明朝は3時半起床で日の出を見に行くので、早めに部屋に戻りました。
グランド・キャニオン国立公園 (4)

3時半にモーニングコール、眠い目をこすって昨日も行ったヤヴァパイ・ポイントまで今度はバスで。

こんな早朝だと言うのに47名のうち、数名を除いて全員が日の出を見るツアーに参加とは、少々びっくりしました。

少し離れた別の展望台にはご覧のように人が一杯おりました。

さすがにグランドキャニオンの朝は涼しく、場合によっては何か上に着ていないと寒い時もあるそうです。
グランド・キャニオン国立公園 (5)

ここで面白い事を発見。朝日を見るとき、日本人は東に顔を向け、太陽が出てくるところを見ようとします。
でもアメリカ人は反対側を見ます。出てくる太陽が照らす岩肌の方を見ているのです。

ですから日本人とアメリカ人は向かい合う感じで展望台に並ぶ事になります。

私は太陽が昇るのを見るよりも、それぞれが反対側を見てワイワイ騒いでいる姿を見ている方が面白かったです。
グランド・キャニオン国立公園 (6)

ロッジに帰ってて来るとロッジの周りには大きな鹿が何頭も来ています。
オハイオで時々見掛ける鹿よりも少し大きい感じがしました。

アメリカの鹿は奈良公園にいるようなカワイイ感じは全くありません。
少し獰猛な感じさえします。間違っても鹿センベイなどは与えないように。
グランド・キャニオン国立公園 (7)

朝食を食べようとカフェテリアに行く途中のグランドキャニオン。太陽は完全に上がっており、岩肌がきれいに照らし出されています。

昨日の夕方の姿、今朝の姿、そして今の姿、グランドキャニオンは七変化(シチヘンゲ)で、どんどん姿を変えていくのであります。

朝食は昨夜のステーキのせいかあまり食欲がなく、軽く済ませました。アーア、いったいこの旅行で何キロ太ったのだろう。
グランド・キャニオン国立公園 (8)

朝食の後、今度は渓谷を少し降りてみる事にしました。
結構細い道をジグザグに歩いて降りて行きます。
30分くらい降りたところで引き返しました。
もう汗だくです。

途中で馬の隊列にいくつも行き交いました。これは馬に乗って渓谷の下まで降りていくツアーです。

ちなみにグランドキャニオンでは年間250件ほどの落下事故があり、平均5人ほどの人が亡くなっているそうです。
グランド・キャニオン国立公園 (9)

土産物屋の展望台。ここが一番いい眺めのような感じでした。
グランドキャニオンは深さは1600mあるそうで、ぱっと見たところ、東京タワーを5つ積み重ねた高さには見えません。あまりにも雄大過ぎるからだと思います。

カミさんはここの土産物屋で小さな記念品を買ったそうですが、オハイオに帰ってきて、どこを探しても見つからないとぼやいていました。
ひょっとしたら店に忘れてきたのかも。
グランド・キャニオン国立公園 (10)

午前11時、ここでの見学を全て終了し、バスに集合です。
今回は3才くらいの幼児から、77才のおジイサンまでの47名、事故もなく、集合時間に遅れることもなく本当にスムーズに行動できました。

みんなのスーツケースがかなり重いので、これをその都度バスに格納するバスの運転手のロンさん、「みんなスーツケースに石を詰めてるんじゃないの?」、ってぼやいていたそうです。

バスは大型で、割と快適でした。
ルート66 (1)

20世紀の初めの頃、アメリカでは東部から西部まで安全に車で行き来ができる道路状況にありませんでした。
別な言い方をすると西部、つまりカルフォルニアはかなり孤立した位置づけにあったそうです。

これを解決するために政府はシカゴからサンタモニカまでの4000kmの道路を1926年に開通させ、これをルート66と呼んだそうです。

今回のツアーではこの道を少しだけ走ってくれました。片側1車線の普通の道路でした。
ルート66 (2)

アメリカの幹線道路だったR66も1984年に廃線になりました。
理由は第二次大戦後国を挙げて作られた高速道路網にとって代わられたのです。

ところが古き良き時代のアメリカを懐かしむ人達がR66の復活を訴え、アリゾナとミズーリでR66協会なるものを組織し、これの復活を遂げたという事だそうです。

このアリゾナのR66協会を立ち上げたのが、セリグマンという小さな町の床屋さんのエンジェルさんという人。この床屋さんに立ち寄ってみました。
ルート66 (3)

エンジェルさんの店には今も床屋さんですが、実質的には土産物屋さん兼資料館(ここをミュージアム、博物館と呼ぶには抵抗がある)になっています。

ブームはR66は産業道路と同時に観光道路としても使われ、1950年代を懐かしむ人達のノスタルジーに支えられているという事のようです。

しかしアメリカのオッサン連中の1950年代にかけるノスタルジックな精神はスゴイ。
車も服も音楽も(当時の放送の録音CDが飛ぶように売れている)再現しているのですから。
ルート66 (4)

エンジェルさんの店の前に停車したバスから降りた我々47名の日本人の団体さんは、店の中でR66と書いたTシャツやら、キーホルダーのお土産を買い、エンジェルさんと記念写真を撮るのでありました。

店員のオバサン2人は片言の日本語で接客をして「ありがとう」を連発しておりました。
いかに日本人客が上客か、オバサン達の頬笑みに現れておりました。
ルート66 (5)

店の前で一休みする団体さん。カミさんの隣にいるのはこのバスの中で唯一の日本人以外の人で、生まれはタイ、今はアラバマに住んで美容師をやっていると言っていました。

右側の年配の女性の方と一緒にこのツアーに参加して、この方がガイドさんの日本語の説明を英語に通訳をしていました。
この方は名前は日本人の名前でしたが、苗字は日本のものではありませんでした。
ルート66 (6)

アリゾナはセリグマンの”エンジェル”さん、R66協会の発起人で有名になり、今やこの店は観光客、特に日本人観光客が必ず立ち寄る名所になっているようです。

でもR66と1950年代のアメリカ、これの本当の意味を我々はどこまで理解しているのか、、。

ま、それより我々かそれより少し上の世代にとっては、R66はアメリカのテレビドラマとジャズを思い出す、というところかも知れません。
一路ラスベガスへ

全て物旅程を終え、バスはアリゾナからネバタに入り、ラスベガスに向かいます。

再びバスは何もない、荒野の中を一直線に伸びた道路を高速で走ります。

連日のかなり密度の高いツアー、特に昨夜は私も4時間半しか寝ておりませんので、気持ちよく寝ることができました。
ラスベガスニ着きました

荒野の風景が広大な住宅地に変わり、そしてやがて遠くにホテル群が見え、しばらくするとラスベガスの市内に入ります。

ツアーのメンバーの何人かは空港で降り、その日のフライトで全米のあちこちに散っていきました。
残りの人達はラスベガスニ1〜2泊の後、日本に帰る人、アメリカ国内の自宅に帰る人、様々です。

私は来た時と同じ「ホテル・モンテカルロ」に宿泊なので、ここで降ろしてもらいました。
朝食バイキング

ホテル到着後、一休みしてせっかくのラスベガスですから少しだけギャンブルを楽しみました。
やはりコツは、勝ったところで止める、に尽きますね。
まあ、そんな訳で勝ち負けは別として大いに楽しめました。

朝食はチェックインの時にバイキングのチケットをくれましたので、これで食べました。
この6日間、ご飯物を口にしたのは2日目のスーパーで買って食べたいなり寿司だけ。魚類も何も食べていません。
そんな訳で、ナゼかこのサーモンの薫製が、ものすごくおいしく感じました。
空港 (1)

チェックインカウンター。結構混んでいるように見えますが、Eチケットで画面からのチェックイン。
1分以内でチェックインが完了です。

タクシーの運転手に聞いたところラスベガスはいつも忙しいとの事。
一般観光客だけでなく、大きなコンベンションセンターがいくつもあり、これへの参加する人も1年中あり、季節とは関係がないとの事でした。
空港 (2)

待ち時間があったので、これを利用して再度スロットマシンに挑戦。
時間が短いとやはり勝てるものですね。プラスで終了したみたいでした。

ギャンブルは何十億円もの大当たりは極々稀にある訳ですが、賞金は20年の分割払いだそうで、大当たりをした人はナゼか病気とか事故で亡くなる人が多いそうです。

ウーン、何か怖いナー、、、、、。
空港 (3)

真夏のグランドーサークルの旅。連日40℃を軽く越える中、何キロも砂漠の中を歩いたり、岩山を上ったりで、今までの旅とは少し趣が異なりましたが、大いに楽しめました。

それにしても日本からお見えになったHさんのご両親、父上が77才、母上が75才、ハイキングコース全部を私達と同じように行動をされました。
びっくりしました。

空港 (4)

コロンバスまでの帰りは、来る時と違って搭乗率は70くらいで、3席のシートに3人で座る事ができました。

飛行機は出発が1時間遅れで結局コロンバスに着いたのは夜中の0時を廻っておりました。

車のパーキングの料金を払うときに、「グッドモーニング!」、って言ってやったら、「あ、日が変わったのね!そう、グッドモーニングね。」、って黒人のオバサンが笑っていましたっけ。
お土産の一部

今回はナバホの砂絵を2枚買いました。大変気に入っています。
それとせっかくですからR66のマグカップも。

ちょっと変わったお土産として CALROS NAKAI のネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民族)ミュージックのCDを1枚買ってきました。

NAKAIは中井でも仲居でもない、れっきとしたネイティブアメリカンの名前です。
これを聞くと、あの広大なユタ、アリゾナの光景が目に浮かんできます。
旅の前半はモニュメントバレーまでです。グランドサークルという場所は日本人のアメリカ観光旅行としては超人気という場所ではありません。
でもここに来ないとアメリカを見た、という事にはならない感じです。

今からたった150年前に東部から西へ西へとこの砂漠地帯を進んで行った開拓者達。はっきり言ってスゴイ人達だった、と思います。これの子孫が今のアメリカ人達です。
何が起きるかわからない荒野を命がけで乗り越え、そして町を作り、牧場を作って住み着いていった、、、、、。

よく言葉で聞く、「フロンティア・スピリット」、とは何か、千分の一くらいわかったような気がしました。
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