大西部−3
昨年に引き続く大西部の旅、今回はザイオン国立公園、ブライスキャニオン国立公園、アーチーズ国立公園、モニュメントバレー、アンティロープキャニオン、そしてグランドキャニオンという聞くだけで熱風が吹き上げてくるところを4泊5日で訪れてきました。

連日朝の7時半には集合、1日の終わりは夜の8時〜8時半という中身の濃い旅行で、グループツアーでしたが大いに楽しめました。ユタ州、アリゾナ州というアメリカ西部を代表する山岳地帯、これを見ずしてアメリカを語るなかれ、という感じがしないでもない旅でした。

只、どこへ行っても風で巻き上がるあの赤い色をした砂岩、鼻の穴、耳の穴、目の中、口の中にまで入ってきて少々参りましたけど。
コロンバスからラスベガスまで

旅は先ずラスベガスまで行く事から始まります。コロンバスからはダイレクト便が出ており、4時間少々でラスベガスに到着します。非常に便利です。

機内はご覧のようにほぼ満席状態、但し快適かどうかは隣に座る人によって決まります。今回は非常にお行儀のいい白人の男性で助かりました。

コロンバスとラスベガスは3時間の時差があり、朝の9時にコロンバスを出発すると10時15分にはラスベガスニ尽きます。
マッカーラン(ラスベガス)国際空港

例によってアメリカの空港というのは本当にわかりやすくできています。飛行機がゲートに着いて荷物を持って降りて、6〜7分も歩くと外に出ました。

ここはラスベガス、ゲートにもそしてご覧のように荷物を受け取るクレームエリアにもどこに行ってもスロットマシンが置いてあります。

私は国内旅行の時は余程の事がない限り、荷物は機内持ち込みとします。ギリギリのサイズのスーツケースをカミさんと合計2つ+リュックサックで十分です。
ラスベガスの宿

泊まった旅籠は門手軽路(モンテカルロ)と言う名前のでっかい宿。
中では丁稚、仲居さん、そして手代、番頭さんらしき人達が忙しそうに働いておりました。

ラスベガスの特徴としまして旅籠の中に巨大な賭場がありますので、博徒がうようよおります。
賭場の中では飲み物はロハ、持って来た娘さんに1文(ドル)程度を握らせればいいのです。

ここは少しでも変な事、酔っぱらったり、ケンカしそうになると瞬時に岡っ引きがすっ飛んでくるとの事、治安はあまり心配なさそうでした。
ちょっと変わった宿

ラスベガス到着の翌日、4泊5日のグループツアーの開始です。
このホテルは世界でもここだけと言われるピラミッドの形をしたホテルで、正面には人間の顔をした巨大なライオン(スフィンクス)が寝そべっておりました。

グループツアーはお客が総勢47名、これにガイドさんと運転手を入れて総勢49名という大所帯。
お客の47名は17名が日本から、30名がアメリカ・カナダからの人達でした。

バスはこのようなホテルを4つ程廻って、それぞれお客をピックアップしていきます。
さあ、出発です

本日の最初の目的地はザイオン国立公園です。
ラスベガスから20分も走るとこのような風景に急に変わります。
ラスベガスが砂漠の真ん中に作られた街である事がよくわかります。

ラスベガスには年間3000万人が来るそうで、これに必要な水・電力はフーバーダム、そして更にシエラネバタからも水を引いているそうです。

水と電気があれば砂漠は関係なくなるのですね。
その前に、、、、、

ザイオンに到着前にある町のスーパーに寄ってお買い物です。お買い物とは、この昼食を買うのです。

今回の旅では5回の昼食があった訳ですが、レストランで食べたのは1回だけ。後はこのように途中でスーパーで買って、それを車内で食べるという方法でした。
理由は時間を有効に使うためです。

スーパーでは何でも売っており、ここではいなり寿司、それに巻きずしが置いてありました。旅行会社が予め交渉をしてくれてあるようです。
いなり寿司、結構イケました。
ザイオン国立公園 (1)

ザイオンに着くまでの間、あちこちに退職者が住む町がが完成、あるいは建築中でした。

ザイオンにはナバホ砂岩層がバージン川の流れによって浸食されてできた渓谷です。
これ以降ではこんなきれいな川を見るのは殆どありませんでした。

グループツアーですから自然と仲間同士で話が始まります。
ここでは日本から来た老人のご夫婦とカミさんが話をしたところ、息子さんがアラバマに単身赴任中で呼んでくれたとの事。
息子さんはアラバマで車のシート関係の仕事をしているとの事。エーッ、ひょっとしたら、、、当たりでした。

息子さんは関連会社のT社の駐在員!!社長のMさんは私のよく知っている人。そしてMさんとは昨年の旅行でデビルズタワーでばったり会っているのです。

「○△X(息子さんの名前)、こっちへおいで、、、、」、お母さんは50才くらいの息子さんを大声で呼んで、私に紹介をしてくれました。
もうびっくりしたの何のって、、、。
ザイオン国立公園 (2)

実はT社の方は今年、昨年だけでなく2年前のこの時期のSF旅行の時もKさんという方にお会いしているのです。
ちょっと偶然にしては出来すぎています。(ところが今回は更にこのような話があと4つ続くのです。)

さて公園内ではこのようなトラムに乗って移動、巨岩群を見学します。
今回は47名という大所帯なので一度に乗れませんので、2回に分けて乗りました。

これもグループツアーの長所、予め旅行会社が手配してあるので、待ち時間なしで乗れます。
ザイオン国立公園 (3)

それにしても暑い。40℃以上は確実ですが湿気がありませんので、何とか大丈夫です。
でも水の補給は欠かせません。

ガイドさん曰く、「水はガブ飲みしてはいけません。少しずつ補給して下さい。」との事でした。
水は500CCのボトル1本を旅行会社が準備してくれていますが、これでは足りないので、昼食買うスーパー等で買っておきます。

今回は私達は小型のクーラーボックスを持参、ホテルで氷を詰めてボトルを冷やして飲みました。
ザイオン国立公園 (4)

土産物屋で見つけた先住民族(ナバホ族)の民芸品。素晴らしいものばかりです。
この子どもを何人も乗せた亀、素焼きですが何と400ドルもします。

後ろの壺も60ドルと安くはありません。独特のデザインには惹かれます。

ザイオン国立公園内には宿泊施設はロッジが一カ所しかなく、部屋数も少ないため1年以上前の予約が必要との事でした。
ブライスキャニオン国立公園 (1)

ザイオン出発後ブライスキャニオンに向かいましたが、その前に本日の宿に先にチェックインをしました。


モーテル風の宿で、レストラン、小さなスーパー、土産物屋、ガソリンスタンドが荒野の真ん中にポツンとあります。
一応地名はブライス(BRYCE)となっています。

荷物を部屋に置いて、再度バスに乗り込みプライス・ポイントに向かいます。
ブライスキャニオン国立公園 (2)

この展望台はパウンソウガント・プラトー(確か)というところで、眼下には広大なエリアにむき出しの断層とか尖った岩が見えます。

赤い色の岩というより、どちらかと言えばピンク色に近い感じがします。
この付近は標高2000m近くだそうですが、気温は高く、とてもそんな高所にいるとは思えません。

高視野の双眼鏡の持参は必須です。
ブライスキャニオン国立公園 (3)

夕日に映えるブライスキャニオンを見て瞑想にふけるリスを発見。

近づいても逃げません。何を考えているのだろうか。
この雄大なブライスキャニオンに比べて、自分の存在のはかなさを感じているのか、、、、

カミさんに私が感想を述べると、「せいぜい、今夜の夕食の事くらいよ、、、。」、という実に情緒のない返事が返ってきました。
そりゃそうだろうけど、、、、、、。
ブライスキャニオン国立公園 (4)

展望台から景色を楽しんだ後、今度は渓谷を下って底からの風景を見るという仕掛けに参加。

ところがこのハイキング、結構な距離を歩く事になりました。
特に帰りの登りのきつかった事。汗びっしょりになり、そして全身を砂岩でまぶされてしまいました。
苦労した割には底から見た風景、全然感激しませんでした。

はっきり言って、この企画、Xです。
ブライスキャニオン国立公園 (5)

汗びっしょりになって谷底から登り切った時、素晴らしい光景が目の前に広がっています。さっそくシャッターをいくつも切ります。

このような大自然、とてもじゃありませんが、カメラにその感激を残せるものではありません。
感激をした瞬間、何とかそれを残そうと空しい努力をします。

でもその感激の100分の1も残れば上出来です。
この写真はその上出来の中の1枚です。
1日目が終わりました

宿に帰ってきたのが8時半頃、埃だらけ、汗まみれです。
さて、夕食はどうするか、レストランはありますが何か疲れているし、面倒くさい。

という事で、今日の昼にスーパーで買った残り物とホテルの横にあるスーパーで買い物をして、それで済ませる事にしました。

スーパーに行くと、同じような考えなのか、グループの日本人が何人も買い物に来ていました。、
さあ、2目の始まりです

昨日の疲れも大体取れ、6時前には目が覚めてしまいました。
と言ってもオハイオ時間では既に8時、ここはユタ州、時差が2時間になっているのです。

部屋を出て駐車場の付近を散歩してみます。真っ青な青空と、緑の木々もあり、本当に爽やかです。

今日の予定はデットホースポイント州立公園に立ち寄って、アーチーズ国立公園に向かいます。
キャピトルリーフ (1)

ちょっと記憶とメモがあやふやなのですが、ここはまだ正規の国立公園ではなく、その前の国定公園だったと記憶しています。

ホテルを出発後、ガイドさんから昨夜はお湯が出なかった苦情があった旨の話がありました。

このツアーだけで20室程度を使ったと思うのですが、日本人はお湯をジャージャー流して、湯船に一杯にお湯を溜め、かつそれが同時期に重なるとホテルによってはお湯が出なくなることがあります。

確かに昨夜は生温いお湯しか出ませんでした。
キャピトルリーフ (2)

ここは国立公園に指定される可能性が高く、それを見込んで既に立派なビジターセンターが建てられていました。

そのビジターセンターの入り口の横に、でっかいトカゲのオブジェが置いてありました。きっと何か理由があるのでしょうが、聞いてくるのを忘れました。

ここで休憩していると、横の道路(確かUS24)を消防車がすっ飛んでいきました。
集落なんか殆どない場所なので、いったいどこから来てどこに行くのだろう、と不思議でなりませんでした。
モルモン教開拓者の小屋

この小屋はBEHUNINという人が1882年に建て、最大時には家族15人でこの付近で生活をしていたそうです。

小屋の中で寝たのはお父さん、お母さん、それと幼い小さな子どもが2人だけで、残りの子ども達は横の岩のスキ間に横たわって寝たそうです。

このユタ州は迫害を受けたモルモン教徒が逃れて来たところで、あちこちにその名残というか、話が伝わっています。
アメリカ先住民族の描いた壁画

急にバスが停まりました。おっと、居眠りをしていたようです。
あわてて降りみんなの後をついて行きます。

何でも、この岩肌に壁画があり、それを見に行くというのです。ありました!人間、動物、植物の小さな壁画が高いところに描かれていました。

残念ながら居眠りをしていたので、この壁画の由来、その他一切わかりません。
グループツアーはガイドさんの話を聞き逃すと、何を見ているのか、わからなくなる事があるという、いい見本でした。
大平原、ひたすらにバスは走る、、、、

行き交う車も殆どない、左右は果てしなく広がる大平原。勿論携帯電話の電波も届かない。

時々本当に小さな集落をあっという間に通り過ぎる。こんなところに住んでいるのはどういう人達なんだろう。

乾燥した大地、真っ青な青空、この風景は100年前も、1000年前も、1万年前も同じである。
アメリカの広さを改めて実感した。
デッドホースポイント

ここは州立公園で、コロラド川の浸食でできた渓谷です。
このようなところにもちょっと時間を割いて寄ってくれるのがグループツアーの特徴です。
個人旅行ですと、寄るというのが難しいかも知れません。

でも逆にもう少し居たいナーと思っても、団体行動なので時間がくれば諦めて集合しなくてはならないのがグループツアーです。

ここは何だか、グランドキャニオンに似ている雰囲気でした。
アーチーズ国立公園 (1)

今日の夕方と、明日の朝の2回ここに訪れるというコースです。

名前のとおりここは穴の開いた岩(アーチ)があちこちに点在しております。ズバリ、見事な奇眺の場所です。
どうしてこんな形のものができたのか、本当に不思議でなりません。

場所としては完璧なユタの砂漠地帯で、緑は殆どありません。
アーチーズ国立公園 (2)

これは見た目のとおり、バランス・ロックと呼ばれている奇岩です。
かつてはこの横にもう一つあったそうですが、浸食が進んで落下てしまったそうです。

この周りをぐるっと回るトレイルが設けられていますが、本当にいつ崩れ落ちてもおかしくない感じでした。
風化は風、雨(このような砂漠でも年間に数百ミリの降雨がある)によって年間に数ミリから数十ミリも進むそうで、これが見れるのも時間の問題かも知れません。
アーチーズ国立公園 (3)

ここはウインドウズ・セクションと呼ばれる場所のダブルアーチです。一つしか写っていませんが、これと同じ巨大な穴が右側にもあります。

このアーチと付近は、スピルバーグ監督の、「インディー・ジョーンズ最後の聖戦」、のロケ地にもなっています。

グランドサークル自体が昔から映画の撮影によく使われている場所で、映画の名前をガイドさんから聞くと、ヘーッという感じになってしまいます。
アーチーズ国立公園 (4)

2日目はウインドウズ・セクションを見たところで一旦公園を出てモアブという町に宿泊です。

チェックインの後、ホテルの近くのイタリアンレストランに入って、席に着いた時、斜め向かいのアメリカ人の家族連れが手を振るではありませんか。

な、何と、同じ会社の隣の職場のMCさん一族ではありませんか。
お互いあまりの偶然に、しばし唖然としてしまいました。
MCさんはグランドサークルを11泊の予定で家族旅行をしている最中でした。
アーチーズ国立公園 (5)

グループツアー3日目の朝、7時前のモアブの町は車も少なく、静かな町です。ここは完全な観光の町で、アーチーズ国立公園に来る人の宿場町になっているという感じでした。

この日は昨日に引き続きアーチーズ国立公園に行き、見学をしてその後モニュメントバレーに向かうという予定です。
大事な事は、ここのスーパでビールを買っておく事です。
ナゼならモニュメントバレーではナバホ族の居留地内に宿泊、ここは禁酒になっているため、レストランでも液体燃料は飲めないからです。
アーチーズ国立公園 (6)

8時前にホテルを出発、行ったところはデリケートアーチと呼ばれる、これぞ奇岩中の奇岩です。

アーチの下に米粒のように写っているのが私とカミさんです。右下は崖でなかなかのスリルも楽しめるところです。

ここに来るにはバスを降りて、岩の上り坂を2km以上歩かなくてはなりません。
もう朝から汗びっしょり、気温もグングン上がってあっという間に40℃近くになっているとの事でした。
アーチーズ国立公園 (7)

デリケートアーチに行くまでの崖の登坂道です。この写真の右側は何百メートルの絶壁です。足を踏み外したら、絶対に助かりません。
カミさんはこれ以上右には行くことができませんでした。

このような道を汗をかきながら2kmも歩くのですから、結構しんどいです。
でも遠くの景色は最高です。この雄大さは口では表現できません。
アーチーズからモニュメントバレーへ

アーチーズ国立公園に別れを告げてアリゾナのモニュメントバレーに向かいます。

窓から見える景色は砂漠の単調な風景を眺めながら私はアメリカの先住民が受けた信じられない虐殺、迫害を思いだしておりました。
(私は昨年のイエローストーンへの旅をきっかけにアメリカの歴史を少しだけ調べてみたのです。)

バスの中は静かで、ガイドさんのマイクでの説明もなく、先住民の民族音楽がスピーカーから流れているだけです。

いろいろな事を忘れ、ボケーッと風景を見る、最高のひとときです。
モニュメントバレー (1)

やってきましたモニュメントバレー。
今回の旅で一番来たかったところです。グランドキャニオンなんか目じゃありません。

ここは先住民族であるナバホ族の居留地で、何と言ってもジョン・フォード監督の「駅馬車」、の舞台になったところです。

右はホテルの部屋からの眺めで、もう嬉しくて嬉しくて何か子どもみたいにはしゃいじゃいました。
ちょっと恥ずかしかった。
モニュメントバレー (2)

泊まったホテルはその名も「ゴウルディングス・ロッジ」、ジョン・フォード監督など映画関係の有名な人達が泊まった由緒あるホテルです。

部屋は割と狭いのですが快適で、砂漠の中にこんいいホテルをよく作ったものだと関心してしまいます。

このホテルは個人で申し込むと2年先まで予約で一杯で、簡単には泊まれないようです。
私達の場合は旅行会社が逆に2年先まで予約をしてあるので、このように泊まる事ができました。
モニュメントバレー (3)

ここはナバホ族の居留地、ナバホ族には信じられないような迫害の歴史があります。
1848年に起きたゴールドラッシュ、東武の白人がどっと西に向かいました。

でもそこには自然と共に生活する先住民がおりました。白人はこれらの先住民に何をしたか?

私はアメリカに来ている企業からの駐在員の一体何人の人がこの歴史を知っているか、いつも考えます。
私の知る限り、10人中10人、誰も知りません。
モニュメントバレー (4)

先住民の人達はいろいろな民芸品を見せてくれます。ここでは先住民の典型的な住まいの中で織物を編んでくれるところの実演を見せてくれました。
住まいは外から見ると土でできた「かまくら」、ですが、そんな単純なものではありません。
木材で枠を作り、それに土を被せて、水を撒く。
そうするとナバホ族の冬の家が出来上がります。

文明とは何か?このような住まいを見ていると、そんな事を考え出してしまいます。
モニュメントバレー (5)

モニュメントバレーで最も有名なところ、とうとうやってきました。
実は、感激で一杯の私だったのであります。

モニュメントバレーと言えば、そう、映画「駅馬車」の撮影が行われた場所でもあります。

猛スピードで走る駅馬車の上でジョンウエインがライフルを構えてこの奇岩の横を走るあの駅馬車、何十年前に見た映画の感激が蘇りました。

高校生の時に見たあの映画、その場面に自分が来ているなんて、、、、、
モニュメントバレー (6)

ここも有名な場所です。
後ろに見える絶壁の上に馬に乗ったカーボーイと言えば殆どの人が写真とか、映画で見た事があると思います。

でもこのカウボーイ、白人ではなくインディアンのオジサンでした。
こうやって写真を撮らせて稼いでるのでした。

でも本当に絵になる風景です。
モニュメントバレー (7)

泊まったロッジ裏山です。ここは西部を舞台に映画を撮ったジョンフォードが、ロケのベース・キャンプにした由緒あるところだそうです。

気温は40℃、でも湿気がないので、それ程暑いと感じません。
モニュメントバレーはアメリカ先住民族のナバホ族の居住区でもあり、ここは禁酒市域です。
ここに住む先住民族は観光以外に仕事はなく、何もする事がありません。

でも政府から毎月何百ドルかの生活補助をもらっており、これの殆どが酒代に消えるという事です。
禁酒とは表向きで、実はナバホ族の人達の多くは酒浸りの毎日だという事です。

実はこれはアラスカのエスキモーも同じ状況で、結局は彼等の多くはアメリカ社会から遠ざけらた存在になっているのです。
モニュメントバレー (8)

土産物屋です。
先住民族の民芸品は実に素朴で、そして素晴らしい芸術品ばかりです。

いろいろな土産物の中には MADE IN CHINA もかなりあって紛らわしいです。
店員にこれはローカルのものかどうか聞くのがよいと思います。

アメリカ人観光客の買い物を見ていると、彼等は見るだけで大したものを買いません。
どかっと買うのは日本人ばかりです。
モニュメントバレー (9)

このロッジには結構立派なレストランがあり、渡したちも夕食をここで食べました。
ウエイター、ウエイトレスの全員が先住民族で、見れば見るほど日本人に似ている顔をしています。

大昔、ユーラシア大陸からベーリング海を渡ってアメリカ大陸に来たのがこれらの人々である、と言われると全くそのとおりだと思わざるを得ません。

ここで食べたのはガイドさんお勧めのナバホ族のタコス、ものすごいボリュームでカミさんなんか3分を1を食べたところでギブアップでした。
モニュメントバレー (10)

ロッジの各部屋にはテレビがあり、10チャンネルくらいを見ることができます。どうしてかなー、と周りを観察すると隠れた場所にマイクロウエーブの大きなアンテナが見えました。

私は部屋の中から、短波放送を聞いてみました。オハイオと違って、アジアの国々の放送がガンガン聞こえました。

もちろんNSB(日本短波放送)もよく聞こえました。モニュメントバレーで聞く日本語からの放送、ちょっと奇妙な気分になりました。
モニュメントバレー (11)

モニュメントバレーの朝です。

5時前に起きて、部屋を出て待つこと10分。遠くに見える奇岩の向こうから朝日が昇ります。
この風景を見ただけで、ここに来た甲斐がありました。

中学生の時に見た写真で見たモニュメントバレー、自分が今そこに立っているというのが信じられない、そんな感激を覚えました。
旅の前半はモニュメントバレーまでです。グランドサークルという場所は日本人のアメリカ観光旅行としては超人気という場所ではありません。
でもここに来ないとアメリカを見た、という事にはならない感じです。

今からたった150年前に東部から西へ西へとこの砂漠地帯を進んで行った開拓者達。はっきり言ってスゴイ人達だった、と思います。これの子孫が今のアメリカ人達です。
何が起きるかわからない荒野を命がけで乗り越え、そして町を作り、牧場を作って住み着いていった、、、、、。

よく言葉で聞く、「フロンティア・スピリット」、とは何か、千分の一くらいわかったような気がしました。
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