ヨーロッパ(1)
コロンバスからダラス、ダラスからフランクフルトに到着し、ホテルのリムジンバスに乗って最初に感じ事は、走っている車が小型である事、そして自家用小型トラックとかSUVとかの野暮ったい車が走っていない事、車が全体にきれいなこと、等に気が付きます。

次にホテルに着いてカウンターでチェックインする時、「あっ、この人達も英語は外国語なんだ〜。」、という事で、アメリカ人の早口のまくしたてる英語に苦労することなく、非常に気が楽になった点でした。

3番目にちょっとびっくりしたのは、タバコを吸う人が異常に多い事でした。しかも歩きタバコをする人が結構目につくのです。女も男に負けず、歩きタバコをする人が多いのに少々びっくりしました。ひょっとしたらアメリカが異常な国なのかも知れないナー、とさえ思ったりもしました。

では先ずはドイツでの2日半の旅行記を紹介します。
コロンバス出発です

コロンバスETDは10:10。ですから起床は06:00で07:30に家を出れば十分に間に合います。
食事は以前はお弁当を作ってもらった事もありましたが、この日は空港のレストランで済ませました。

ここは量が多いので、1人前を注文して半分づつして食べます。これで十分で、1人前を注文するとウエイトレスは、「シェアーするのですか。」、と聞いてきてもう一枚皿を持ってきてくれます。

腹ごしらえも十分、出発準備よし、です。
一般的な宿

フランクフルト空港に着いてホテルのリムジンでホテルまで。部屋は普通の部屋で、まあまあです。
クーラーはありません。
ヨーロッパのホテルはクーラーがないのは珍しくなく、普通です。

部屋に入ったのが朝の9時で、この日は特に予定もなく夕方に娘達が来るまで自由行動です。
フランクフルト市内観光(1)

ホテルで一服した後、市内観光に出掛ける事にしました。
ホテルのフロントで聞くと電車で行くのが一番便利だとのこと。ホテルから歩いて2分のところに駅があり、ここから20分でフランクフルト中央駅に到着です。

中央駅前の観光案内所で地図をもらいましたが、イマイチわかりにくい地図です。
結局はレーマー広場までの行き方を通行人に聞きました。
市内は路面電車が走っており、落ち着いた雰囲気の街です。
フランクフルト市内観光(2)

レーマー広場です。中世の雰囲気を色濃く残している広場で、独特の木組みの建物に囲まれており、教会もいくつもあります。

日本人の団体、韓国人の団体、中国人の団体、やたらと東洋人が目立ちます。
土産屋に入ってみましたが、中国人のマナーの悪さが際だっていました。

カミさんがトイレを差がしたのですが、見つかりません。そう、思い出しました。ヨーロッパでは日本とかアメリカと違って自由に使えるトイレというのが街中にはないのです。
フランクフルト市内観光(3)

何だかんだでコロンバスから17時間のフライトで来ているので、あまりお腹が空いているというわけではありません。
パン屋でサンドイッチとジュースを買って、外のテーブルで簡単に済ませる事にしました。

椅子に座るとスズメとハトが1mくらいのところまで近寄ってきて、パンの切れ端をくれるのを待っています。
パンをやると7〜8羽のスズメとハトがパンの取り合いをします。
フランクフルト市内観光(4)

ドイツと言えば刃物とかハサミとかが有名です。
通りに小ぎれいなヘンケルの店があったので入ってみました。
初めドイツに来た20年以上前、やはりヘンケルの包丁とかワインの栓抜き、ペーパーナイフ等を買い、ワインの栓抜き以外は今でも使っています。

ワインの栓抜きは家のどこかにあると思うのですが、見つからないのです。そこで再度ここで買うことにしました。
フランクフルト市内観光(5)

フ電車の切符の自動販売機です。左に駅の名前が書いてあるので目的地を探し、3桁の番号をキーでインプットすると金額が表示されるので、その分のお金を入れます。

往きは何だかんだしているうちに、切符を買わないで中央駅まで乗ってしまいました。改札というものがないので、こんな事になってしみます。
でも車掌の検札で無賃乗車が分かってしまうと、非常に高額の罰金を払うことになるそうで、私達はラッキーでした。(たまたま検札がなかった。)
1日目の夕食

日本からの2人の娘も夕方には無事到着し、ホテルのレストランで4人で夕食を摂りました。
小さなレストランでしたが、料理の量は非常に多く、4人とも大いに満足でした。

この日は早めに部屋に戻り、明日からのツアーに備える事にしました。
ツアーの添乗員、その他日本からのグループは夜の9時頃にホテルに着いたようで、10時頃に添乗員の林さんという人が部屋に来て、明日からの行動の説明をしてくれました。
リューデスハイム(1)

さて今日から実質的なツアーの始まりです。
朝食の後、バスで1時間ほどのリューデスハイムという町に向かいました。

ここはライン川クルーズの出発点なのですが、非常に美しい町で、風景を十分に楽しめるところです。
ブドウ畑の拡がる町で、ワインハウスがあちこちに並んでいます。

ここも結構な数の観光客が既におり、やはり東洋人が目立ちました。
リューデスハイム(2)

これはお店などに入り口にあるので、屋号のようなものでしょうか。正式な名前を聞いておくのを忘れました。
いろいろなデザインがあって、見ているだけでも飽きません。

それとヨーロッパの家の多くは窓に花を飾っており、これが街並みを非常に美しくしております。
花の多くは赤とかの原色の目の覚めるような色が多く、本当にきれいです。
リューデスハイム(3)

日本人が経営するワインを売る店に連れて行かれました。グループツアーはこのようなお店訪問が必ずあります。

ここではワインを試飲させてくれ、気に入ったものを注文すると日本に送ってくれるというシステムをとっていました。
1本8000円とか12000円とかする高価なワインばかりでした。

私も3〜4種類のワインを試飲してみましたが、どれも甘口が多く、ワインの事をあまり知らない女性向け、というものばかりでした。
リューデスハイム(4)

どれが昔のままの建物で、どれが最近建てられた建物なのかよくみないとわかりません。

ここはフェンスが立っているレンガ積みの土台と左側の家は昔からのもので、右の建物は観光用に後で建てられたもののようでした。

でもどこを向いても絵になる風景で、ゆっくりと写真を撮ることができればいいのですが、グループツアーの悲しいところで、こういう場所ではあまり時間を割いていません。
リューデスハイム(5)

この日は気温は20℃ちょっとで、湿気は殆ど感じません。
バスを降りたときは小雨がぱらつきましたが、その後雨が降ることはありませんでした。

この写真の左側20mくらいはライン川で、この20mの間に線路があって機関車が走ります。
ライン川クルーズ(1)

これは対岸に横付けされている船で、私達が乗った船は二回り二回りくらい大きい船でした。
川の水は少し濁っており、日本の川のような清流という感じではありません。

船はリューデスハイムを出航して、目的地のザンクトゴアというところまで約2時間弱の船旅です。
ライン川クルーズ(2)

川岸に拡がる風景と古城の景観を楽しむには舳先にある甲板に陣取るのが一番です。
船内はレストランがあって、ワインかビールを飲みながら窓ガラス越しに見るという方法もありますが、やはり甲板上で頑張ることにしました。

出航すると向かい風なので、かなりの風を受け、体感温度はぐんと下がり、上に何か着ていないとかなり寒い感じです。
ライン川クルーズ(3)

暫くすると左右に古城が現れます。双眼鏡で覗くと船からでもかなり詳しく見ることができます。

このような城は日本で言えば出城なのでしょうか、しかしたった2時間の船旅(多分35〜40km)でこれほど多くの城が次々に現れるのはやはり圧巻です。
惜しむらくは最初の1時間くらいが少し天気が悪かった事で、光線の具合から写真がイマイチになってしまったのが残念。
ライン川クルーズ(4)

古城はそれぞれいろいろな歴史を持っており、もちろん名前もついています。
この船旅の間は添乗員さんによる説明がなく、事前の勉強不足の私にとってはタダの風景を楽しんだだけになってしまいました。

カミさんは甲板上は寒いというので、船内から風景を見ていたようでした。

山はかなりの斜面でもブドウ畑になっています。
ライン川クルーズ(5)

この古城だったと思いますが、双眼鏡で覗くと”HOTEL”という白い文字が見えました。
という事は古城をホテルにして、客を泊めているという事でしょうか。
できるものなら泊まってみたいものです。

(もし泊まる事ができたなら、、、、)
城に泊まった夜、左手に数珠を持って一杯(私の場合、ワインではなく、やはり日本酒になる)やっていると、鎧の音がガチャガチャ聞こえて、中世の騎士の亡霊が現れる。
酒を入れた杯を置いて、数珠を額に当てて瞑目すると杯の中の酒は消えている、、、南無阿弥陀仏。
ザンクトゴア(1)

ここで船を下ります。コースによっては更に川を上っていくものもあるようですが、ザンクトゴアまでの間で、大半の古城は見ることができると添乗員さんが言っていました。

天気もよくなり、ここであるレストランに入り、昼食を頂きます。
グループツアーの強味で、昼食もさっと済ませる事ができます。個人の旅行ですと、こうはいきませんからね。
ザンクトゴア(2)

天気も良くなり、青空が拡がってきました。
私達が船で川を上っている間にバスはザンクトゴアまで来ており、それに乗って次の目的地に向かいます。

今回の旅で不思議なのは、オハイオと6時間の時差がある国に来ているのに時差ボケが殆どない事です。
昨夜も6時間くらい寝る事ができました。
ハイデルベルク(1)

ザンクトゴアから2時間少しでハイデルベルクに到着です。ここでの案内は地元に住んでいる日本人のガイドさんがバスに乗り込んでやってくれます。

先ずネッカー川沿いあるハイデルベルク城に入ります。築城には何百年もかけられたそうで、複数の建築様式が見られるという説明だったと思います。

写真には写っていませんが左側の建物の中には巨大なワイン樽があり、見どころになっていました。
ハイデルベルク(2)

城の裏手の広いデッキから眺めたハイデルベルクの街。中世そのままの佇まいです。
ハイデルベルクはドイツ最古の大学都市で第二次大戦でも爆撃されていない都市のひとつだそうです。
爆撃を逃れた理由は、ハイデルベルク大学の出身のアメリカ軍将校が爆撃を回避する運動を行ったから、とガイドさんが説明していました。

ドイツは第二次大戦では爆撃を受けただけではなく、国土そのものが戦場になっている国です。
ハイデルベルク(3)

市内は一部ですが、このような近代的な建物が並ぶ通りもありますが、基本的に古い建物で構成されています。

街を歩いている人を見ると、割と若い人が目立つのは学生達でしょうか。
ハイデルベルク(4)

川沿いの駐車場にバスを停めて、町中をゾロゾロと歩きます。
16世紀に学校ができたとき、犯罪を犯した学生は当局が取り締まるのではなく学校が取り締まり処分をしたそうで、そのために作られた学生牢なんてのがありました。

ケンカ、酔っ払い、その他やはり学生のやる事は今も昔も変わっていません。
写真は何とかというおお通りで観光客相手の店が並んでいます。
ハイデルベルク(5)

3000EUR(約50万円弱)のナイフ・フォークセットです。
このセットがハイデルベルクとどういう関係にあるのか、多分関係はないと思うのですが、あまりにも見事なのでしばし見とれてしまいました。

ここにも日本人の経営する主として日本人相手の土産物屋があり、ここのトイレを借りるついでに土産物を買うというコースが設定されておりました。
ハイデルベルク(6)

カールテオドール橋につながる通りです。なかなか感じのいい通りです。
この手前には市役所とか立派な聖霊教会がありました。
このツアーではこのような教会の中には入るコースにはなっていませんが、中にはなかなかのステンドグラスがあるという事でした。
見たかった、、、、。
ハイデルベルク(7)

カールテオドール橋の上から見たハイデルベルク城です。橋は何か工事中で歩きにくかったのですが、立派な橋でした。

橋はネッカー川にかかっており、この川を渡って対岸に行くと、かの有名なゲーテも思索にふけりながら歩いたという哲学者の道というのがあるそうです。

この道を私のような凡人でも、歩けば何か御利益があるかも知れませんが、やはりこのツアーではコースに含まれておりませんでした。
ハイデルベルク(8)

ハイデルベルクの観光も終了してバスの駐車場に向かう途中の通りです。
車がきちっと縦列駐車されており、大変静かな通りです。

ハイデルベルクは見どころは旧市街地に集中しているので徒歩で十分に観光ができます。
EU各国の車のナンバープレート

国がいくつもあって地続きのヨーロッパでは車も簡単に国境を越えて往き来します。
この車はオランダから来た車で、NLがそれを示しています。
ドイツはD、スイスはCH、デンマークはDK、以前は車の後ろに楕円の大きなステッカーを貼っておりましたが、今は貼らなくてもいいようです。

20数年前にヨーロッパに来たときは、B(ベルギー)のステッカー貼った車でスエーデンまで行ったけ。
バス旅行での格好

女性は日焼けを嫌がるので直射日光を避けるため、サングラス以外にツバの広い帽子を被ったり、覆面をしたりします。

ちょっと困るのは、このような防止策をとらないで、窓のブラインドをさっと閉めてしまう人が結構いる事です。
バス旅行は窓からの風景が命です。自分だけ風景を見ないのなら構いませんが、他の見たい人に迷惑です。
今回も4名ほどそのようなご婦人がみえ、せっかくの風景が遮られる事があり、残念でした。
ローテンブルグ(1)

2日目はハイデルベルグ郊外に泊まり、翌日は3時間をかけてローテンブルグに向かいました。

ローテンブルグに到着後、先ずは昼食です。
なかなか雰囲気のいいレストランです。このような簡素な田舎レストランでソーセージとチーズを肴にワインをチビリ、チビリ、、、。

(誰かの声:違うだろう?!山菜と塩辛で冷や酒をチビリチビリだろ?!)
ローテンブルグ(2)

出てきたのは白い肉団子3つ。ウー、、、まイイカ、昼飯だもんな、、、。
という訳で雰囲気はよかったものの、肉団子3個を空きっ腹にねじ込み、昼食は終了と相成りました。

旅行では食事を殆ど気にしない方、とにかく朝昼晩マックでもOKという方がいらっしゃいます。
でも日本人、旅先の食事は重要な要素の一つです。
最も卑近な例が海辺の民宿。只、食べるだけの目的で旅に出て、宿泊する。これは欧米人には理解できない事かも知れません。
ローテンブルグ(3)

ここはロマンチック街道のハイライト。”中世の宝石”と呼ばれる、おとぎの国でもあります。

確かに言われるとおり、私なんかはもう感激の極みに達するのであります。(我が家のカミさん、娘達はどうか、よくわかりませんが。)

ローテンブルグは城塞都市で、日本では見ることのできない都市形態です。
東洋で城塞都市を形成していたのは中国で、代表的なものが南京でしょうか。
ローテンブルグ(4)

マルクト広場と呼ばれる場所で、ここローテンブルグの中心地です。
木組みの伝統的なドイツの建物は見事です。

ここには市庁舎とかもあり、ローテンブルグの主な見どころが全て集まっているという感じです。
観光客の数も半端ではなく、いろいろな国の言葉があちこちから聞こえてきます。
ローテンブルグ(5)

城塞都市と言うからには城壁に上ってみなくては話しになりません。
城壁は本当に頑丈によくできており、戦で万が一敵に占領されても敵を局所に封じ込めるための工夫とかがされています。

写真は5ポンド砲で、18〜19世紀初頭のものと思われます。ここに上る観光客は殆ど見掛けませんでした。
ローテンブルグ(6)

中世ヨーロッパは日本の戦国時代のようなもので、ずっと戦争に明け暮れていました。
と言うより、今の基本的な国境ができたのは1945年でそれまではしょっちゅう、国境が変わっていた地域です。

城壁の窓からは公園とかが見え、のどかな風景が拡がります。

城壁の長さは3.5kmで、その中に街がすっぽりと入っています。
ローテンブルグ(7)

城壁に上ってそこからマルクト広場に帰る途中、広場の砲からパレードのマーチが聞こえてきました。相当に大がかりなパレードです。
今日は何の日で、何の記念のパレードなのか皆目見当がつきません。

パレードは30〜50人くらいの集団で、次から次へと現れてきます。
賑やかで楽しそうで、つい見とれてしまいました。
ローテンブルグ(8)

パレードは16〜18世紀の頃の格好をしたもので、延々と続きました。
退役軍人グループのパレードもあり、最後の方の退役軍人さんなんかビール片手にちょっとフラフラしながら行進をしておりました。

こんなに素晴らしいパレードを見ることができるなんて、ラッキーです。
でも気になります。何のパレードなんだろう?
ローテンブルグ(9)


この城壁の街の中には普通に生活する人も住んでおり、全く特別な街ではない事を示しています。ホテルも何軒かあるそうで、写真はその中の1軒です。

ここに来て下の娘がお腹が痛いと言い出し、近くにあった薬局に飛び込んで薬を買うと言い出しました。

私も心配でその薬屋に入ってみましたが、店のご婦人の英語は非常に限られており、娘は身振り手振りで何が欲しいのか伝えるのに一苦労していました。

そんな訳で何にでも効く(そんな事を言っていた、と思う)ゼリー状の飲み薬兼、塗り薬という奇妙な薬を買い、これを水に溶いで飲んだ結果、娘のお腹の痛みはぴたりと止まったという次第です。

ここローテンブルクにも日本人の経営するお土産屋さんがあり、ここでトイレを借りる傍ら、買い物をするというお決まりのコースとなりました。
ローテンブルグ(10)

マルクト広場では吹奏楽の演奏が始まっており、人が一杯集まっておりました。

演奏しているのは20歳前後の白人ばかりで、どうも英語をしゃべっている様子です。
建物の隅っこにまとめて置いてある楽器のケースを見ると何とミズーリー州と書いてあるではありませんか。このチームはミズーリー州立大の吹奏楽のチームでした。
ローテンブルグ(11)

ローテンブルクは1945年3月に連合軍の空襲に遭い、市の40%は灰になったり破壊されたりしたそうで、それ以来コツコツと修復作業を継続して、今の姿が出来上がったとの事でした。

ここもじっくりと隅々まで観光をするとなると1日では足りず2日、3日と必要になるという感じでした。

町の中に日本人の経営するお土産屋があるのを見て澪わかるとおり、日本人に非常に人気のなる場所であることは間違いないと思います。
日本人が描いているメルヘンチックな雰囲気を全て備えていると言っても差し支えない町だと思います。

城壁内は人でごった返していますが、一歩城壁の外に出ると静かな田舎町の風景が拡がります。
ドイツの農村風景

特徴は赤い屋根に白い壁の建物、それに何と言ってもなだらかな丘陵が続くことです。
日本でもこのような感じの丘陵を見掛ける事は少なく、オハイオでは皆無と言ってもいいかも知れません。

家々は近くで見るとどの家も小ぎれいで、庭はこじんまりとして、やはり花とかが植えてあります。
それに道路を走っている車も小型の乗用車が殆どなので、何となく全てが可愛らしく見えます。

これがドイル観光が日本人に人気がある理由かも知れません。
名もない城壁の町(1)

ローテンブルクを出て1時間程した頃、トイレ休憩にをした休憩所の近くにあった城壁の町です。
15分だけの時間帯の中で小走りに、その城壁の方に行ってみました。

ローテンブルクと違って人通りも殆どなく、本当に静かな田舎町です。
名もない城壁の町(2)

近づくとやはりローテンブルクと同じように城壁で囲まれていますが、ローテンブルクのような頑丈な城壁ではなく、華奢に見える城壁です。

それでも入り口付近にあった看板を見ると名前は”Nordlingen”となっており、城壁内の地図も掲げられておりました。

ひょっとしたらこのような町をじっくりと時間をかけて観光するのも面白かも知れません。
名もない城壁の町(3)

城壁の入り口から町の中を覗くと、ドキッとするような素晴らしい街並みが見えました。
とにかく人の姿が殆ど見えないのが魅力的です。

アッ、もう時間がない!トイレ休憩の15分はあっと言う間に過ぎてしまいました。バスに戻らなくてはなりません。
せめてあと10分あったなら城壁の中の写真を撮る事ができたのですが。
ミュンヘン(1)

ローテンブルクからミュンヘンまで200km、2時間半ほどで着きました。
ミュンヘンは南ドイツ最大の都市で、大都会の感じがします。

今回のツアーではミュンヘンは食事をするだけで、特に市内観光はコースに含まれていませんでしたが、食事前の少しの時間を利用して少しだけ見ることができました。

ミュンヘンも実は観光スポットが一杯ある、楽しい街のようでした。
ミュンヘン(2)

ミュンヘンは特にビールでも有名なところで、ここでの食事はソーセージとビールをビアホールで頂くというものでした。

この日はサッカーのヨーロッパ選手権が8時45分から始まる日で、試合はドイツとスペインの決勝戦で、ビアホールの従業員はお客へのサービスはそちのけで8時40分頃には若いウエイターを一人残してみんなどこかへ行ってしまいました。

そのウエイターも、「チャカ、チャカ(サッカー、サッカー)」、と言って殆ど仕事が手に着かない様子でした。
ミュンヘン(3)

9時頃にビアホールを出た(追い出されたと言った方がいいかも知れません)私達はバスのところまで歩いて行ったのですが、外でも既にサッカーの試合をテレビで観戦したりして、国中サッカー一色の感じでした。

結局残念な事にドイツはスペインに負けてしまいました。
ドイツを始め、ヨーロッパ各国のサッカー熱はアメリカにいたのでは分からない事であります。
ミュンヘン(4)

やっと3日目が終わり、ホテルに辿り着きました。
この日のホテルは新築のホリデーインで部屋そのものは快適でしたが、やはりクーラーはなし、風呂はなしでシャワーのみと言う、ヨーロピアンスタイルのホリデーインでした。

この日は13時間30分の観光時間のうち6時間近くがバスでの移動という日でした。
今回のグループには75才くらいのオバアサンも混じっていましたが、驚くほど元気で一部を除き、最後までみんなと行動を一緒にしてみえました。
グループツアーも2日、3日経ってくるとどんな人がどこから来て参加している、というのが段々分かってきます。39名のうち7名がアメリカ、残り32名が日本で以外と東北地方からの参加者が多いようでした。
アメリカ国内のグループツアーのような子連れが多いという事もなく、私の下の娘が一番若い参加者で、平均年齢はかなり高い感じでした。

それと感じたことの一つに、ドイツの物価はアメリカと比べるとかなり高いことでした。全体的に1EUR=$1又はそれ以下の感じなので確実にアメリカの1.5倍はする、という感じでした。
極く普通のレストランでビール1本(水、ジュースも大体同じ)がドル換算で5ドル〜6ドルというのはちょっと高すぎる感じがしました。

さーて、前半のツアーは十分楽しめました。後半は何があるのかな?
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