アナポリス:アメリカ海軍兵学校
ワシントンDCの観光を終えオハイオに帰る日(実はこれはテロ事件の前日)、更に50Km東にあるメリーランド州、アナポリスに寄って、それからオハイオに戻る事にしました。

アナポリスはアメリカ海軍の兵学校のあるところで、日本人で訪れる人は多くはないところですが、アメリカ人に人気のあるところです。海軍兵学校とはアメリカ海軍の士官を養成する軍の学校です。
訪れる日本人は少ないと言っても、JTBの日本語観光コースのメニューの中にはあります。

ホテルを出てポトマックリバーを渡り、案の定道を間違えて20kmほどちょと遠回りをしてしまいました。ホテルを出て50分、アナポリスに到着。またここでも道を間違えて町の中をグルグル。

全く今回の旅行は道を間違えてばっかり。
アナポリスの街

アナポリスはワシントンDCの東にある、小さな街です。この写真は兵学校のゲートの中からの街の様子で、学校に隣接して大きなヨットハーバーがあります。

海軍兵学校の街ということで、街は静かでそして一般の人も大変親切で礼儀正しく感じました。

「すみません、道に迷ったのですが、、、」
中年のご婦人と、20歳半ばの青年は非常に礼儀正しく対応してくれました。
授業で移動する士官候補生達

ゲートで警備の兵隊さんに、見学をしたいので中に入ってもいいか聞くと簡単に入れてくれます。見学者と思われる人は殆ど目に入りません。

ゲートを入った瞬間に写真のようにどっと士官候補生達が道路にあふれてきました。
丁度授業と授業の間の時間帯だったようで、みんな講堂の間を移動しておりました。

18歳から22−3歳の清々しい青年達でした。
本館正面

10分もするとあれだけゾロゾロと移動していた士官候補生達はそれぞれの教室に吸い込まれ、元の静けさに戻りました。

兵学校の敷地は非常に広く、歩いては敷地全部を回る事はできません。
しかし宿舎、教室、講堂等の施設は敷地の東側に集中しており、見学者は自由に歩き回れます。

所々に一般見学者立ち入り禁止のサインがありますが、海軍の学校とはいうものの非常にオープンです。
士官候補生宿舎の中

宿舎の中は一部公開されております。
ごらんのような机とベッド、それにロッカーが一人分のスペースで、2人で1部屋を使うようになっておりました。

この手前に洗面所と、シャワールームがあり、トイレは共用でした。トイレにも入ってみましたが、見事に清掃がされておりました。

士官候補生の10%近くは女性で、黒人の候補生も相当に見かけました。
候補生の自治組織

候補生は1学年約1000人ですから4学年で4000人。

候補生全部をまとめる「BRIGADE:旅団」から小隊まで細かく分かれており、ここには中隊長までの指揮官の候補生の写真がはってありました。

この学校を卒業すると海軍少尉に任官、何年かの義務年限の軍務を終えると、海軍を離れる事もできると書いてありました。

ここの卒業生から大統領が2名出ており、1名はカーター大統領です。他にも軍以外で有名になった人の写真がありましたが、私の知っている人はおりませんでした。

アメリカ海軍兵学校の創立は1845年だそうで、3大兵学校としてイギリスのダートマスにある大英帝国海軍兵学校、それに今はないが日本帝国海軍兵学校があったと案内に書いてありました。
同じく大講堂の広間

大講堂の中に入り、長い階段を上ると広間に出ます。
非常に立派な造りで、見晴らしも良好です。
当日は見学者は私たち3人以外は数人を見かけただけで静かなものでした。

この大講堂の左右が候補生宿舎になっており、地下が食堂になっている様子でした。
なぜわかるかって?

微かないい匂いが下の方からしてきたのと1回には食堂らしきものが見えなかった、それだけのことです。
昼食を終えた候補生達

訪れたのは9月、つまり新学期が始まったばかりの時期でした。
服装を見ると1年生はすぐにわかるようになっており、やはり顔もまだ高校生のような感じがしました。

宿舎の中のあちこちからは、声を絞り出すような号令が聞こえており、新入生が先輩からハッパをかけられている雰囲気でした。

新入生諸君、がんばってね。
図書館

非常に立派な図書館と見受けました。
このような建物があちこちにあったのですが、案内のパンフレットに何の建物か、書いてないのでよくわかりませんでした。

体育館とかは見学者も入る事ができましたが、これら図書館とか他の建物は入る事ができませんでした。

どこもかも非常に良く整備されておりました。
海軍大佐クラスの官舎

敷地の中の候補生達が生活するかなり近いところに写真のような家がズラリ。

玄関をよく見ると、名前と階級が大きく書いてあります。
全部で7軒の家がありましたが、全部階級は大佐(CAPT.)とありました。

ハハーン、ここは海軍大佐連中の長屋なのか。
相当に古い造りのようでしたが、広さは私の家の1.5倍くらいはある感じでした。
海軍兵学校博物館

35000点以上の貯蔵品を持つ博物館、だそうです。
当然アメリカ海軍の歴史、つまりどこでイクサをしてどのように勇敢に戦って勝ったか、を見せる「戦果陳列館」。

スペースの3分の2は第2次大戦、その5分の4は太平洋戦線、つまり日本とのイクサの記録でした。
例の昭和16年12日8日の「卑怯なJAPの騙し討ち」から始まる、延々の陳列にはうんざり。

アメリカ海軍は太平洋で日本海軍に勝った以外は、あまり自慢をするネタがない、という事です。
車でワシントンDCに行った私たちはアナポリスまで行くのは全く問題がない場所でしたが、それ以外だと丸1日を潰さないと行けない所かも知れません。

行って「面白い」という場所では決してありませんが、アメリカという国自体が「軍」と一体の国であり、「軍の指導者=国の指導者」という強い一面があるので、どのような環境で彼らの卵が教育を受けているのか興味がありました。

アメリカ海軍兵学校の教育目的は次のようになっておりました。

To develop midshipmen morally, mentally and physically and to imbue them with the highest ideals of duty, honor and loyalty in order to provide graduates who are dedicated to a career of naval service and have potential for future development in mind and character to assume the highest responsibilities of command, citizenship and government.
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