丸11年のオハイオ生活 : 12年目突入、、、
11年前にコロンバスの空港に降り立ってから丸11年が過ぎ、オハイオ生活も12年目に入ってしまいました。12年というと、生まれた赤ん坊が小学校6年生になるまでの期間、小学校1年生が高校を卒業するまでの期間という事になります。
生活そのものはすっかり慣れてはいるものの、やはり外国生活ですから未だにいろいろとあります。最近は、「悩んでも解決しない事は悩まない。」、というのを私生活・仕事の両方で信条にしてやっています。

さてそのような中、12年目の感想を記そうとしましたが、意外と感想がスラスラと出てきません。そこで感想とは程遠い、戯れ言を思いつくままにイッキに書いてみます。若干の意味不明、暴言はお許しを。
1.SHINは本当はバイリンガルになっていた?

オハイオに来た最初の1年くらいは一生懸命に英語を覚えようとした。単語の数も相当に増えた。会話独特の言い回しも、聞いて、そして大いに使ってみたりもした。

でも1年を過ぎた頃から段々と熱が冷めていった。3〜4年も経った頃には辞書を引く回数も激減した。丸11年経った今、語彙を増やそうなんて気は全くなくなった。

もし、最初の1年のペースを今までずっと継続していれば、私は立派なバイリンガルになっていた!?
そんなわけないか!


2.ビールの味

アメリカのビールはコクがない、かと言ってキレがそんなに良い訳でもない。苦くもない。一般的にクセがない。日本から来た当初、アメリカのビールは飲んでも頼りない感じがした。

2〜3年した頃から時々飲む日本のビールがしつこく感じるようになった。8〜9年目からある銘柄の ULTRA LIGHT ビールに変えた。最初は殆ど清涼飲料水に近いと思った。でもこれにも慣れた。

で、やはり日本に行くと日本のビールを飲む。どれも味が重い。口の中でずっしりと鎮座する感じだ。正直言ってうまくない。アメリカのビールは数少ないアメリカの飲食物の中に好きな飲み物の一つになった。


3,東洋人の識別

日本人、韓国人、中国人、その他の東洋人、その国の言葉をしゃべらないとどこの人なのかなかなかわからない。アメリカで生活しているので別に何人でも構わないが、やはり気になる。
5〜6年経った頃から中国人は確率60%くらいで当たるようになった。特に化粧をしていない女性は80%以上の確率で当てる自身がある。

やはり難しいのは韓国人である。でもこれも段々と分かるようになってきた。今では70%くらいの確率と自負している。韓国人の場合は仕草で判断しないとダメである。我々とは明らかに違う仕草がある。(詳細は割愛)
私は日本人から中国人に間違えられた事がある。韓国人に韓国人と間違われた事もある。東洋人同士、結構観察し合っている感じであるす。
4.日本のレストラン・料理屋で出される料理の量

どこに行っても日本はどうしてあんなに量が少ないのか、もうイライラすると言うか、腹が立つ。元々大食いの私がアメリカに来て更に大食いになった、という事だと思う。

日本のレストランのピラフはスプーンで3回すくったら残りは殆どない、日本のマクドナルドのコーラは大きなサイズを頼んでも2回飲んだらもう空っぽ、というより氷が多すぎる。氷と氷の隙間にコーラがしみ込んでいるって感じである。
あるレストランで8000円のフルコースを食べたら、その後お腹が空いて仕方がないのでラーメンを食べた、とか。

私はカミさんと娘から、「この歳でこんなに食べる人なんて多分いないよ、高校生ならともかく。」、かなり失礼な事言われている。それにしても日本のレストランは間違いなく量が少なすぎる!


5.未だ馴染めないこと(1):運転マナー

私は車の運転が嫌いではない。オハイオ人の運転の特徴として、車間距離が少ないというのがある。120〜130km/hくらいのスピードでフリーウエーを走っていても10m以下の車間距離は珍しくないというか、普通である。15mも空いていれば割り込まれる。

フリーウエーは基本的に定速で走行、ブレーキを踏むことがないので追突の可能性は非常に低い。市街地で60km/hくらいで走行している時でも5〜6m以下の車間距離の時がある。後からグイグイ押される感じである。

そんな時、私はブレーキをチョン・チョンと踏む。すると後の車の運転手は両手を上げて、大げさにびっくりした表情をするオハイオ人がいる。この車間距離の少なさ、オハイオに来て11年経った今でもどうしても馴染めない。


6.未だ馴染めないこと(2):わたくし、オレ、オイ、ぼく、うち、あっし、わい、わて、おいどん、etc

アメリカは全てが自分中心だ。日本人も自分中心だと言う人もいるが、レベルが違う。時々アメリカ人並みのヤツもいるが、そんな輩は無視すれば済む。でもアメリカ人は全部なのだ。

何か問題があると、「問題を起こしたのは自分以外の誰か」、が起こした事を必死で証明しようとし、会社で何かのプレゼンをさせると結論はそちのけで、「私がどのようにこのプロジェクトに貢献したか、私は何をやってきたか。」、を延々としゃべる。

会議をやると他人の話を聞かないで、「私は、、、思う。」、を連発して、勝手にしゃべるだけになってしまう。だから男も女も声がでかい。相手が理解しているかしていないかは彼らには関係ない。とにかく言いたいことをしゃべる。聞く方も真剣に聞いていない。

エーイ、やめい、こんな会議!!
7.未だ馴染めないこと(3):レストランのメニューに写真がない

アレリカのレストランには、ファーストフードとファミレスを除いてメニューに写真はない。
大きな理由の一つとして、写真と違うものを出した時に、イチャモンをつける客が多いからである。同じメニューでも写真と同じ物を毎日作りのは難しい。

というより同じものを作るという作業(料理)自体、アメリカ人の最も不得意とする行為である。この11年間、会社でイヤという程これを経験してきた。微塵の疑問もない。

あの細かいメニューを読んで、皿に盛られた料理をイメージして注文し、それが出てくるまでの不安と期待を楽しむ、という人には写真のないメニューは向いているかも知れない。


8.メキシコの泥棒

メキシコの泥棒は、日本の泥棒とは違うそうだ。何が違うか?
メキシコの泥棒は生きるために、家族を養うために泥棒をやっているのだそうだ。日本の泥棒のように贅沢がしたいとか、そんなのではなく「生活のため」、に泥棒をやっていると言う。

だから泥棒は悪いという事ではなく、悪いのは盗まれる方だと言う。日本の泥棒とは根本的に違う。一緒にしてはいけない、と彼等は言っている。
しかし神様は人の物を勝手に自分の物にしてはいけないって言う。(この点、神様と呼ばれる方々の言うことは概ねグローバル、万国共通のようだ。)
この神様のお言葉に対して、メキシコの泥棒は次のようなコメントを出している。

「だから一週間に一回教会に行ってるんだ。これで一週間分の泥棒を神様もお許しになる。これで翌週からまた新たな気持ちで泥棒を始める事ができる。」

ナルホド、、、、何だかアメリカの政治もこれに似ている、、、、というより同じだ。


9.ルール、ルール、ルール

アメリカはルールの国だ。会社でも一般社会でもどこでもルールを作り、文書化しようとする。どうしてルールがこんなにできるかというと、考え方・価値観等の違う人間が一緒に生活をしているからという事らしい。

ルールの一番代表的なものが法律だ。
ところが、どんどんルールを作ったため、一体どこに何が書いてあるかわからなくなってしまった。これこれはルールに違反していますか?って聞いてくる人に解説をする事必要になり、そしてそれが職業になった。
これが法律家、弁護士がどんどん増えた理由と思う。

弁護士が増えるとルール違反をする人が増えないと困る。ルール違反を探してルールを解説する機会を積極的に探すようになる。
そのルールに違反しているかどうかを決定する場、つまり裁判にはこれらのルール解釈の専門家が入らないと裁判が成り立たないようにしてしまえば、更にビジネスとしては完璧になる。

アメリカってなかなかシステマチックな国である。
10.GOOD/FINEって?

GODDとかFINEの意味は何か?何を今更という前に辞書を引いてみる。「良い、優れた、、、優良」、という意味が並んでいる。
では何かあって、オハイオ人が GOOD とか言ったら、この辞書に書いてある解釈でいいのか?

答えはNOと私は思う。
実は会話の中のGOODは非常に意味が広いが、日本語的に言うと、「不可ではない」、もっと簡単に言うと5段階評価の2かせいぜい3くらいと思えばいい。決して4とか、まして5ではない。

これと同じでTHANK YOUはどこまでTHANK YOUなのか。
何かを聞いたり、してもらった時に日本語では最後に「どうも」、と言うがこれと同じレベルと思えばいい。またはせいぜい軽い「ありがとサン」、というレベルである。

決して私は貴方に感謝します、ではない。GOOD/FINEもTHANK YOU もそれぞれ心から言う場合は別な言い方がある。私もこれを使い分けている。


11.気に入っているジョーク

あるロシアの会社がアメリカの部品会社に図面を渡して部品を100個作ってもらった。アメリカの会社はロシアの会社に部品を納めた。100個の部品は1個の不良を除き、全て合格のレベルで作られていた。

「どうです、すごいでしょう。我が社は。」、アメリカの会社は鼻高々で、ロシアの会社もそれに満足した。

そのロシアの会社は今度は日本の部品会社に同じ部品を100個注文した。
「いいか、アメリカの会社は99個は合格品で、たった1個だけ不良という素晴らしい出来だった。これを見習って部品を作って持って来て欲しい。」。

ロシアの会社のエンジニアは図面を日本の会社のエンジニアに渡しながらはこう言った。
日本のエンジニアは答えた。
「わかりました。ではこの図面以外にその1個をどう作ればいいのか、その図面もくれませんか?」
ここまで書いて、11年もオハイオにいるのに、大した事がかけない自分に気が付いています。
考えてみると、よく言えば「オハイオに相当に慣れ親しんだ証拠。」、悪く言うと「完全にマンネリ化している。」、という事でしょうか。

いずれにせよ、何かの縁あっての11年以上に及ぶオハイオ生活、もう一度アンテナを磨いて感度を上げて毎日を生活するようにします。
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