大西部−1 : マウントラッシュモア・イエローストーン
イエローストーン、日本人にはあまり馴染みのない名前の所だと思います。日本人に馴染みが少ないのは多分、交通の便(飛行機)が悪いので、旅行会社があまり紹介をしないせいなのでしょう。でもアメリカ人にはヨセミテ、と並んで最も人気のある国立公園です。

いつかは行ってみたいと思っていたイエローストーン、アメリカ生活11年目にして行ってきました。やはり期待を裏切らない素晴らしいところでした。
先ずは朝の腹ごしらえです

AM7:00のコロンバス出発のフライトでミネアポリス経由、S(サウス)ダコタのラピッド・シティーというところにに向かいます。
という事は家を5時前に家を出ます。と言うことは3時半には起床です。

朝食は空港のゲートで持ってきたパンを食べます。コーヒーは空港で買います。
さすがにこの時間帯のコロンバス空港のB36ゲートもご覧のように誰もおりません。
外もまだ真っ暗です。
ラピッド・シティーのホテル

オハイオとSダコタに時差は2時間、AM7:00に出発してもAM10:30にはラピッド・シティーに到着です。空港から
ホテルのシャトルを呼んで、20分でホテルに到着です。

さて、、、、今日は何もする事がないし、市内見学でもするか、、、、。
ホテルの周りにはこのような銅像がいくつも立っています。何だろう?

これはケネディー大統領の像でした。
昼食

昼食をしようとホテルの周りをぶらつきましたが、歩いて行ける範囲にレストランらしき場所は見当たりません。
仕方がないので、ホテルのレストランで食事をする事にしました。
サラダ、サンドイッチそれにパスタを注文しました。

先ず出てきたサラダを見てびっくり。これは2人前ではありません。
1人前を半分ずつしてもこの量があるのです。

サンドイッチ、パスタを持って来られるのが、怖くなってしまいました。
ホテルから見たラピッド・シティー

ラピッドシティはSダコタ2番目の都会(!)だそうで人口は3万人!
Sダコタ自体の人口が70万人程で、州の大きさは日本の本州と同じくらいですから、いかに人口密度が低いかわかります。

オハイオ州の面積はSダコタの約半分で人口は15倍の1100万人。
ドえらい田舎に来たもんだナー。

黒人、東洋人の姿はほとんど見えません。これはオハイオ以上です。たまにネイティブ・アメリカンらしき人を見るくらいです。
夕食

ホテルのレストランの昼食の量は半端ではありませんでした。午後は部屋で一休みしてから、私はホテルのフィットネスルームへ。
ここで8km程走って、筋トレを少しやって大汗を出しました。

夕食は再びここのレストランに行く気力はく、近所のスーパーでサラダとかサラダとかハムとかいろいろなものを買ってきて、部屋で済ませてしまいました。

旅行に行って、夕食を部屋で食べたのはこれで2度目です。
バスツアー開始です

ラピッド・シティーのホテルで一泊、翌朝ロビーに集合して今日から5日間のバスツアー開始です。

ガイドさんは歌手の堀チエミと同じ名前の堀チエミさん、運転手は最初、あれ?日本人かな、と思ったらカールさんというナバホ族のネイティブ・アメリカンの人でした。

堀チエミさん、時々「、、、じゃけんノー、、、」、とか広島弁を混ぜながら、実によくしゃべります。

ツアーは子どもも入れて42名、ちょっと大所帯ですが、60人以上は座れる大型バスでゆったりです。
マウント・ラッシュモア−1

ラピッド・シティーから40分くらいでここに到着。
ブラック・ヒルズ(海抜1700m)という山に掘られた4人の大統領の顔は誰でも、一度は写真で見たことがあると思います。

一つの顔の長さが20m近くもあり、何とかという親子2代で、ここまで彫り上げたとの事。

訪れたのは独立記念日の前の日で、相当な数の観光客です。
今夜はコンサートとか花火が計画されており、その場所取りに3食の弁当を持ったアメリカ人達が一杯座り込んで、イエ、寝転がっていました。
マウント・ラッシュモア−2

お土産屋さんがあったので、早速入ってみました。
ネイティブ・アメリカンの素晴らしいお土産が一杯です。
早速壺をひとつ買いました。

レジでオバサンに、クレジットカードを出すとIDを見せて下さいと言われたので、運転免許証を見せると、「オハイオからですか?私もオハイオのアクロン出身です。今はテキサスに住んでいて、ここには夏の間だけ来ています。」

こんな人口70万人の州で偶然にもオハイオ出身の人に会いました。何だか嬉しい気持ちでした。
クレージーホース・メモリアル−1

スー族の
酋長で、白人の侵略と戦った事で有名な人についての歴史、記録を保存しているところです。
建物は立派で、展示物も非常に充実している様子でした。

クレージーホースは、ゴールドラッシュで白人が押し寄せ、勝手に彼らの土地を奪う事に抵抗して戦った人です。
1876年にカスター将軍率いる第7騎兵隊の襲撃を受けたのですがこれを逆襲、第7騎兵隊の200人以上を全滅させたのは有名な話です。
クレージーホース・メモリアル−2

山には巨大なクレージーホースの彫刻が彫り続けれれており、手前の完成予想時の模型と同じになるまでに、あと50年は必要であろうという事です。

この彫刻の作業は寄付金等で行われており、アメリカ政府が引き継ぎを提案しているのですが、ガンとして拒否しているそうです。

先住民族と侵略者である白人の間には19世紀の中から末まで、想像を絶する差別・虐殺があり、今でもアメリカはこれをなかなか表面に出したがりません。
クレージーホース・メモリアル−3

侵略者の白人達は土地を離れない先住民族に対して業を煮やし、彼らの食料を奪えば死滅するだろうと考えました。
そして当時9000万頭いたと言われる、バッファローを徹底的に殺し、とうとう千頭以下にしてしまい、これにより先住民の食料がなくなり、たくさんの人が飢え死にしました。

言う事を聞かないから食料を絶ってしまえ、という発想自体、寒気のする恐ろしい発想で、目的のためなら手段を選ばずという彼らの考えは、今でも基本的には同じではないかと思います。
デッドウッドの街−1

マウント・ラッシュモア、クレージーホース・メモリアルを見て昼食に立ち寄った街です。
昔の西部の街の雰囲気を残しており、これで車がなければそのものズバリです。

バスツアーとはいうものの、昼食は各自自由にレストランなどに入って済ませるという形式で、気楽です。

歩いている人は観光客ばかりで、ここにドーンと大型観光バスが乗り入れられ、東洋人が40人以上降り立ったものですから、注目の的になりました。
デッドウッドの街−2

昼食はケビン・コスナーの兄弟が経営しているレストランに入って食べました。
ケビン・コスナーは「ダンス・ウイズ・ウルブス」で有名で、その他彼が出演した映画に関する衣装などがレストランに飾られていました。

ここで食べたのはバッファロー・ハンバーガーとサラダです。バッファロー・ハンバーガーは普通のハンバーガーに比べるとちょっとパサパサしている感じでした。
サラダは昨日と同じく、超大盛りです。
デッドウッドの街−3

実はここはサウスダコタのラスベガスとも呼ばれているところなのです。町中どこの店に入ってもスロットマシンだらけ。

集合時間まで10分ある!!
10ドルをクオーターに交換して早速やってみました。2〜3分後にトリプルバーが出て20ドルが出たのでここで勝ち逃げ。

バス旅行でよかったです。自分たちのだけの旅だったらこの街に泊まる事になったかも、、、。
デビルズタワー

昼食を済ませて、1時間ほど走って到着。ここは既にワイオミング州です。

このようなものがどうしてできたのか、それは溶岩が地中で固まってしまい、そして周りの大地がどんどん浸食されてなくなり、結果として固まった溶岩が残ってしまったという事らしいです。(この辺り、かなり記憶があやふやです。)

「Nさん!」、こんなところでNさんなんて呼ばれると、本当にびっくりします。驚いて後ろを振り返ると、何と取引先のMさんではありませんか。

彼はコロンバスに住んでいます。そして奥さんと娘さんを連れて、3000km近くを車でここまでやってきたのです。イヤー、びっくりしました!!

でももっと偶然だと思ったのは、昨年のヨセミテへの旅行の時にバスで一緒になったのが、Mさんの上司のKさんでした。
みんな行くところは同じようなところとは言え、広いアメリカで2年連続で同じ取引先の方に会うとは、、、。
西へ、西へ

ワイオミングに入ったバスは、I−90をひたすらに西へ走ります。周りには家も何もありません。

ただ道路が真っ直ぐにあるだけ。ここをただひたすらに時速130kmで走ります。
昔の人はここを幌馬車で時速6kmで進んだのだナー、と思うと感無量です。

18年前にオハイオからワシントンDCまでドライブ、ウエスト・バージニア州を抜けた時に、アメリカって何て広いのだろう、と感激しましたが、それの比ではありません。
今夜の宿のある街です

夕方の6時過ぎにワイオミング州、シェリダンという人口5000人の街に着きました。ワイオミング州は日本の本州より大きいのに、人口は48万人しかおりません。

夕食はホテルから歩いて行けるところに何と、中華バイキングがありました。
こんなところに中国人が住んでいるのは、かつて19世紀末から20世紀初めに、鉄道建設で労務者として大量の中国人が働いており、それの末裔だという事でした。
2日目の朝食

朝食はホテルの食堂で食べました。
ここのホテルでは我々日本人の団体さん用に「ご飯」を炊いてくれて、醤油も準備してくれていました。
私達は、パンの代わりにご飯を食べました。

これに対しガイドさんの方から、もしよろしければ気持ちとしてチップをおいて行って下さい、というアドバイスがありましたので、1ドルを置いてきました。

やっぱ、米の粒は腹にずっしりときて、いいものですね。もちろん、ハムと卵には醤油をぶっかけて食べました。
さあ、2日目です

シェリダンの街を8時前に出て、今日はイエローストーン国立公園に向かいます。
イエローストーンに入るには2000mの峠を越えなくてはいけません。

峠を越える前に入った休憩所、時間があったので横の丘に登ってみました。
建物とバスの向こうには森、そしてずっとずっと遠くには山があり、周りはしんと静まりかえって、風の音だけが微かに聞こえます。

大自然に囲まれた本当に素晴らしい、景色です。
ビッグホーン、ナショナルフォレスト

地名と写真の場所がちょっと自信のないところがありますが、きれいな渓谷、滝があったところです。(確か午前中2回目のトイレ休憩)

オハイオ辺りにいると、川があっても清水という感じの川は見ることができません。しかしさすがここまで来ると日本の清水に近い感じになります。

昔の旅人はこういうところで水を飲んだり、洗濯をしたのかなー、、、。
昼食で立ち寄った街ー1

コーディー(CODY)という街でイエローストーンに入る直前です。
人口は数千人の街だそうですが、かなりの車と人出です。

そうです!今日は7月4日、アメリカの独立記念日なのです。
それであちこち近隣、と言っても何百キロも離れたところから人が集まって、お祭りをやっているのでした。
昼食で立ち寄った街−2

街の中心にあるホテルの前は、黒山の人だかりです。バグパイプの演奏と、スコットランドのダンスが行われているからです。

この2人にどこから来たのか聞いたら、モンタナから来たと言っておりました。
陽気な2人でした。

このホテルはバッファロービルが建てたホテルとかで、ロビーにはいろいろと展示があったそうですが、時間がなく、残念ながら見れませんでした。

こういう点はバスの団体旅行は不便です。
キャニオンビレッジ

イエローストーン国立公園は殆どがワイオミングに州にあり、一部モンタナ州、アイダホ州に入っています。

大半が山岳地帯で、標高は2000m以上のところにあり、広さは四国の半分くらいの大きさです。

噴煙を上げる温泉、原始林に囲まれた湖、写真のような滝とか渓流があり、アメリカ人に最も人気のある国立公園です。

日本からの来るにはちょっと不便なところなので、まだ日本人の観光客は多くないようです。
バッファロー

白人の意図的な捕獲によって絶滅しかけたバッファローですが、現在は数万頭にまで増えたました。
大きなバッファローは900kg近くもあり、角で人を傷つける事故が毎年あるそうです。

肉は牛よりヘルシーであると言うことで、一部では人気があるそうです。
確かに、ハンバーガーの肉も、パサパサしていて油の少ない感じでした。
ドラゴン・マウス・スプリング

イエローストーンは温泉があちこちにあります。日本人は温泉は浴びて体を温めるものですが、白人は違います。温泉は見るものだそうです。
ちなみに日本では、サルでもちゃんと温泉の利用の仕方を知っています。

最初に温泉を発見した探検隊がワシントンに報告をしたら、
「お前アホか。地面から湯が沸いてくる訳がなかろうが。このタワケ者が。」
と言われたので、絵を描いて送ったらやっと信用してもらえたそうです。
宿泊ホテル

イエローストーン内のホテルは数が限られており、予約がとりにくいらしいですが、そこは観光会社丸投げのバスツアー、一等地のホテルに宿泊できました。

場所はイエローストーン・レイクの横に建つ、その名も「レイクホテル」、です。
従業員は学生のアルバイト風の者が多かったのですが、割とテキパキとしており、アメリカのホテルでよく見掛ける、動きが緩慢でイライラするという事はありませんでした。
ホテルの裏に現れたバッファロー

ホテルの裏はイエローストーン・レイクです。さっそく見に行きました。
するとたくさんの人がある一点を見ています。何だろうと思ったら何と、普通で見る牛なんかよりずっと大きい、野生のバッファローがのそのそ歩いているではありませんか。

みんな怖々近づいて写真を撮ったり、遠巻きに見たりで様々です。

しかしでっかいナー、バッファローって。
旅行の三種の神器

35mm10倍の双眼鏡は、このような大自然の旅行には必須です。もちろんNIKON製です。
次にデジカメ、これは説明の必要はないでしょう。

ちょっと変わっているのが、中波から極超短波まで何でも受信できるラジオ。イエローストーンはテレビはおろか、ラジオもよく聞こえません。
一番近い所からでも電波が届かないのです。(そもそもホテルの部屋にはテレビがありません。)

で、何を聞いたのかって?日本の短波放送がよく聞こえました。日本の放送を聞きながら、持参したウイスキーをチビチビ、、、なかなかオツなものです。
イエローストーンの朝

さあ、今日もイエローストーン内の観光です。朝の8時前にバスに乗り込みます。
イエローストーン・レイクの向こうには白く氷河に覆われたロッキー山脈が見えます。

標高が2000m以上あるので、日中はともかく、朝夕は15−6℃で、暑さにうだる下界とは別世界です。

5日間の旅行中、半日くらいを除きお天気に恵まれ、本当にラッキーでした。
ウエスト・サム

イエローストーン・レイクの西湖畔にある熱泉群で、湖の中まで泉源が入り組んでいるところもあります。
透明なものから白く濁ったものまで、いろいろな種類の噴出口が見れます。

アメリカ人にはこのような風景は珍しいのでしょうが、我々火山大国からやって来た日本人にとっては、「フーン」という感じがしないでもありません。

それと私の場合、温泉というと熱い湯に入ってそのあと鮎の塩焼きで一杯、というイメージが直ぐに頭の中で湧いてきます。
自分でも情けない連想のプロセスであります。
分水嶺

蓮がたくさん浮いているフツーの池ですが、ここの水は太平洋と大西洋(正確にはメキシコ湾)の両方に流れていくそうです。

従ってここで例えばオシッコをすると、我が体内から出たアンモニア水は長い道のりを経て、それぞれ数千キロ離れた別々の大海に注がれるという訳です。

そう考えると、記念にやってみたい衝動に駆られましたが、バスツアーなのでできませんでした。
(バスツアーでなくてもやってはいけません。)
オールド・フェイスフル−1

50分おきに4万リットルの熱湯を50m近くの高さに吹き上げます。
この日は時間の都合で運良く2回見ることができ、1回目はあまり元気のない噴出でしたが、2回目はなかなか元気がありました。

この周りはずっと歩けるようになっており、40分くらいで1周できます。

イエローストーン内には多くの間欠泉があり、ここの間欠泉はシンボル的存在のようです。
オールド・フェイスフル−2

オールド・フェイスフル・インという5階建て(!)の木造のホテルです。巨大な暖炉が吹き抜けのフロアーに作られており、圧倒されます。

掃除中の客室を見せてもらいましたが、かなり質素な部屋で、快適さを求めるものではありません。
カナダのトロントから車を運転してきたオジイサンと話をしたら1泊180ドルと言っていました。

泊まり応えはないかも知れませんが、見応えのある建物です。
オールド・フェイスフル−3

この日の昼食。
あんまりお腹が空いていなかったので、サンドイッチとサラダを1個づつ買って、カミさんと分けて食べました。丁度いい量です。

アメリカは一般的に何でも日本とは比較にならない量で、これに慣れている私でも、今回の旅行の食べ物はどこに行っても量が多いと感じました。

いずれにせよ、10年のアメリカ生活で、胃拡張になっているのは間違いないと思います。
マンモス・ホット・スプリングス

温泉の持つ石灰分が重なり合ってできた奇景です。
何か塩の塊のように見えますが、周囲の風景と以外とマッチしているようにも見えます。

この時は急に雨が降ってきてびしょぬれになりそうでした。
やはり標高2000m以上の山岳地帯ですから、天気の急変は当たり前で、カッパは必ず準備をする必要があります。
マッサージをするガイドさん

運転手はナバホ族出身のカールさん。
観光も3日目になり、少し疲れが出たのでしょうか、危うく前の車に追突しそうになりました。

そんな訳でガイドの堀チエミさん、カールさんの肩をマッサージしています。

「チエミ、マッサージうまいね。」
「ええ、日本にいたときにお父さんにトレーニングされたからね。」
「ウン、良い気持ち、、、、」

こんな会話が聞こえていました。
山火事の跡

イエローストーン国立公園ははっきり言って、山火事の跡だらけです。何年か前に大火事があり、もの凄い面積の木が燃えてしまったのです。
自然に起きた山火事は消火活動はしないそうです。

自然現象で火事になり、そして燃えて消えていく、この結果土壌も酸性からアルカリ性になり、新しい木が再び生えて成長する。
全て自然の摂理なのです。

山火事が自然なのか、人間の火の不始末なのか、どうやって見分けるのか。それを監視している人が常時いると聞いて驚きました。
バッファロー渋滞

広大なイエローストーンで突如発生する交通渋滞。
どこにこんなんに車がいたのかと驚くほどの車が渋滞しています。
道路をバッファローの群れが横断しているので、横断が終わるまでじっと待たなくてはなりません。

その他、道路に車が停まっているのを見掛けますが、それは何か動物がいる時です。
今回は、さすがに熊は見ませんでしたが、エルク(鹿の一種)とかいろいろな動物を見る事ができました。
今夜の夕食

イエローストーン2泊目の夕食。昨夜はレストランでエルクの肉を食べたので、この日は肩肘の張らないカフェテリアで食事をする事にしました。
値段も安くて、味もまあまあで、お腹一杯になりました。

この横の土産物屋で買い物をしてレジのところに持っていったところ、レジのオバサンが、「日本の方ですか?私は日本に住んでいました。」、と話しかけてくれました。
このように声を掛けてくれる人は、日本できっと親切にされた人なのでしょう。懐かしそうでした。
全行程5日のうちの3日間をかけてのマウントラッシュモアからイエローストーンにかけての観光、あっと言う間に終わってしまいました。

この国立公園を守り、維持するためにレンジャーがあちこちで働いており、この職業はアメリカの中でも非常に人気の高いものであるそうです。その努力のせいでしょうか、公園内は本当にきれいに維持されています。これだけ多くの人が訪れるにもかかわらず、自然が見事に維持されているのには驚きます。

今度行くことがあればやはり自分で車を運転し、自由に思う存分景色を楽しみたいと思いました。テレビも、ラジオも聞けない(電波が届かない)ホテルでの夜、本当に大自然を満喫できた3日間でした。
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