ベトナム(1) : 15−10
ベトナムは知っているようで知らない国のひとつです。
最近日本の企業も進出して中国の次はベトナムだ、という声が聞こえます。ベトナムは1976年に南北が統一されて社会主義国家になりました。
でもベトナムについてはあまり暗いイメージはありません。やはり南国であるせいでしょうか。

ベトナムはいつか行ってみたいと思っていました。
今回先輩のSTさんから急なメールで、「ホーチミンにに4泊5日で行く」、という連絡がありました。STさんが行くならじゃ、私達も行ってみるか、という事で即座にベトナム行きを決めました。

私達の日程は5泊6日、行くと決めてから出発までに3週間ほどありましたので、少しベトナムの事を調べてみました。
なかなか興味深い国ではありませんか。

私にとっては今から40年前のベトナム戦争のイメージが強く残っています。あのテレビでよく見た農村の風景は見れるのだろうか、クチとかミトーへの旅行も計画したのでひょっとしたら見れるかも知れない、等と思いながら10月4日のフライトでホーチミンに向かいました。
セントレア空港(1)

出発は当日の朝に自宅を出ても間に合うのですが万が一を考えて前泊としました。

いつも前泊に使うホテルは満員で予約できません。どこのホテルも一杯。
この週は中国の休日で中国人が大挙して日本にやってきているからでした。

そんな訳で今回は出発ロビーに近いセントレアホテルに泊まりました。
セントレア空港(2)

夕食後デッキに出てみました。
ちょうど日没直後です。自宅のある鈴鹿方向を見ると遠くに街の光が僅かに見えます。

自宅マンションのベランダから空港の管制塔とか双眼鏡で見ると駐機場の飛行機が見えますので、今日はそこから自宅を見ている事になります。

この時間帯はひっきりなしに離発着の飛行機が行き交っていました。
台湾・桃園空港まで

翌日は予定どおり09:50出発のチャイナエアーでまず桃園空港まで。
東南アジア各国へのフライトは桃園空港で乗り換える事になりますが別に急ぐ旅でもなし、ゆったりと行きます。

チャイナエアーは運賃が安い割に、なかなか快適です。
座席は半分くらい空いていました。
お食事

ビールの頼んでからしばらくするとCAが注文をとりに来ます。
和食かと洋食がありますが洋食を頼んでみました。

桃園空港までは3時間、ワインを飲んでゆっくり食事をします。
食事をしながら”KANO”、という映画を観ました。
いい話でした。
台湾・桃園空港

乗り継ぎは1時間半以上あるのでラウンジに行きました。

行ってびっくり、ラウンジは人でごった返しており、座る席もありません。

ラウンジは中国系のエアーラインも使っており中国人でごった替えしているのでした。
中国の連休のせいです。

騒々しいので早々に出ました。。
桃園空港の売店

”JAPAN WALKER”はわかるのですが”日本自衛隊図鑑”にはびっくりしました。

誰がこんな本を読むのでしょうか。目立つところに置いてあったので読者はいるのですね。

日本を訪れるのは中国人(香港を含む)が最も多く、次が台湾の人です。
台湾人は中国人と違って爆買いはしないようです。
台湾からベトナムへ

桃園空港からホーチミンのタンソニュット空港までも丁度3時間のフライトです。
別便なのでまた食事が出ます。

台湾メニューと西洋メニューがありましたので台湾メニューを頼んだらアペタイザーでドンブリ麺が出てきました。

ドンブリ麺の機内食は始めてです。
(JALで出しているうどんとかソバは間食で出していますが)
ホーチミン市の眺め

飛行機はホーチミンの上空でホールディングを掛けられ30分遅れで着陸しました。

入国審査はスムーズで到着ロビーに出て両替、携帯電話のSIM購入、タクシークーポンを購入してホテルまで。

ラウンジでチェックイン、22階の部屋を割り当ててくれました。なかなかの夜景ですが、やはりこのホテルはダウンタウンとは離れていて、ローケーションはイマイチです。
ホテルの部屋

部屋は綺麗で掃除もよく行き届いています。
バスタブは深くて大きく、やはり日系のホテルだからでしょうか。

19:00です。食事の時間ですが朝食を食べて飛行機で2回食べているのでまだ食べたくありません。

ラウンジで軽食とビール・ワインを頂くだけで十分でした。
戦争証跡博物館(1)

私は初めてのところは先ず最初の日に1日市内観光に参加する事にしています。
主要な観光場所に連れて行ってくれるし、市内の様子もよくわかるし、ガイドがいろいろな注意事項なども教えてくれるからです。

でも今回は多いにアテが外れました。
ガイドの日本語が殆ど理解できないのです。それに私達の簡単な質問も聞く能力がないのです。

参ったな〜、、、。
戦争証跡博物館(2)

それでもキャンセルするわけにもいかず、先ずこの博物館に案内されました。集合時間だけ確認してあとは自分たちで見学。

ここはベトナム戦争の歴史を実際の戦車とか大砲、それに写真などの展示で綴る博物館です。

ベトナムは共産国家ですから日本の赤旗とかベ平連のポスターなんかもあります。。
戦争証跡博物館(3)

ベトナム戦争の歴史は長いのですがアメリカの本格的介入を決めたのはケネディー大統領で、1961年です。

その後拡大の一途を辿り、ジャグル戦に手こずったアメリカは枯れ葉作戦を実施。
ベトナムではこれの影響で大量の奇形児が生まれています。

枯れ葉作戦で開発した薬の一部は今でもアメリカで芝生の除草剤で使われています。
私も使いました。よく効きました。
戦争証跡博物館(4)

ソンミ村虐殺の首謀者のカリー中尉(左)とメディナ大尉(右)
ベトナム中部のソンミ村でカリー中尉の小隊が500人の一般村民を虐殺した事件です。

”ソンミ村”、という名前は我々の世代では覚えている人が結構いるハズです。

組織的な虐殺だったにも係わらず、軍法会議で有罪になったのはカリー中尉だけ、という事で今でも問題になっています。
戦争証跡博物館(5)

カリー中尉率いる40人の小隊がソンミ村の住民は全員ベトコンである、という事で虐殺。全員が女、子ども、老人だったとありました。

食事中に殺された小さな女の子の口の中にはご飯が残っていたそうです。

虐殺・強姦についてはアメリカ軍より韓国軍の方が凄かったというのがベトナムの記録にもヨーロッパの報道の記録にもあります。
戦争証跡博物館(6)

博物館は3階建てでベトナム戦争の歴史を克明に展示してありますが、何せベトナム語とロシア語と英語の説明で、日本語はなし。

最初のうちは一生懸命に読んでいましたが、そのうち面倒になってタイトルだけ、最後には写真だけ見て次に行く、といういつものパターンになってしまいました。

ポイントのところだけでもガイドの説明が欲しかったです。
戦争証跡博物館(6)

白人らしき連中を結構見掛けましたので近寄って何語しゃべっているのか聞き耳を立ててみました。ロシア語とロシア語のような言葉でした。
英語は聞きませんでした。

ま、アメリカ人は絶対にここには来ないだろうな〜、それよりそもそもベトナムに彼等は来ないだろうな〜。

1日観光の最初の訪問場所が戦争証跡博物館、さすがベトナムらしい、、、。。
統一会堂(1)

なぜこういう呼び方をしているのかよくわかりませんが、要するに元の南ベトナム大統領官邸です。

大小100以上の部屋があって今も国賓を迎えるときに使ったり、会議に使ったりしているそうで、それ以外は一般に公開されています。

正面の鉄柵を解放軍の戦車が突破して入って来る様子が北ベトナムの勝利の瞬間、という事で写真は世界中で使われています。
統一会堂(2)

中はいろいろな会議室、大統領の執務室、宴会室、作戦室などがあります。

建物は4階建てで大統領とその夫人がその主たる住人でした。
部屋が多くて全部見学をすると2時間くらいは掛かりそうです。

見学解放時のこの建物はドアーを開放してエアコンを切ってあります。
暑いの何のって、、、。汗がダラダラ。
統一会堂(3)

3階にあった立派な絨毯です。
ここだけはガイドが説明してくれたのですが、何を言っているのかさっぱりわからず。

「龍のデザインで、、、4つ描かれて、、、大統領は   使えなかった、、、。」

こんな感じでした。これじゃいくら想像力を逞しくしても理解はムリです!
統一会堂(4)

中には映画館もあります。映写室も見学できましたが立派な70mmの大きな映写機がありました。

この大統領府・官邸の実質的な住人はグエン・バン・チュ大統領で、完成した1967年からサイゴン陥落直前の1975年4月21日までいたとありました。

サイゴン陥落前の9日間で2人の大統領が替わっているそうで、それは知りませんでした。
統一会堂(5)

最上階はダンスホールとバーがありその横にはヘリポートがあります。
何かあった時はいつでも脱出できるようにここにはヘリが常時ホット・スタンバイしていたそうです。

この建物には地下室もあり、いろいろな施設があって見学できたそうなのですが、後でこれは知りました。
ガイドは連れて行ってくれなかった、、、。、
ベンタイン市場

ホーチミン市最大の市場です。
生鮮食料、衣料、雑貨、お土産、食堂、何でもあります。

私はこういうところに来るとものすごく元気になります。
ほぼ興奮状態になります。

但し、スリ。ひったくりはしょっちゅう発生しているのでその警戒・予防だけは怠ってはなりません。
通路で皮むき作業の女の子

買い物は値段交渉が必要です。大体2倍から4倍の値段で言ってきます。

「2個買うから半額でどお?」、から始めたりします。
つまり売り手が言った半額で更に2個よこせ、というやり方。
モノによっては結構成功します。

売り手もお”2個”、という言葉には割と弱いのです。
ベトナム料理の食堂

いろんな料理を出しています。店の周りをうろついてもあまり強烈な匂いはなく、でれも非常においしそうです。

それにどれもウンと安い。ホーは一杯20000VDN(100円)以下で食べれます。
ビールも日本円で50〜60円、ベトナム焼酎もありました。

ベトナム初心者の私は今回はパスしましたが次回はここで一杯やってみたい、、、。
商売諦めて寝ているオバサン

通路に寝ているので通れません。
みんなこの通路だけは避けていましたっけ。

オバさんは今日の売り上げを既に達成したので寝ているのか、それとも全く売れないのでヤケクソで寝ているのか、どちらでしょうか。

”英気を養う”、という言葉がありますが、きっとオバさんはこの後猛烈に商売に励むのでしょう。
Good Luck.
お食事中

通路の傍ではあちこちでお食事中の人を見掛けます。
このオネエさん、結構なべっぴんさんでしたが横を通る人達をものともせず、食事に専念していました。

何を食っているのか?
ご飯の上にお総菜を乗せたごく一般的なベトナム定食。
おいしそうでした。
ベトナム初心者昼食

ベンタン市場でザリガニを肴にベトナム焼酎を飲む、これは次回にして今回は普通のレストランで頂きました。

出てきたメニューを見て思ったのは先程まで見てきた料理と同じである事です。

ま、それはともかくおいしかったです。
隣では白人のバサングループがワイワイ言いながら食事をしていました。
シクロ

チャイナタウンで乗せてくれました。
ホーチミンではシクロは普通の観光客が乗るにはそれなりのリスクを覚悟する必要があるそうです。

リュックを足下に置いて足で押さえ、カメラはしっかりと手で握る、これは常識だそうです。

でもこれで街中をスイスイ走るのは本当に気持ちのいいものです。
ビンタイ市場(1)

市の中心地から5km程西に行くとチャイナタウンがあります。
ベトナムでは中国人はかなり差別されている人達のようです。

ベトナム戦争でサイゴンが陥落、大量のベトナム人が外国に亡命しましたが、多くは中国系ベトナム人です。
これは何を意味するか?
調べると非常に興味深い様々な事がわかります。
ビンタイ市場(2)

市場は小売りではなく卸です。
ですから我々のような観光客がブラブラ歩いても一切声は掛かりません。

売っている人達の顔つきもベンタイン市場とは全くと言っていいほど違います。
でも私達が狭い路地に入り込んでも邪魔者扱いをしたり、胡散臭そうな目で見たりしません。
築地の魚市場と大違いです。
市場とかちょっとした路地に行くと、「これ買わない?安いよ」、とか必ず日本語で声を掛けられます。
中国語、韓国語、その他の言葉で声を掛けられることはまずありません。

これはよく考えてみるとスゴいことです。
私達を外観を見るだけでベトナムの商人達は”日本人”、である事を見抜いているのです。

でも10回に1回くらいの割合で英語で声を掛けられる事があります。それは日本人かそれ以外の台湾人か朝鮮人か迷った時だと思います。

ナゼここまで正確に、「この連中は日本人だ」、とわかるのでしょうか。先輩のSTさんによると歩き方、頷き方、素振り、それに言葉だそうです。
言葉についてはアメリカ人にも言われた事があります。
日本人のしゃべるのは小鳥が囀るようだ、そうです。

それはともかく、ベトナムはエネルギッシュです。街には若い人が溢れています。
退職した日本のオジサン達、ベトナムに行って若いエキスをもらおうではありませんか!!!
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