東京見物−7:05−11
最近昭和ブームだそうです。昭和の昔を懐かしむ本とか企画があちこちで催されているようです。
昭和を総して、「元気のあった時代」、という人がいます。そう言えば、何となくそんな感じがします。

私にとっての昭和とはやはり少年時代の初和30年代、40年代の前半までです。
うまく言えないのですが、この時はみんなが何かに向かって突き進んでいたような気がします。非常に平凡な言い方ですが、急速に物質的に豊かになっていった時代でもあったと思います。

確か私が小学校の2年生だったか3年生の時に家にテレビがきました。そして、アメリカのホームドラマとかを見てびっくりしたものです。
アメリカの家って何であんなに大きな冷蔵庫があって、何であんなに一杯食べ物が詰まっているのだろう?牛乳瓶だって何であんなに大きいのだろう?と羨望と疑問を持ちながらみたものでした。
(当時我が家では毎日牛乳は2本を配達してもらっており、親父が1本を飲み、私と私の妹が1本を半分づつ飲んでおりました。そうです、母の分はありませんでした。)

中学生になった時、東京オリンピックがありました。私はちょうどこの時NHKのラジオ英会話を始めたばかりの時で、松本亮先生(この名前知っている人は私と同世代、又は以上かな?)も少し興奮して、「さあ、みなさんももともっと英語を勉強して大いに外国の人と話をしましょう。オリンピックでは一杯の外国からの人が来るのですから!」
なんて言っておりました。
世の中がザワザワしていて、そして活気がありました。

そんな昭和のイメージを再現したところがあるというので、あまり期待しないで行ってきました。行った所はお台場の、「デックス東京ビーチ」、にある「台場一丁目商店街」です。
さあ、出発です

ホテルの玄関を出るとガイジンさんの団体も出発するところです。どこへ行くのだろう?どこの国の人かナー。

ホテルから駅(池袋)までは歩いて1分、そこから電車に乗ってお台場までは乗り換えなしで30分くらいで行けます。

この日は祭日だったので、電車も空いており、ゆったりと座って行けました。
東京テレポート前、フジテレビのビル

東京テレポートで降りて、さてどっちに行けばいいのだろう?人も少ないし、わかんないや。

という事でコーラか何かの自動販売機の缶入れをしている若い人に聞いたところ、親切に教えてくれました。

目的の建物はこのフジテレビのビルの右横にあるとの事。
このビルの一番上は展望台になっており、一般の人も入れるそうです。
デックス東京ビーチからの眺め

レインボーブリッジとかお台場海浜公園等が見えます。

ベイブリッジの向こうはよくは見えませんが、確か竹芝桟橋でここから東京湾のベイクルーズとかの船着き場になっていたと思います。

日本にいた時、会社の部の親睦会がシンホニーとかいう大きなクルーザーを借りて、忘年会だったかをやったのを思い出しました。

あの時も随分飲んだナー、、、、、。
台場小香港(7F)

アイランドモールの6F、7Fは香港の街を真似た雰囲気のフロアーがあります。
何となく怪しげな路地裏なんかも造られています。

店はレストランが8割、土産物屋のような店が2割くらいの感じでした。

私は香港に行った事がありませんので、よくわかりませんが、少なくともこの前の9月に行った北京とは全く違う雰囲気でした。
レストランで食事をしました(7F)

お台場には朝10時半頃に着き、朝食を食べていなかったので何かを食べようとしましたが、レストランは全部11時開店で、30分以上ブラブラして待ちました。

1000円前後でランチを食べる事ができます。どれも結構おいしそうです。

でもちょっと量が少ないかなー。アメリカにいるとどうしても大食になってしまいます。
その結果、もちろん太ります。
入り口(4F)

中華料理でお腹も一杯になったので、さて4Fまでエスカレーターで降ります。
ここが入り口です。

かなり狭いフロアーにすし詰めで作られている感じですが、まあその方が気分が出るかも知れません。

さて何があるのかな?興味津々です。割と人も少なく、まあゆっくりと見れそうです。
さあ、見学開始!
占いのオバサン(4F)

私は占いは好きではありません。
「明日死ぬかも知れない。」、なんて言われたらどうしようとかそんな事を先ず考えてしまいます。
要するに何を言われるのか、怖いのです。

ここには3−4人の占い師が開店していましたが全部女性でした。占いは昔も今もあります。でも昭和の占い師に女性はおりませんでした。
女性の占い師は、昭和とは全く関係ありません。

昭和の再現度:10点満点の1点、失格です。
駄菓子の山(4F)

確かにこのような駄菓子を売っているお店が子供の頃あちこちにありました。私も10円玉握りしめて買いに行ったのを覚えています。

ビニールのチューブに入っている赤や青のジュース、夏はこれを凍らせて売っていました。これを歯でガリガリかじったナー。口の中、真っ赤にして。

こういう駄菓子をまだどこかで作っているのですね。

昭和の再現度:10点満点の7点。合格
スバル360(4F)

昭和30年代後半だったと思いますが、大ヒットをした軽自動車の草分けモデルです。

今の軽自動車に比べるとエッと驚くほど小さい。私も、あれー、こんなにちいさかったけ、と思ってしまいました。値段は当時30万円ちょっとだったと思います。

我が家に自動車が入ったのは確か昭和39年だったと思います。これではなく、T社の車でした。

昭和の感激度:10点満点の5点。ま、普通かな。もしT社のPだったら8点あげる。
昭和のランチ(4F)

ハンバーグステーキに始まってビーフステーキ、スパゲッティーのナポリタン、上カルビ定食とかがありました。

レストランの前に行くと見本で置いてあるのは覚えています。でも食べた記憶はありません。
私の父も母も外食派ではありませんでした。

でもこれを見て、「ウーン、昭和を思い出す!」、って人いるのかなー。

昭和の感激度:食べたことなかったので評価できません。
昭和の茶の間(4F)

昭和20年代のお茶の間の雰囲気だと思います。そこにテレビが入ってきた!扇風機が入ってきた!冷蔵庫が入ってきた!そんな感じですかねー。
私も覚えていますが、湯たんぽが電気アンカに変わった時が嬉しかった。だって湯たんぽ、明け方には冷えてるんだもん。

ちゃぶ台の上にトースターが置いてあったり、演出効果ゼロ。バックの障子戸も何となくちぐはぐ。
昭和の感激度:10点満点の6点。
昭和の再現度:10点満点の6点。
一応合格にしておきます。
床屋とパーマ屋(4F)

私の街にもこんな雰囲気の床屋、パーマ屋がありました。
昭和40年前後の中学生の頃に行っていた床屋がこんな雰囲気だったかナー。
よくは覚えていません。

この床屋、店構えだけの展示で、中はなにもありませんでした。

昭和の再現度:10点満点の5点
バヤリースオレンジ(4F)

思い出しました!テレビで盛んに宣伝していたのを。
今でもあのコマーシャルの音楽を覚えている自分にびっくりしました。

「バ、バ、バヤリース、バ、バ、バヤリース、、、、」

飲んだ思い出は殆ど残っていませんが、とにかくテレビのコマーシャルの強烈な印象が残っています。
小学生の3−4年生くらいだったかなー。

昭和の感激度:10点満点の9点。
いわゆる、「赤提灯」、です(4F)

このようなお店はあちこちにありました。今でも探せばかなりある感じです。

でも私は27−8才まではあまりお酒を飲まなかったので(!)、これを見て昭和をイメージする、という程ではありません。

今現在は、このような店のカウンターの隅っこでチビチビやるのは大好きです。

昭和の再現度:多分10点満点の7点。
昭和の感激度:私の場合、平成の感激度10点になるのだと思います。。

ファッション・グッズフロアー(3F)

4Fの「台場一丁目商店街」をひととおり見た後、3Fに降りてみました。
ここにはファッションとかいろいろなグッズを売っているお店が並んでいました。
値段はそんなに高くない感じです。

正月も近いせいか、ここのお店では正月にちなんだ品物をいろいろと売っていました。

たまにはこんなところをブラブラするのもいいものです。
首都高速湾岸線、有明方向

お台場はアミューズメントスポットとしてだけではなく、オフィスビルもあり、有明には国際展示場もあります。

確かに東京の新名所と言うだけあっていろいろな施設が整理されて並んでおり、ごみごみした感じはありませんでした。

ベイエリアは1日ではとてもじゃないですが回りきれない広いエリアです。
「大人も子どもも未来への期待を抱いていた昭和30年代。。そんな時代の下町を再現した台場一丁目商店街は、、、」という具合にここの案内パンフレットには書かれていました。
確かに今のような物質的な豊かさはありませんでしたが、何かイキイキしていたのは確かです。

台場一丁目商店街は営利を目的とした商店街ですから、当然モノを売るお店が殆どで、博物館のような雰囲気を求めてはいけません。
でも当時のモノとか建物の模型などを置いて、それなりに工夫がされている事がわかりました。

東京には他にも昭和時代の風俗を展示した施設があると聞いています。今度から日本に行ったら、時間を見つけてこれらのところを一つずつ訪れてみようと思います。
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