栃木の休日:08−10
最近は宇都宮に行くことが多いのですが、休日をここで過ごした事は今まで全くありませんでした。
今回初めて休日をここで過ごす事になったので、宇都宮と宇都宮近辺の有名なところをさーっと巡ってみました。宇都宮市内は別として、日光方面の散策にはやはり車がないと不便なところで、出張者の場合ちょっと困ります。
今回は同じように散策をしてみたいという方が見えましたので、この方の車に便乗させてもらいました。

日光方面は観光のメッカですが行きたかった所はちょっとマイナーな「竹久夢二美術館」、それに「日光江戸村」の2カ所でした。
お天気は晴れてはいませんでしたが、マズマズ。気温はこの季節にしては高めで、快適な1日でした。
日光竹久夢二美術館

夢二は岡山出身ですが、日光にも美術館があります。あるのは随分前から知っていたのですが、今回初めての訪問です。

駐車場には数台の車しかなく、殆ど人が訪れていない様子です。隣にはレストランもありますが、誰も入っている様子はありません。

同行してくれたのは関連会社のSさんとIさん。入場料300円を払って見学開始です。
1階の展示室

夢二は美人画で有名です。若いときある絵の先生に、「もっと絵の勉強をしたいので美術学校に入りたい。」、と相談をしたそうです。

その先生は、「君は美術学校には向かない。君の才能を潰す可能性がある。」、と独学を勧めたそうです。
この先生の名前は忘れましたが、その結果夢二は生涯師をを持たず、何の賞も手にしませんでした。

夢二の作品を生んだのは実はこの先生であった、と言えると思います。
2階の展示室

美術館の中はゆっくり見ても45分もあれば十分な規模です。今回は取引先のSさん、Iさんの3人で来たのですが、この間に見学者とすれ違ったのは数人でした。

「今月に東京にいる娘が来ますので、ここに是非連れて来ようと思います。」、Sさんはそう仰ってみえました。
Sさんの上の娘さんはアメリカで、下の娘さんは東京で美術関係の勉強をしているのでした。
波浮の港

作詞「野口雨情」、作曲「中山晋平」、で有名な歌謡曲。夢二は児童雑誌や詩文の挿絵も多く描いたとあります。

これ以外に書籍の装幀、広告宣伝物、浴衣のデザインも行っており、これらの作品もたくさん展示されていました。
詩人としても才能があったとも説明されていました。
知らなかったなー。
夢二式美人(1)

夢二の描く美人画は「夢二式美人」と言います。
独特の感覚で描かれた美人画は、基本的に日本画がベースになっていますが、洋画タッチの作品も多くあります。

このような美人画を見て何と感じるか個人によって様々でしょうが、現代にはないロマンを感じるのは私だけでしょうか。

私は昭和初期に青年期を過ごした叔父に当時の思い出話をかつて何度も聞いたことが事があります。
当時は戦争の暗黒時代を迎える前の、割と自由奔放な時代だったようです。

私の父親が、「兄さんは大正の雰囲気を知っている人だから、、、オレは知らない、、、気が付いたら焼け野原だった、、、。」

父も叔父も元気だったうんと昔のある夏の夜、ビールを飲みながら2人がそんな話しをしていたのを覚えています。
夢二の絵を見ているとその叔父の事を思い出します。
仲夢二式美人(2)

洋画タッチの美人画です。これは”岸たまき”という女性がモデルで、彼女の写真が別の部屋に掲示されてました。
この絵のとおりの女性です。

”岸たまき”以外に2人の女性が夢二と付き合っていますが、みんなエライべっぴんさんです。

でも夢二の絵の全ての原点はこの”岸たまき”という人である、と説明されていました。
階段付近の展示

Sさんはこういう作品に大いに興味があるのはわかりましたが、もう一人のIさんは退屈されるのではないかなー、と思いましたが熱心に作品を見てみえました。
ちなみにIさんは今回の仕事で私と同じく、アメリカ(ジョージア)から日本に出張で来ているのでした。

1階には土産物屋もありました。夢二の美人画のレプリカとか、夢二がデザインした模様のハンカチとかいろいろな物が売られています。
値段はちょっと高めですが、私は記念にレプリカをいくつか買いました。
江戸村:お代

夢二博物館から15分ほどで江戸村です。駐車場もさほど混んでなく、この季節でもこんなもんかなーという感じです。

入り口に来て3人はぎょっとなりました。入場料が4500円あります。3人は顔を見合わせましたが、ここまで来て帰るわけにもいかず、大枚を払いました。
子供が2300円ですから親子4人で来ると入場料だけで1万5000円近くになります。
何か高いなー、って感じです。
江戸村:入り口付近

3人の頭からは”4500円”がしばらくは離れません。実はSさんはここは2回目という事ですが1回目は会社の団体で来たので、この入場料の事は知らなかったそうです。

この先200mくらいのところで、記念写真を半強制的に撮らされます。
もちろん写真を買う、買わないはそれぞれ個人の自由ですが、あまりいい印象ではありません。

村の中はかなり広く、何となく江戸時代”風”に造ってあります。
江戸村:旅籠

当時の旅籠の再現です。中に入れますが、上がる事はできません。
入り口には灯籠もあり、中の土間も非常に広いので安旅籠ではないと思います。

2階の縁には赤い風車が立っています。
つまり弥七が先に来て黄門様ご一行を先導しているという事らしい。

当時は旅人が前を通過しようとすると荷物を奪って入り口から中に投げ込んで、それを取り返そうとする旅人を女中が2,3人で中に押し込んで、客を獲得する、なんて方法が盛んに行われたそうです。
江戸村:焼きオニギリ

中には食べ物屋が一杯あります。このような焼きオニギリとか五平餅とかを売る見せ、うどん屋とかメシ屋もあります。
近くに寄ると香ばしい匂いがしますので、つい手が出そうです。

売り子、店員達はみんな江戸時代”風”の格好をしており、お代は200円と言わずに、200両と言います。
江戸村:芝居小屋

中には芝居小屋が4つか5つあり自由に入って見る事ができます。
客席は只の板間で座布団もありませんので、45分の芝居を立て膝したり、あぐらをかいたりして見るのは結構キツイものがあります。

それぞれの芝居小屋の時間割は微妙に重ならないようになっており、役者さん達は掛け持ちで芝居小屋を飛び回っている事がわかります。

芝居そのものは、結構楽しめました。芝居役者って声がでかくないと務まらないですね。
江戸村:メインストリート

再現の時代は江戸中期から後期(元禄時代〜)だそうです。
場内を歩いていると、江戸時代の服装をした人に出会います。

さて、何かのスタッフかな、と思いきや実は殆どが見学者で、江戸時代の服装に着替えて場内を廻るというサービスがあるのです。
忍者とか、侍とか、町人とかのいろいろな格好に人に行き違いました。

ここにはガイジンも結構来ておりました。
江戸村:小伝馬町牢屋敷

ここは刑務所ではありません。江戸時代には刑務所はなかった。
ナゼか?懲役という刑がなかったからです。
ではここは現代で言うと何でしょう?拘置所に相当するそうです。

中に入ると取り調べの様子(鞭打ち、石抱き、海老責め、釣責め)なんかがけっこう残酷にジオラマで再現されています。
でもこれってやるには老中の許可が必要だったので、そんなに頻繁に行われていた訳ではなさそうです。
江戸村:牢名主

牢屋はある種の自治組織で、牢名主を頂点にいろいろな役があったそうです。
入牢した時にはお金を持ってこないと凄惨なリンチを加えられたようで、このジオラマはそれを再現しています。
地獄の沙汰も金次第、という事ですかネー。

牢屋は人数が増えると、間引きされて人口調整も「自治」の中で行われていたそうです。(つまり殺されて、病気で死んだ、という事にする。)
江戸村:首実検

殿様に敵の武将の首を見せて、武勲の申告をしているジオラマです。
敵をやっつけたかどうか、首を見せて証明する訳ですから、ごまかしがききません。ある意味で合理的であります。

ですから昔の戦場では徒武者は刈り取った首を腰にゴロゴロぶら下げて、みんな走り回っていた、というのを小説で読んだ事があります。

日本民族というのはれっきとした首狩り族であったと言えます。
江戸村:下関戦争)

幕末に英国他の艦隊が下関海峡を封鎖していた長州藩に対して攻撃をして砲台まで占領してしまった様子のジオラマです。
その前には長州藩は海峡を通る外国船を攻撃したそうで、一つの藩が当時の大英帝国とかアメリカに戦を仕掛けたとは恐れ入ったものです。

この他に江戸時代の大きな血なまぐさい事件(新撰組の池田屋襲撃とか)のジオラマがかなりリアルに作られています。
江戸村:武家屋敷通り

一番奥の方には武家屋敷を再現した通りがあります。それぞれの屋敷は中に入れるところと入れないところがあります。
南町奉行所のお白州もありますが、ここは外から見るだけ。

ここからちょっと戻ったところで、昼食を頂きました。山菜五目飯、900両でした。
でもこの食堂、狭い所に客をぎゅうぎゅうに押し込んで、リラックスして食べれなかったです。
江戸村:お姫様

さーて、ボツボツ帰りましょうか、という事で帰路についたところ横から突然お姫様が現れました。
あまりにも化粧が濃すぎて、年令不詳ではありますが、多分まだ二十歳代。可愛いお嬢さんです。

ド派手な着物とカツラが気に入りました。

「写真を一枚撮らせて頂きたく候。」、という事でお願いをしたところ快諾してくれました。

ツーショットも撮ったのですが、ナゼか大ブレでダメでした。残念。
那須の紅葉

江戸村を出てそのまま宇都宮に帰るのはもったいないという事で、那須を通って行こうとおい事になりました。個人の乗用車、観光バスによる観光客と出会います。

例年であれば既に紅葉できれいになっているとの事でしたが今年はちょっと遅れている感じです。
それでも紅葉が始まっているところを何とか見ることができました。

つかの間の日本への出張中の休日、SさんとIさんの好意で有意義に過ごすことができました。
11月3日の朝、今日は東京に行って済ませる用事があります。朝食を摂ったあとホテルの部屋でテレビを見ていると、今日明日は宇都宮のギョウザ祭りとの事。盛んに何とかいうNHKのレポーターが会場を回って叫んでいます。

そうか〜、東京に行く時間を遅らせれば十分に時間は取れそうです。ホテルはチェックアウトして荷物を預けて、カメラだけを持って早速出掛ける事にしました。
宇都宮駅西口

宇都宮の街は駅前の限られたエリア以外は全く土地勘がありません。
駅前から無料のバスが出ているというので行ってみますと、既にかなりの行列です。バスは出たばかりです。

係の方には次の出発は30分後と言われましたので、ギョウザ祭りのパンフレットをもらい、そこに書いてある地図に従って歩いて行く事にしました。
20分くらいで行けそうな距離でした。
二荒山神社(1)

バス停でもらったギョウザ祭りのパンフレットを手にまず二荒山(ふたあらやま)神社の会場に行ってみます。
鳥居横は既に多くの人でごった返しています。
全部で7つ程のギョウザの店のテントが張ってあり、みんな行列を作ってギョウザを買っております。

私はギョウザ自体は、「大好き!」、というレベルではないので後で食べることにして目の前の階段を上って境内に行くことにしました。
二荒山神社(2)

階段の途中で振り返ると、人が群がっているのがよくわかります。

お母さんが熱いギョウザをフーフーと吹いて冷まし、子供の口に入れています。
若いカップルがいちゃついて、お互いに口にギョウザをほうり込んでいます。
階段にベタッと座ってギョウザを食べながらビールを飲んでいるオジサンもいます。

実に平和な風景であります。
二荒山神社(3)

神社には正装したお父さん、お母さん、それに小さい子供が一杯います。
そうか〜、今日は七五三のお祝いの日か。やっと気が付きました。

私は上の娘の七五三を思いだしておりました。娘には着物を着せて化粧をし、カミさんも美容院に行って着物を着て、近所の神社に行きました。

娘は覚えているかなー、写真が残っているからきっと覚えているだろうなー、、、、。
子供達を眺めながらそんな事を考えていました。
三才かな?

この子はおじいちゃんとおぼしき人に手を繋がれてお参りをしておりました。
足元を見ると、ン?、スニーカーを履いています。

他の子を見ると三才の女の子はみんな境内の砂利に足をとられて歩きにくそうにしています。五才、七才の子は何とか大丈夫です。

そうかー、、、砂利道に足を取られたりしないようにスニーカーを履かせているのか、、、。
本当に可愛い女の子でした。
御神酒授与

ここでは七五三に来た子供に御神酒を飲ませて、お祝いをします。
巫女さんが杯に御神酒を注いで、お母さんが飲ませます。
ちょっと気になったので巫女さんに聞いてみまし。

私:「ところで御神酒は本物のお酒ですよね。」

巫女さん:「はい、そうなんです。全部クイーって飲んでしまうお子さんも見えまして。将来どうなるんでしょうね、、、、。」

面白い巫女さんでありました。
長蛇の列

再び神社の”長い階段をオラは下りたダー、、。”
本当は”上ったダー、、、(私と同じ世代の人はこれがわかる。)

列の一番後ろでは「何分待ち」というプラカードを持った女の子が立っています。
エーッ、30分待ち?!
4個100円のギョウザを食べるのに30分を並ぶ元気はありませんので、「見るだけ」、にしました。
ギョウザを焼くダンナさん

宇都宮がギョウザで有名になった理由は、昔日本が中国と戦争をしていた頃、出征した宇都宮の兵隊が中国で覚えてきてそれお故郷で広めた、という事になっています。

であればピーク時には日本中の部隊から何十万という兵隊が中国に出征していた訳ですから、日本はギョウザだらけになってもいいのですが、そうはなっていません。

もう少し他の理由がありそうな気がしますが、どうでしょうか。
ソース焼そば

ギョウザの列に並ぶのを諦めた私は神社を出て商店街の方に行きます。
テントが張られていろいろな屋台が出ています。

ジューッという音が聞こえます。ソースのいい香りがしてきます。匂いの方を見ると、ソース焼そばを作っている最中です。

気が付くと私はポケットから取りだした500円玉を握りしめて、焼そばが出来上がるのをジッと待っていたのでありました。
売り子さん

横では本物の臼でお餅をついており、これにきな粉をまぶして即売をしています。買う方も、売る方も楽しそうです。

宇都宮商工会議所女性部との事ですが、”女性部”という言葉が何かピンときません。
この場合一般的に”婦人部”という言葉を使うのじゃないかなー、とかどうでもいい事を考えたりしておりました。

お餅、鶏の唐揚げ、巻き寿司、サンドイッチ、全部おいしそうでした。
アーケード商店街(オリオン通り)

この日はギョウザ祭りだけではなく、”宮の市”という催し物と”MIYA JAZZ INN 2008”というイベントがあり普段はあまり多くない商店街も人でごった返しておりました。

びっくりしたのはオハイオの会社のアメリカ人のJさんにここでばったり会った事です。
Jさんも出張で来ており、何とホテルも同じでした。
休日の宇都宮、何もする事がなくJAZZがあるというので来てみた、と行っておりました。

偶然とは言え、本当にびっくりしました。
JAZZ生演奏

JAZZの生演奏を4カ所でやっており、私も席がとれたので聞かせてもらいました。

これはアーケードの入り口付近でやっていたもので、バンドの名前は忘れましたがスタンダードを8曲ほどやってくれました。
腕前としてはボーカル以外はマアマアでした。
(というか、ボーカルはかなり、、、でした。)

JAZZはギョウザ祭り会場付近以外に何とJR宇都宮駅構内でもやっておりました。
築(3)

アーケード商店街の横の会場で、200人くらい人が集まってこの女性歌手の歌を聴いておりました。
確か”沢村まみ”という歌手だったと思います。(間違っていたらゴメンナサイ。)
なかなか張りのある声で歌っていました。

私はこのジャンルの音楽というか歌については全く知識がないので「猫に小判」状態ですが、好きな人にはたまらないイベントかも知れません。
液体燃料販売所

こういうイベント会場でアメリカと決定的に違うのは日本は液体燃料がアチコチでバンバン売られている点です。ビール、日本酒、ワイン、焼酎、何でも売っております。

アメリカでは公共の場所での飲酒は禁じられています。従って浮浪者も道端で酒を飲むときは瓶を紙の袋で包んで、見えないようにしています。

でもここは日本です。ギョウザをつまみながらビールとかワインを飲んだり、車座になってオジサン連中がコップ酒煽ったり、みんな楽しそうでした。
再度、ギョウザを買う人の列です

4時間ほどブラブラしたでしょうか。肝心のギョウザをまだ食べていません。
やっぱり食べるべきだろうなー、と思ったのですが先程のソース焼そばがすごいボリュームだったせいか、お腹が全く空きません。

という事で初めて見学した宇都宮のギョウザ祭りではありましたが、私はギョウザも見学だけで終わってしまいました。

ギョウザは見る物ではない、腹に収めるものである、というのはよ〜く分かっておりますので、この次宇都宮に来たときは、真面目にギョウザを食べる事を誓いま〜す。
inserted by FC2 system