スローガンと目標
日本はスローガンの国です。スローガンとは標語、モットー、宣伝文句、キャッチフレーズの事です。政府、地方自治体、会社、家庭、個人あらゆるレベルでスローガンが満ち溢れています。
車で走っていて急に、「この市は交通安全宣言都市です」、などという看板に出くわします。宣言をするとはどういう事なのか、結局は交通取締りを強化してまっせ、という事なのか何なのかよくわかりません。

会社の中でもスローガンだらけです。結構過激な、とてもじゃないが、「直ぐには」実現できそうもないような言葉が情緒的に羅列してあります。
みんなそれを「実現できる」あるいは「実現しなければならない。」とは思っていない雰囲気を感じる時があります。こういうつもりでやっていれば、結果的にかなり高いところに到達できる、ということなのだ、と理解しているようです。

太平洋戦争末期の日本の、「一億総玉砕!」、は本当は一億が全部玉砕してしまっては誰も残らないわけですから、そのくらいの「つもり」でやれ、ということを表しているに過ぎないのは誰もがわかっていたと思うのですが、それに近いことが今でも行われている事に気が付きます。
先日来年度の事業計画の作成に当たっての社のスローガン(案)が配布されました。やはり勇ましい言葉が羅列してありました。これはこれで異論はありません。スローガンですから。
このようなスローガンはオハイオにいる時も日本から頻繁に送られてきました。

問題は、、、これをオハイオ人に伝える時に起きます。
スローガンの中には数字が書いてあったりして紛らわしい事が多いのですが、これが目標( target )としてオハイオ人に伝わった時がありました。こうなると日本人が考えているよりずっと深刻な事態をもたらします。

「一億総玉砕!」が目標( target )になる訳ですから、オハイオ人は一億艘玉砕をするための計画を作ろうとします。
でもそんな事できませんからオハイオ人はすぐに計画作成を断念します。
日本人はなぜ計画を作らないのだと怒ります。オハイオ人はそんなもの不可能だと言って、不可能である事を一生懸命証明しようとします。

そういうオハイオ人を見て日本人は、オハイオ人は、「やらない(やれない)事の」言い訳を一生懸命にやっていると思います。日本人は益々怒ります。日米開戦近し、という状況になります。

そうです、オハイオ人には目標( target )として伝わった瞬間、基本的にそれは必達、つまり必ず成し遂げなくてはいけない事柄になります。
「頑張りましたができませんでした、でも昨年より2倍もいい成績です。」ではダメなのです。

日本人はこのスローガンと必達すべき事をごっちゃにして議論をしたり計画を作る事があります。するとオハイオ人は混乱してしまいます。
これは私のオハイオ駐在中でも前半の頃はよくありましたが後半になって少なくなってきました。理由はオハイオ人が日本人の言う目標は ”target” ではない事を理解してきたからです。

日系企業で働くアメリカ人は日本人の使う言葉に慣れて始めて一人前になります。どこかの会社の優秀と言われる人材を日系企業に引っ張ってきて、これらの人に仕事をさせようとしても半年もたないのが普通です。

日本人の言っている事がこの "target" に代表されるように多くの事で理解できないからです。
(他の例としては典型的な言い方として日本人は問題を"problem"という言葉で表す事が多いのですが多くの場合はオハイオ人に対しては"issue"が正しい、とか)
優秀と言われる連中ほどそういう状態を嫌い、直ぐに見切りを付けます。

だたオハイオ人の言うことで注意しなくてはならないのは、本当はできる事でもできない理屈を構築する技術が日本人の100倍くらい上なので、彼らが何を言っているのかそれをきちんと読み取る必要がある点です。
これができるようになるには少し年期が必要なのが普通です。

今週配布された来期のスローガン(案)、これは少し修正されて間もなく世界中にばら撒かれるんだよな、世界中の大小の現地法人、事業所はどうやって現地人スタッフに落としこんでいるんだろう、興味深々です。
子ども手当は全額国費で負担されて、それにより支払うという公約(目標)、で始まりましたが必達目標(公約)としての支払金額はおろか、手当の財源のかなりの部分を地方自治体に払わせているというのが今の状態で、国費での負担100%は今のところ絶対に不可能だそうです。

当時の総理大臣(鳩山)は必達目標(公約)を掲げて国民に見せて、それに向かって突っ走ったのですが、目標は達成できず目標を変更しようとしています。
実現できそうもない「スローガン」と具体的に達成しなくてはならない「目標」をごっちゃにして示して、結局はできなかった典型的な事例でしょう。

政治家の中には最初から、「夢を語って、それをみんなでやろう。」なんて言って、できなくても「夢だから」で片付けられるようしているとしか思えない輩もいますから、全く油断できません。

今の政権が「こども手当をやる」と言った時、国民の多くは、「本当にできるんかいな、でもそのくらいのつもりでやったら半分くらいは実現できるかも。」、くらいで捉えてなかったでしょうか。政権そのものが最初からそれくらいのつもりだったフシもあります。
ですから手当額が約束の半分だったりしても「まあ、ええか。」で見逃すのでしょう。

つまりスローガンと目標のミックスは会社だけではなく、日本の国が率先して見せてくれている事だし、それができなければ絶対に許さない、なんて国民は最初から思っていないし、結局は、日本全部が上から下までこの考え方ではないかと思えてなりません。

でも言っときますが、これはオハイオでは絶対に通用しませんからね。スローガンはスローガン、最終的にいつかは達成したい姿は姿として、そして目標は目標できっちりと示さないとね。
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