16−07−19 不思議
フィリピンに来て2ヶ月半、実に多くの人に会いました。
まず私の会社の金型・プレス部品を買ってくれる取引先、そして設備・工具メーカー、設備保守点検会社、材料メーカーなどの重要な取引先の方々。
更に業界・同業関係者、銀行、保険会社、その他各種コンサルタント会社・工業団地内の親睦会メンバーの方々などです。

時には日本とか台湾、中国から同業者の方々が我が社に来て、フィリピンについての情報収集をやっていく会社もあります。赴任直後に準備した150枚の名刺はとっくに使い切り、追加の150枚も大分使いました。

初対面の方とは挨拶をして雑談を交えながら自分の事を知って頂く、そして私は相手の事を知る、という事になります。
その中で私は前の会社でオハイオに14年間いた事を話すとお互いにびっくりするような関係がわかる時があります。
(オハイオとの関係−その1)
セブにある会社のT社長さんと日本のS専務さんがみえました。
いろいろな話の中で、2人とも米国駐在の経験があると言われました。話を聞くと場所はシカゴ、Tさん2008年から、Sさんは1999年から、私のオハイオ駐在とラップしています。

当時の住まいは2人ともアーリントンハイツで、Tさんはアーリントンハイツの駅の傍だったそうです。
私は、「高速を北に降りるとすぐGSがありましたよね、その先のホリデーイン・イクスプレスに泊まっていました。ミツワで買い物、後は焼き肉ですね、、、」、と行ったときの様子をお話ししました。

お2人曰く、「じゃ、絶対にどこかですれ違っていますね、ミツワの本屋とか、フードコートで、、、」
しばしシカゴの話に花が咲きました。

(オハイオとの関係−その2)
ある商社の駐在員のWさんという方が見えました。我が社は商社経由で買うものはかなり限られているのですが、私の赴任後早々に挨拶にみえました。

私: 「私オハイオにいて、そして定年になって、、、」
Wさん: 「エー、私の家内はOSU(オハイオ州立大)の学生だったのです。15年くらい前ですけど。」
私: 「OSUの学生らしき日本人はいつもジャパンとか小山商店というスーパーに来ていましたよ。」
Wさん: 「そうですか、じゃ是非今度家内を入れてどこかでお食事でも如何でしょうか、、、」

という事で食事に誘われております。

(オハイオとの関係−その3)
ある機械メーカーのRさんは2005年前後にシンシナティーに駐在しており、私の元いた会社の取引先と盛んに付き合いがあったそうです。
メアフィールドのゴルフ場、ホテルはタートルクロッシング付近のホテルに泊まっていたようです。

私: 「日本食はどこに行きました?」
Rさん: 「はいヨシズです」
私: 「Rさんとはひょっとしたらこのレストランで会っているかも知れませんね。」

そんな話で盛り上がりました。
(オハイオとの関係−その4)
Yという会社、これは取引の90%が私の前の会社、つまり系列ですがここのフィリピンの社長のSさんは1995年から4年間オハイオの工場に赴任をしており、マンスフィールドに住んでいたそうです。

私とは3年間のラップがありましたが、Yと言う会社は当時それほど深刻な問題を起こしていなかったので私は限られた方とのお付き合いでのみで、Sさんとは会っておりませんでした。
Sさんは、「アメリカは仕事は大変でしたが生活は快適でした」、と目を細めておっしゃってみえました。

(オハイオとの関係−その5)
工業団地内の親睦会ではオハイオネタではないのですが、15年くらい前に今の私の鈴鹿のマンションから15分程度の距離のある営業所に4年いて、私の前の会社と取引をやっていたというYさん。
親睦会の宴会部長です。

(オハイオとの関係−その6)
工業団地の親睦会にナゼか団地外から顔を出しているある運輸会社の駐在員のDさん。
私はDさんの会社のトロント駐在員のMさんという方と、オハイオにいた時に趣味の世界で知り合いました。5年前にトロントから日本に帰国したMさん、Dさんはその下で昨年まで仕事をして、1年前にフィリピンに来たのでした。

(オハイオとの関係−その7)
ある有名特殊綱メーカーのSさん、5年前までずっと私のいた前の会社の担当営業マンだったそうで、オハイオにも何度も行ったそうです。
期間を聞くと私が駐在していた頃とぴったり、これもお互いにびっくりしたものです。

(オハイオとの関係−その8)
フィリピンの日系会社の現地採用で働いているUさん、20年前まで日本で働いており、その時の会社名はT。住まいは川越で、その頃は私も東武東上線沿いに住んでおりました。
実はこの会社には私の先輩が役員で転籍をしており、その他多くの方々を知っている会社なのでした。

(オハイオとの関係−その9)
Dという超大手の車関係の部品メーカー、この会社とオハイオの会社は取引があり、ある時とんでもない問題を起し、ややこしいい手続きが必要になり結構バタバタした事がありました。

このDという会社のフィリピン子会社のS社長、実は当時その問題を起こした製品の設計責任者だったというのがお会いして雑談をする中でわかりました。
しかし、、、何と言っても一番は、現在私がいるフィリピンの会社の製品が約9年前に私の机の上に置れていたいうと事実です。

この部品はフィリピンにあるYという会社経由でオハイオに送られていたのですが問題を起こして、それが理由である部品が私の机の上にあった、という訳です。
きれいにメッキされた部品でした。

今の会社は当時の私から見た場合2次メーカになるので名前は知りません。
あくまで購入先はYでした。
しかし9年後に何の因果なのか、その部品を作った2次メーカーに私は来ている、、、。

世界は広いようでこんなに狭い、、、不思議さを通り越した感じがしております。。
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