16−01−17 冬の楽しみ
ここのところずっと日本各地で小規模の地震、火山の噴火などが続いています。
これに関して20年前の淡路阪神大震災、5年前の東北大震災はその復興もまだまだ道半ばという報道がありました。

その報道の中で気になるのは震災の"復興"と"対策"がごっちゃになっている点です。
復興とは被災・破壊されたインフラ・環境などを元に戻すことです。
対策とは次の震災に備えて被害を最小限に食い止めるための対応です。

住宅を例で言うと被災した方々に仮設住宅を準備して、速やかに新しい永住用の家を建てる環境を整える、というのが復興。
そしてその新しい住宅地が同じような災害が起きた場合に、被害が最小限になるように手をうっておくのが対策。
もちろん両者は密接な関係にあります。

しかし現状は対策が復興の足を引っ張っているらしいのです。対策としてある新しい住宅地は50mの津浪が来ても大丈夫なように高台に作る、とあります。
ところがこの対策があまりにも巨大というか、規模が大きくて遅々として進んでいないのです。

結果として”復興”の永住家が建てられず、被災者はいつまでも仮設住宅に住まなくてはならなくなっています。つまり復興遅れ、です。
住宅以外の護岸工事、その他インフラ工事でもこれと同じような事が起きているそうです。

対策の規模が大きくなっている理由の一つが、何百年に1回しかないような"想定外"と呼ばれる大災害(津波)を前提にしているからです。

ですから全ての規模がケタ違いに大きくなってしまい、今の地方自治体などの実行組織では手に負えなくて迷走している、ということらしいのです。

それと大切なのは"被災した地域"の対策も大事なのですが、"次に災害が予測されている地域に対する対策"を行うのはもっと大切ではないでしょうか。

例えば東南海沖地震はここ何十年以内に発生する確率が70%とか75%とか言われており、みんなそれを信じています。

しかし不思議な事にその対策は具体的に”何がどこまでやられているのかは知らない”、というのが一般的な認識ではないでしょうか。

「東北大震災の貴重な教訓を次の災害に生かすことこそ”我々”の使命」、とか国・地方自治体・学者先生・マスコミ・国民、それに何と民主党・共産党・朝日新聞でさえも言っております。
(ここでいう”我々”って誰だ?、という疑問はありますが)

今までの災害で得た教訓は何なのか、その教訓はきちんと整理され関係者が共有しているのかさえよくわかりません。
ここが私の最大の関心事なのですが。
■ 幕末長州藩の攘夷戦争 <古川 薫著 中公新書> ★★★★☆

年末に萩と下関に行った。
萩と言えば誰もが吉田松陰と松下村塾、その塾生の高杉晋作などを頭に浮かべる。

なぜこの人達がかくも有名なのか。
それは長州藩が明治維新の立役者であり、これらの人がその原動力の源を作ったからである。

長州藩では明治維新前の10年間に誰が何をやったのか、その原動力は何だったのか、断片的な知識を整理したいと萩・下関訪問から帰ってから思っていた。

そんな時に偶然にこの本が目に入った。
著者は下関生まれ、そして人生の殆どをそこで過ごしている人である。

全編郷土の偉人と歴史について詳らかにしたい、という気持が伝わってくる本である。

衝撃的なのは日本は江戸末期に支那と同じように植民地になる瀬戸際にあったという部分である。
様々な経緯から、イギリスは下関に隣接する彦島の租借を強く要求していたのである。

イギリスはスペイン継承戦争中にジブラルタルを占領(今も占領している)。

その後シンガポールを植民地化(今も宗主国のつもり)、更にアヘン戦争で香港、アロー戦争で九竜市、そしてその4年後に彦島を手に入れようとしていたのである。
(彦島は偶然にも香港島と同じ大きさである)

この本は4国連合艦隊(イギリス、フランス、オランダ、アメリカ)と長州藩の戦の前後の経緯が読みやすく書かれている。
江戸末期には武士は既に戦う集団ではなくなっていた、ともあった。農民からも戦う姿を見られてバカにされたらしい。
太平の世が長く続き、武士は退化していたのである。

萩博物館に行くと明治維新後に政治・軍事・産業・文化などの各方面で活躍した偉人達の写真と業績の説明が掲げてある。
その数は100人を下らない。


伊藤博文、山県有朋、などはその頂点であろう。(両名とも松下村塾の塾生)

なぜこのように多くの偉人が長州藩から輩出されたのか、写真を見た時はその理由がわからなかった。
その理由も本書で概ね解けた。

日本国内の内乱を鎮め、欧米列強の侵略を阻止して近代化をはかった日本。
しかし日本は危機一髪の、実に危ういところにいたのである。

萩市内、現在の下関市の清末、長府、前田、下関市内、彦島、そして関門海峡を下関側と門司港側からじっくりと見てきたばかりなのでこの本を読みながらその風景が目に浮かんだ。

明治維新の謎解きにを大きく進めてくれる本である。文句なし4つ★である。
■ 子どものまま中年化する若者たち <鍋田恭孝著 幻冬舎新書> ★★★★☆

日本の若者がどこかおかしい。
これを言うと今から2000年前でも、その時の若い世代が年配者からあれこれ言われていたという記録を持ち出され、問題提起ではなく"グチ"として扱われる。

この本の著者は精神科医という専門家である。
筆者は、「子どもの心のまま、人生をあきらめきった中年のように生きる若者が増えている」、と総括し、その”事象”と”事象原因”を1冊の本で述べている。

対人恐怖症、摂取障害、BPD(精神症と精神疾患の中間にある病態、だそうで異常性格の事か?)、不登校、引きこもりなどがどういう環境から生まれてきたか、著者は精神科医なので冷静に把握しており、興味深い。

そして今の若者は頑張らない、というのも特徴である、と言う。

最近話題になるブラック企業は、半分は頑張らない”社員側に責任”があると私は思っているが、ナゼこうなったのか、その説明も興味深い。

反射的、断片的なコミニケーションが中心になっているとも説き、「わからない」、「別に」、「何となく」、「びみょう」という言葉を多用する。

そして心の世界に語るべき何かを持っていないという。
少し困ると直ぐに"固まる"のも特徴だそうだ。

更に若者の中には自分の悩みとかを"外に出す力"もなくなっていると言う。

この本を読み終えて感じたのは筆者も書いているが、「現在は、動物としての基本的な能力が子どもの時から失われてしまう環境にある」、という点である。

筆者はこれらの症状に対する"事象原因"については詳しく述べているが、その事象原因が何によって作られたかの”真の原因”については殆ど触れていない。

今は、”競争は格差を作る”という考え方から、健全で自然な競争さえ否定する学校教育が平然と行われ、そしてこれに対して多くの親も賛成している。
競争に敗れた自分のこどもの姿を見たくない、という事らしい。

そういう教育が現代の無気力な若者を生み出す原因であると言っているが、そういう教育がナゼ行われるようになったのか、というのは筆者の専門外であり一切触れていない。
別の本を読む必要がある。

いずれにせよ極めて興味深い1冊である。
年が明けて最近やっと冬らしい気温になってきました。
風があると、「うっ、さぶ!」、となります。

埼玉県・川越にいる先輩のSTさんは先週にバンコックに避寒に行っちゃいました。4月くらいまでみえるようです。
「例年になくバンコックは暑い」、そうです。寒いよりずっといい、、、。

そんな訳で私は買い物とか病院とかジョギング・ウオーキング以外での外出はぐっと減っています。
そこで本を読む時間が増えています。

1月になって久々に"4つ★"の2冊に出会いました。更に"4つ★"候補の2冊を今読んでいます。
1冊はひょっとしたら"5つ★"かも。

こうやって言うと、では"1つ★"、又は"★なし"というのはどんな本か、と言う事になります。
これは大きく分けると2つの種類です。

一つは事実の中に”ウソと自分の意見を巧妙に混ぜ”て、ある一つの方向に導こうとしている本です。
もう一つは読んでいる時は面白く感じるのですが、読み終えると、「さてこの人は何を言いたいのだっけ?」、という本です。

それはともかく、読書は私の楽しみのひとつであります。
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