15−12−19 種子島へ
下関に2泊した後次に向かったのは種子島。
ここには昔御世話になった会社の先輩がおり、この方は退職後10年程亀山市に住んでいたのですが永住のために奥さんの実家のある種子島に移住した方です。

下関のホテルを0830にチェックアウト、同時にスーツケースを種子島の次に向かう鹿児島のホテルに送りました。

種子島には1泊だけなので最小限の着替えとか洗面用具、その他カメラなどを持って行き、大きなスーツケースを持ち歩く手間を省きました。
こうするとリュックサック1個での移動になり、大変身軽になります。

下関駅から小倉まで行き、ここで新幹線に乗って鹿児島中央まで行きます。

車内はガラガラという訳ではありませんが2席をひとりで使えたのでゆったりでした。
私は九州新幹線に乗るのは実は初めて、ちょっと驚いたのが車内放送でした。

乗車した"みずほ603号"では日本語の放送に続き何と韓国語と中国語、英語放送はありません。これは後でわかるのですが九州のあちこちの観光地は韓国人と中国人、そして台湾人でごった返しているのです。

下関で泊まった東急REIも実は客の半分は韓国人でした。このホテルの裏200mは関釜フェリーターミナルなのです。
それにしても朝食のバイキングの食べ方は汚いというか、メチャクチャだったな〜。

それと昨日門司港に行ってブラブラした時にレトロ展望台で写真を撮ってもらった若い女の子も台湾から来た子でした。

「スミマセン、写真を撮ってもらえますか」と御願いしたら英語で返事が戻ってきました。

韓国人、中国人(台湾人)にとってそれぞれの言葉での車内放送はいいかも知れませんが、他の国からの"外国人"も一杯いるわけでそういう人達を無視している、と言われないのでしょうか。

それとも日本にとっての観光客は韓国人・中国人でそれ以外は無視(大げさではありますが)という事なのでしょうか。

事実白人など明らかに韓中以外の観光客もあちこちで見掛けました。そういう事を考えると韓国語・中国語で車内放送をするのではなく英語でやればいいと思うのですが。

レトロ展望台で話した台湾の女の子は流暢な英語をしゃべってくれましたし、日本が英語を中韓も含む外人用の共通言語として扱っても誰も文句はないはずです。

九州新幹線の日本語・韓国語・中国語による車内放送、何となく国際的なようで実は全然そうじゃない、という印象を受けたのですが、、、。。
鹿児島中央に着いたのが11:37、種子島に行くにはここから本港南埠頭まで行かなくてはなりません。駅を出ると前には大きなバスターミナルがあって全部で20くらいの乗り場があります。

ウロウロしていると案内のオバさんが教えてくれました。11:45発のバスが10分遅れで来たのでこれに飛び乗って埠頭まで。
バスを降りて13:00の切符を買って外に出ました。

桜島がきれいに見えます。
そこで写真を一枚、と思ってリュックの中からカメラを取り出そうとしたのですが、カメラが見つかりません。

あっ、バスの中に忘れてきた!!
カメラだからもう手許に戻る事はないだろうな、でもひょっとしたら、、、という訳でバス停の時刻表の下に書いてある電話番号に電話をしてみる事にしました。

ここでまた困った、バスは3つの会社によって運行されており、どの会社のバスに乗ったのか覚えておりません。

先ず鹿児島交通に電話を掛けます。
私: 「11:45に鹿児島中央から南埠頭まで乗ったのですが、、、」
係の人: 「その時間はウチは運行していません」

次はいわさき交通に電話してみます。
「11:45に、、、」、と同じ事を言って、「、、、忘れ物をしたのですが、、、」、と言ったところで相手が、「カメラでしょ?」、と耳を疑う返事が返ってきました。

バスを降りて20分後にはそのバスの運転手が会社の係に届けてくれていたのです。
埠頭からタクシーをすっ飛ばしていわさき交通の配車センターまで。

大きな事務所に入って、「忘れ物の件で来ました」、と言うと奥からニコニコしながら40才くらいの男性が来て「ハイ、これですね」、カメラと渡してくれました。

何でこんなに直ぐに係の方が出てきたのかこれも奇跡。

「ありがとうございます!」
お礼を言って事務所を出て待たせてあったタクシーに乗って再び埠頭へ。

いわさき交通の係の方は私の名前も聞かず、身分証明の提示も求めず、書類を書かせる事もなくカメラを渡してくれました。

バスに忘れたカメラはこうやって25分後には再び私の手元に戻ってきました。
いろいろな条件を考えると、これを奇跡と言わすして何と言えばいいのでしょうか。(大袈裟!)

とにかく岩崎交通の配車センターに見えたあのフランク永井に似た顔の係の方、イエ、それよりも座席に忘れたカメラを間髪を入れずに届けてくれた運転手さん、本当にありがとうございました。
空港のそんな訳で昼食の豚骨ラーメンを食べて13:00の高速船に乗って1時間30分、船は無事西表港に着岸しました。

船は最大80km/hのスピードで走る高速船、振動も少なく実に快適でした。
80km/hと言えば45kt、こりゃ魚雷艇より速いじゃないか。

水中翼船の最大の敵は流木・クジラなどで、今から9年前に海面の物体と衝突を起こして114人の乗員・乗客のうち93人が重軽傷を負うという大事故を起こしています。
そんな訳で出航するとしつこいくらいにシートベルトの着用を要求されました。

西表港ではYMさんが待ってくれており、早速ご自宅に伺いました。
YMさん夫妻の現在の住まいは種子島への島外からの移住者用に市が準備した家に住んでおり、小高い丘中腹にありました。

大変眺めのよいところで屋久島が近くに見え、遠くには開聞岳も見えました。
MYさんの奥さんにとって種子島は生まれ故郷で親戚も多く、助産師として今も西表市の病院で仕事をやっています。

移住者用の住宅は3年以上は住むことができないので永住を決めた今、島の中部に土地を購入、そして年明けから新居の建築が始まると言ってみえました。

島で生活する上での心配事項としてはやはり医療なのですが割と大きな病院もあるし、緊急の場合は鹿屋から自衛隊のヘリが来てくれるからそんなに心配はしていないと言ってみえました。

この日の宿泊は西表港のホテルを予約してもらってあったので一旦チェックイン、YMさんと港の付近をMYさんとブラブラしてみました。
夜はMYさん夫妻と居酒屋レストランで食事、その後MYさんと私は2次会に出撃。

一応日付が変わる前にはホテルに帰る事ができました。
と、記憶しています。
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