15−12−17 萩から下関へ
昨日は松陰神社、東光寺、萩博物館とその周辺をブラッとゆっくりと気の趣くまま散策をしてみました。
萩と言えば城下町、吉田松陰、高杉晋作、明治維新、というようなキーワードが浮かびます。

松下村塾などを見て思ったのは、つまり江戸末期に日本が外国に占領されて、それらの植民地になる事を恐れ、これを防ぐためにはどうすればいいのか、という考え(攘夷思想)を持った人達がここから出たという事です。

松下村塾で学んだ中で有名な人物が多くおり、高杉晋作が特に有名です。

この人は藩命で当時の上海に渡航しており、この時に見聞した支那の状況が彼の行動の基礎になっていると説明されていました。

白人国家が上海を半植民地化して支那人達を動物のように扱っている姿を見て、支那人達の話を聞いたり、外国公館なども訪ねて上海の状況をつぶさに調査しました。

その結果江戸幕府の体制では日本も支那のようになると確信するに至ったとありました。

吉田松陰はその高杉晋作などに大きな影響を与えた人物、明治維新の後日本の初代総理大臣になった伊藤博文も吉田松陰の松下村塾の門下生です。

萩、長州は幕末・明治維新・明治初期の日本が近代国家に生まれ変わる時の原動力になった多くの偉人を生み出している事が萩を訪れるとよくわかります。

吉田松陰も高杉晋作も幕末の日本を動かす大きな原動力であった訳ですが、それぞれ29才、27才で亡くなっています。

吉田松陰の肖像画を見ると見ようによっては50才くらいの姿に描かれていますが、松下村塾で教育をしていたのは27才の時です。

いずれにしても若者が明治維新の原動力になった、その若者達は日本を白人国家の植民地化から守ろうとした憂国の志士であった、つまり目は日本国内だけではなく世界にも向いていた人達です。

極めて限られた情報の中でそういう考えに至ったというのはやはりスゴイ事だと言わざるを得ません。

萩は女性に人気のある有名な観光地であると聞いており、昨日は観光客そのものは少なかったものの見掛けたのは女性が大半でした。

そうか〜、、、女性は憂国の志士が好きなんだ、金を出してもそのルーツを探りたい、という事なんだ。
そうでなければあんなに熱心に写真を撮ったり、チョコチョコと歩き回らないもんな〜。

ナルホド、これで納得、、、。
昨日はズボンのベルトに付けた万歩計によると2万7千歩、実質的に10kmくらいは歩いたのではないかと思います。

この間休んだのは昼食にレストランに入ったのと、コーヒーブレーク2回のみでした。
ホテルを出たのが08:45、帰ってきたのが16:00頃ですからこれくらい歩いたのでしょう。

松陰神社から東光寺に行って本堂裏の毛利家の墓所に行った頃から小雨が降り出しました。
あの広い東光寺の中にいた観光客は私ひとりではなかったかと思います。

微かに聞こえる雨の雫の音、何もかも静まり返った墓所はちょっと不気味な感じさえしました。

杉檜の大木に囲まれたあの500基の石灯籠は圧巻でした。

さて萩に2泊した今日の朝は東萩から山陰本線で長門市まで行ってここから美祢線で厚狭、厚狭から山陽本線で下関です。

08:40頃にホテルはチェックアウトをしたのですがホテルのカウンターは無人、キーはカウンター横のボックスに放り込んでおしまいというやり方でした。
カウンターを見ると23:00〜11:00までカウンターは無人になります、という張り紙がありました。

東萩から長門市までの車窓から時々見えた、白波の立つ日本海の風景は実に素晴らしかった。
冬の日本海を見ていると何だか松本清張の推理小説を思い出してしまいました。

松本清張の推理小説には日本海の風景がよく出てきます。もっとも島根県とか石川県からの日本海で、山口県の日本海ではありませんけど。

長門市で美祢線に乗り換えて厚狭まで。風景は一気に変わり明るい緑の山と青空です。列車はたった10数キロだけ南に走っただけで変わる景色は実に対照的でした。

厚狭から下関までは30分ちょっと、11:50に到着。今日から2泊する下関のホテルは駅から歩いて5分の東急REIホテル。
しかし寒い。

それまで下関も20℃近くの異常気候だったのがこの冬一番の寒波に襲われたとの事で一気に10℃以下になってしかも風が強いのです。

下関はオハイオにいた2008年に一時帰国休暇で訪れた事があるので7年ぶりになります。
ホテルに着いたのはお昼をちょっと廻ったところ。

ダメ元でチェックインできるか聞いてみたのですが、「チェックインは15:00からです」、という事で萩と同じくピシャリ。

ちなみに今までの私の経験の中で一番早くチェックインさせてくれたホテルはボストンのシェラトン。

早朝のフライトでコロンバスからボストンに着いて、8時前にホテルに行って荷物を預けようとしたらカウンターの兄ちゃんが、「部屋が空いていますからチェックインやっちゃいましょう」、という事で部屋に入れてくれた事があります。

ここのホテルも萩と同じくチェックインは時間厳守でした。。
スーツケースなどの荷物を預け、駅のレストランで食事をして市内をぶらつきます。
昼食はもちろんチャンポン麺。
隣では私よりかなり年配のオジサンが、フグ刺しで一杯やっていました。オレもやりたかった。

下関には"海峡ゆめタワー"という関門海峡のランドマークタワーがありますので行ってみました。
駅から歩いて10分ちょっとで行けるところにある高さ153mのタワーです。

12月の平日の14:00、誰もいません。完璧に暇をもてあましているエレベーターの料金所の女の子が私を見てびっくりしたような顔になっていましたっけ。

153mのタワー最上階の展望台からの眺めはなかなかのものです。
眼下には関門海峡、巌流島、そして下関市内、門司港、小倉も遠くに見えます。

展望台の1階下のレストランに行ってコーヒーとケーキを注文、するとウエートレスの女の子があまりに暇だったのかいろいろと話しかけてきました。

「オジサン、どこから来たのですか?、、、」から始まってそのうち景色の説明もやってくれました。

結局このタワーには1時間近くいたのですが会った観光客は3人だけでした。

ひとりはスーツを着て鞄を持った中年のサラリーマン、出張か何かのついでにちょっと上がってみた、という感じの人でした。
あとは年老いた母親と中年の息子という感じの2人でした。

他の人から私はどのように見えているのだろう、、、今回は一人だし。
ま、そんな事はどうでもいいや、今夜は何を食べるかな〜。

これを考えるのも旅の楽しみのひとつです。
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