15−10−23 背中にウロコ
テレビを見ると番組の半分近くは食い物、または食い物に関するものばかりです。
”味覚の秋、食欲の秋”、巷ではよく言われます。
減酒ダイエット、プチ糖質ダイエットをやっている私にとっては実に辛い季節であります。

これではストレスが溜まって、”神経性肥満症”、になるかも知れません。
そこで、、、思いきって”ダイエット例外規定法案”を急遽成立させ、海の幸を求めて鳥窒フ離島、”潮騒の神島”、に行く事にしました。

集団的自衛権法案は、多くの反対を押し切って成立されました。
”ダイエット例外規定法案”、も多くの反対を押し切って成立をさせました。(ウソ、誰も反対はしていません。法案成立は思い立ってから大体5秒くらいでした)

1年4ヶ月ぶりの神島です。
佐多浜を出航

神島までは三重県側からは1日に市営の連絡船が4便出ています。

鈴鹿から鳥羽までは急行で1時間ちょっとで行けます。
台風の影響でしょうか、皆とを出ると少し並があります。
船底から、「ドーン、ドーン」、と波を乗り越える響きが伝わってきます。
和具港

神島まではダイレクトではなく答志島、又は菅島に寄っていきます。
10:40の船は答志島の和具港に寄っていきます。
ここで乗客の多くは降りてしまいます。

港では様々な荷物が降ろされます。半分くらいは食料品のようです。
荷物下ろしの作業員は殆どが女性です。
神島到着

観光客らしき人も何名か降りますが、鞄などを持っていませんので島の民宿に泊まる人達ではなさそうです。

ここでも連絡船に積んできた荷物を下ろし、軽トラでどこかへ運んで行きます。

今夜お世話になる民宿に行って昼食を頂きます。
カミさんはここでしか食えない”タコ・バーガー”、なるものを食べ、私はタコ飯定食を食べました。
吉永小百合

神島は三島由紀夫の小説”潮騒”の舞台であり、50年近く前に吉永小百合と浜田浩二が出演する映画が作られました。

その時島の小学生だった民宿の女将さんと吉永小百合は交流があったそうです。

そして今から1年くらい前に吉永小百合が神島に再訪した時に、そのエピソードがテレビで紹介されていました。

民宿の食堂の隅には吉永小百合の写真が飾ってありました。
神島銀座

連絡船が着く浮き桟橋から40mも歩くと”神島銀座”に出ます。
ひっそりとしています。
時々軽トラが走ります。

男は海に出て漁をしているか、早朝の漁から帰ってきて寝ています。
時々見掛ける人はオバアサンばかりです。
ナゼかオジイサンは昼寝が好きなのか、殆ど見掛けません。
島内一周ハイキング

神島に来たら島内ハイキングをやらなくては来た意味がありません。

という事で昼食の後、部屋で着替えて早速出掛けます。
せまい路地がスタート・ポイントです。

直ぐに三島由紀夫が1ヶ月間泊まったという当時の漁協組合長の家があります。
八代神社

島の山の斜面にへばりつくように建てられた家を過ぎると直ぐに神社があります。

鳥居から社までは200段以上の階段になっており、先のコースの厳しさを予感させます。(大げさ、、、)

私の場合、自慢ではありませんが100段くらいは一気に駆け上れます。
が、今日はゆっくりと上がります。
神社から灯台へ

神社でお賽銭を投げて参拝をして灯台に向かいます。
かなり急な斜面で、ここには灯台建設時に作られた資材運搬台車用の路面が残っています。

神社から灯台までは400mくらいでなので直ぐに到着です。
灯台横からの眺め

灯台の標高は106m、ここからは伊良子水道が手に取るようによく見えます。

伊良子岬灯台、海上交通センターの建物も目の前です。
丁度大型のコンテナ船が伊勢湾に入っていくところが見えます。

気温は23〜4℃、湿度は低く実に爽やかな日です。
灯台から監的哨跡へ

更に登り坂が続きます。
何だかこの3週間前に行ったベトナムのクチのジャングルみたいな雰囲気です。

夏に来るといろんな虫とかヤブ蚊が飛び回っており、足下にはムカデなんかもいますのでこういうのに慣れていない人は、ギョッとするかも知れません。

私はこういう自然が大好きです。
監的哨跡

昔の陸軍の施設です。伊良子岬付近から発射した砲弾の着弾観測のための施設だそうです。
以前は中への立ち入りは禁止でしたが、今は入って屋上にも上れます。ここからの眺めは素晴らしいです。

潮騒の映画のロケでもここが使われたそうです。
伊良子から太平洋方向

この眺めはいつ見ても最高です。
水道を行き来する大型船、小型船、そして何十隻もの漁船が漁をしています。

下には太平洋の荒波が打ち寄せており、その音も聞こえます。

そうか!今度は弁当を持って来てここで食べよう!!。
確かこの前もそう思ったのですが忘れていました。
夕食(1)

宿に帰って風呂に入ります。風呂には誰もいません。
伊勢湾を眺めながらの風呂は最高です。

夕食は部屋ではなく、食堂で頂きます。
期待どおりの魚ずくしです。
鯛と伊勢エビの活き作り、もう堪りません。
勿論タコもついています。
夕食(2)

長さ25cmはあるイサキです。醤油でこってりと煮てあります。
これはデカいので食べ甲斐がありました。

他に何品も料理を出され、つい液体燃料がすすんでしまい、翌日はカミにお小言を頂戴してしまいました。

魚と日本酒、こりゃもう最高でした。
宿の部屋から

6時半頃、すっきりとした目覚めです。
窓からは伊勢湾側が見えます。

自宅マンションから神島は40kmちょっとの距離がありますが普段からよく見えます。

今日はあまり視界がよくないみたいで鈴鹿・四日市方面は見る事ができません。

海には多くの漁船が漁をしているのがよく見えます。
朝食(1)

朝もこれでもか!というくらいに魚が出てきます。

鯛のアラ煮が実に旨い!刺身にした残りを全部アラ煮にしてあるので、身が一杯付いています。
これだけで液体燃料が注入できそうですが、昨夜の事もあるのでここはグッと控えます。
朝食(2)

昨夜刺身にした伊勢エビをブチ込んだ豪勢な味噌汁です。

ビックリしたのは再びイサキの焼き物が出てきた事です。これも25cm以上あります。
イヤ〜、さすがにこれは食べられません。

手を付けずに残しておいたら帰る時に箱に入れて持たせてくれました。
港に出てみます

帰りの連絡船は11:35なので4時間近くあります。
そこで朝の散歩に出掛けます。

夫婦2人で漁をする夫婦船も多いようで、船の上で漁具の片付けなどを2人でやっている姿が見えます。
どんな小さな漁船でも”FURUNO”のレーダー、無線機、それに魚群探知機を積んでいます。これはスゴい事だと思います。
網の手入れ

この網は刺し網漁に使うタイプです。
やられているとは思うのですが、流し網漁に使う網は見掛けませんでした。

網の手入れは大体が女の仕事なのですが、この日は男の姿が見えました。

岸壁ではこのような作業を数カ所でやっていました。
自民党の島

神島には元衆議院議長の大物政治家、田村元の銅像があります。
この人は三重県出身で神島、答志島などに資金を投入、港の整備などに使われました。

それに島民が感謝して銅像を建てたという事らしいです。

今の三重県は亡国の政党である○主党の岡○某とその仲間、中○某などが生息する、広島、京都にも負けない左○の巣窟です。
何でしょう?

そうです、蛸(タコ)壺です。
神島はマダイ、スズキ、イセエビ、アワビなどと共にタコ漁も盛んです。

タコは刺身は勿論、煮タコ、タコの一夜干しなどが美味です。
タコで作った”タコ・バーガー”、というのもあります。
巨大イセエビ

港の中央付近に小さな市場があります。
中に入ってみると午後のセリの準備をしているところでした。

私達がキョロキョロしていると市場のオバサンが今日獲れた巨大な伊勢エビを見せてくれました。
値段は巨大なものより、もう少し小さい方が高く売れる、と言ってました。

これは40cm以上は軽くありました。
巨大ハモ

岸壁の下ではオバチャンが包丁片手に、巨大なハモを相手に格闘をしていました。

オバチャン、ハモがあまりにも大きすぎてかなり手を焼いておりました。
長さは1.5mくらい、太さは確実にビール瓶より太かったです。

どうやって食べるのか聞くのを忘れました。
三島由紀夫

彼はギリシャのエーゲ海を旅し帰国、そして神島に長期逗留して純愛小説”潮騒”を書きました。

昭和28年に川端康成に送った手紙。

「人口は千二、三百、、、、映画館もパチンコ屋も飲み屋も、喫茶店も全て”よごれたもの”は何もありません。
この私までも忽ち浄化されて、、、、ここには本当の人間の生活がありさうです、、、、」。
小学生

島の人口は今や450人程度、小学生は全部で19人、中学生は3人(!)です。

宿の若女将に聞くと、「昔は1学年25名、時には40名くらいの生徒がいました」、と言っていました。

これは昼間話した90才のオバアサンも、「昔は生徒が300人いた」、と言っていました。

若女将は多分40才くらいの感じですから、30年でここまで減ってしまった、という事のようです。
また来年来ま〜す

島をハイキングして海を見ながら風呂に入り、魚を一杯食べて、液体燃料をしっかり注入、これ以上の満足はありません。

毎日私の部屋から見ている神島、オハイオから帰ってこれで4回目です。
これからも1年に1回くらいのペースで来ようかな〜、、、。

11:35の連絡船に乗って島を離れました。
鳥羽一番街

電車に乗る前に一番街の3階のレストラン街で昼食を済ませました。
神島でお腹一杯の朝食を頂いたので、ちょっと軽めの昼食になりました。

2階は結構大きな土産物屋があるのですが客は何と”ゼロ”。
鳥羽に来るここの横を通るのですが大体がこんな感じ。
よく商売やっていけるものです。
鳥羽から鈴鹿へ

いつもは特急に乗って帰るのですが先に急行があったのでこれに乗りました。

駅の改札手前の待合スペースには観光客が少しいましたが全員シニアの方々ばかり。平日とは言え、こんなに少ない観光客しか来ないのですね、鳥羽には。

私も神島には行きたいと思いますが、観光ホテルには行く気は全くしません。
あの料理であの値段ですからね〜。
チェックアウトの時に宿の若女将と少し話をしました。

「ところでこの島に中国人は来るのですか?」

「問い合わせがあったのですが、シャワー・トイレは各部屋にあるのかとか、ホテルのような設備を要求されているようで話が合いませんでした。
それに値段が高い、とかも言われました。」


トイレも共用、風呂も共用、洗面所も共用、寝るときは畳の部屋にパーッと布団を敷いてゴロッとなる、、テレビはありますが懐かしい14インチタイプ、、、夕食の時は若女将の小学生の子どもが隣のテーブルで宿題やってる、、、

そうです、ここは懐かしい香りがする日本の民宿なのであります。

値段が高いと言われたのは1泊2食で1万円以上という点で、多分食事の内容が理解できなかったのでしょう。

中国人なんか絶対に呼ばないで下さい。神島だけは中国人抜きでゆったりできる貴重な穴場として残しておいて下さい、御願いします。

本気でそう思いました。
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