14−08−10 Dデイ
検査入院から10日後の8月4日、手術入院のための荷物を持ってカミさんの運転する車で病院まで。
昼頃に麻酔科部長がやってきて、手術の時にどういう処置をして麻酔をかけるか、どういうリスクがあるか等について説明をしてくれました。

この時に酸素供給のためのチューブの挿入(気管内挿管チューブ)を救命士、つまり消防署の職員にやらせて欲しい、という事を言われました。

依頼はチューブを喉の奥の気管の近くまで入れる処置で、当然様々なリスクがあるわけですが、麻酔科部長がつきっきりで見ると言っているし、「ま、いいんじゃない」、くらいの感じでOKを出しておきました。
あとで聞くと手術を受ける人でOKを出す人は少なく、救命士の教育・訓練がなかなか進まないような事を聞きました。

手術が終わった翌日麻酔科部長と救命士が私の部屋までお礼を言いに来ましたが、救命士は手術室に入った時は医者のひとりだと思っていた人で上背のある、聡明そうな顔をした青年でした。

そう言えばオハイオにいた時に麻酔なしで胃カメラをやるというのでドクターに、「ナースの生徒達に貴方への処置を見せてもいいですか?」、と言われた事を思い出しました。

アメリカでは胃の内視鏡、直腸の内視鏡、抜歯も全部全身麻酔でやるのが普通です。私はその日は大事な会議があったので麻酔なしでやってもらったのでした。(別に大和男子の意地を張った訳ではありません)
麻酔なしでやる、って言ったら看護婦もドクターも、「エーッ、どうして?ホント!」、大騒ぎでした。

カミさんも帰宅、ひとりで夕食を食べ終わり、ポツンと部屋の中でひとりベッドに座り、「オレも明日は腹に穴を空けられるのか〜、まな板の上の鯉なのだな、要するに」、と感無量でした。

とは言うものの表面上は全くの健康体ですから夜はヒマで仕方ありません。持ってきた本を夜中まで読んで過ごしました。

手術当日は絶食、但し7時までは水とかは飲んでいいというので7時きっかりにペットボトルのお茶を飲んでお迎えが来るのを待ちます。

看護婦さんが手術着を持ってきたので私はスッポンポンになって着ようとしたら、看護婦さんは慌てて、「下はそのままで結構です」、と言われました。これもアメリカと違います。

いよいよ腹に風穴を空けるときがやってきました。
「じゃ、行きますか、、、」、と看護婦さんは元気よく言うのでどうやって行くのかと思ったら、ペタペタ歩いて自分でエレベーターに乗って手術室まで行くのでした。

手術室には執刀医のドクターOM、麻酔科部長、それ以外に2人のドクター(ひとりは救命士である事が後でわかりました)、看護婦が数名いました。
「おお、何だか一杯いるな〜、、、」

鯉である私は調理人達、もとい!、ドクターOMと麻酔科部長他の方々に、「よろしくお願いします!」、と大きな声で言って、まな板の上になりました。
何やらセンサーを胸とか足に一杯貼られてマスクを口に当てられて、パンツを脱がされたところまでは覚えていますが、、、。

気がついたらICUのベッドの上に寝ていました。

手術は1時間半弱、時間はお昼の12時ちょっと過ぎになっています。痛みは殆どありません。
本当に手術はやったのか、という感じですが、2時間ほどしてから体を動かすとヘソのあたりにかなりの痛みが出てきたので、間違いなく腹に穴を開けたのがわかりました。

手術はヘソに穴を空けでドーンと内視鏡を突っ込んで、その横にも穴をあけてマジックハンド(何という名称か忘れました)2本で胆管を結び、肝臓にへばりついている胆嚢を切り取って穴から引きずり出した、簡単に言えばそういう手術でした。

ICUから自分の病室に移りました。
カミさんがガラス瓶を目の前に持ってきて、

「ほらこの黒いのが胆石よ、これは全部じゃないのよ、まだ胆のうの皮に一杯めり込んでいたわよ」

と教えてくれました。

手術後、板の上にピンでとめた胆のうをドクターが見せてくれたそうです。
娘曰く

「お父さん、あれ気持ち悪かった〜、、、しばらく焼肉食べれない、、、」

痛みはヘソだけで、屁を出そうとしましたが腹に力を入れる事ができません。
看護婦さんが来たので、「こりゃ、トイレで大きいのを出す時が大変だな〜」、と言ったら、「便秘気味の体質ですか〜?ま、我慢してやって下さい」、と相手にもされませんでした。

夜の8時頃看護婦さんを呼んで痛み止めを点滴に混ぜてもらうと殆ど痛みはなくなって、手術当日の夜は割とよく眠る事ができました。。

翌日は朝食も食べることができ、朝早く来てくれたカミさんに言われてあちこち歩行してみました。
痛みは内視鏡を突っ込まれたヘソの部分だけで、ちょっと力を入れるとグッと痛みますが、我慢できない痛みではありません。

回診に来たドクターOMは傷口を一瞥して
「あ、全く問題なしですね、今日退院できますよ、どうします?」
と言ったので退院しようか一瞬迷いましたが、もう1日だけ置いてもらう事にしました。黒い胆石は肝機能障害と関係がある場合があるらしいのですが、これも正常であると言われました。

しかし何もやる事がありません。ラジオを聴いたり、持ってきた本を読んだり、IPADでネットサーフィンをしたり、、、。
夜に大きい方のトイレに行きたくなったので看護婦さんを呼んで2回目の鎮痛剤投入。痛みを散らしたのでかなり腹に力を入れて爆弾投下をする事ができました。

手術後2日目、朝の回診は外科部長、ヘソの傷のガーゼを取り替えて「よく頑張りましたね〜、今日は退院ですね、、もう大丈夫ですよ」、と言って1分で終わりました。
別の外科のドクターは「痛いですか?そうですよね、ナイフで手を切ったら痛いでしょ、あれと同じです。時間が経てば治ります」、と言って部屋を出て行きました。

午前中に退院する事を言ってあったのでドクターOMが退院後の生活について指示をくれました。

・体は既に、「正常」である、重いものを持ったり激しい運動以外は特に制限はない
・風呂に入るのは2〜3日後から、それまではシャワーにすること
・ヘソの傷口が急に赤くなったり、痛みが出たら直ぐに病院に来ること
・1週間後外来に来て診察を受けること


私は肝心の事を最後に聞きました。
私: 「あの〜う、液体燃料の制限はどんな感じですか?」
ドクターOM: 「イヤ、特にありません、夏ですしね〜、、、」

そんな訳で手術後2日目の12時には自宅に帰る事ができました。
今の医療技術というのはすごいですね。腹に4つも穴を空けても2日で退院、痛みはあるものの殆ど普通の生活が送れるのですから。

それと鈴鹿中央病院のドクター、看護婦さん、他のスタッフ一同の患者への接し方は非常に感じよく、教育が行き届いているのがよくわかりました。
こういう病院が車で10分のところにあるというのは大変心強いものです。

でももう入院はしたくないな〜、、、病院にいると病気になりそうです。

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