14−03−12 駆け足の旅(1)

沖縄の離島、昨年は久米島、宮古島に行ってきました。

それぞれ特徴がありましたが、宮古島の鮨屋で板前さんに、「この前に久米島に行って、今回宮古島に来た。残りは石垣かな」、と言ったところ、「それは普通とは逆ですね。石垣、宮古、そして久米島という順番で行くのが一般的ですよ」、と言われました。

一般的とは何か、よくわかりませんが私から言わせれば規模と俗化の順番を言っているのかな?という解釈でした。
つまり沖縄の離島は石垣島→宮古島→久米島の順で観光地化の開発が進んでいる、という事です。
1年前にできた石垣島の新空港、立派です
確かに宮古島に行ったら久米島とは比較にならない規模のリゾート開発がされており、中心街は本土の普通の小さな町と変わりませんでした。

すると石垣島はもっと俗化、観光地開発が進んでいるという事になる、そうであれば私にとっては特に行く必要のない島になってしまいます。

ま、そうは言うもののそんなにみんなが群がる島、やはり実際に見ておかないと、という気になってしまいました。

それに石垣島の横には西表島とか竹富島とか少々気になる島もあります。
今回これらを一網打尽で訪れる格好のグループツアーにカミさんが参加を申し込んでありました。

急に決めたタイ、アジアの9泊10日の旅から帰ったのが7日(金)の夜中、土曜、日曜と自宅で過ごし10日の月曜日の午後には再びセントレア空港のホテルに向かって出発しておりました。

翌日の11日(火)の07:45のフライトで那覇経由で石垣まで、石垣には丁度お昼に到着です。
ツアーのメンバーは全部で39名、殆どが愛知県からの人のようです。

添乗員は那波から乗り込んだ仲川さんという女性、身体が大きいのでどこへ行っても目立ちます。つまりはぐれる事はありません。それに声も大きく、はきはきしており、頼もしい人です。

2泊3日の濃縮バージョン・石垣島とそのご近所訪問ツアーの始まりです。

石垣空港に着いての感想は、「やっぱり大きいじゃん」、でした。売店も大きいし、横にはまともそうなカフェもある。
空港からはバスに乗り込んで港に向かいます。

日本国内旅行のグループツアーに参加するのは7〜8年前の京都1日観光以来だと思うのですがやはりラクチンです。添乗員さんの後をついて行けばバスは待っているし、荷物は運転手さんが運んでくれるし至れりつくせりです。

バスは入り口の横には手書きの座席表が張ってあり、席の取り合いをしなくてもいいように配慮されています。
港まで行って、ここで一旦解散して石垣銀座の付近で各個に昼食を摂ります。
港から数分歩くと石垣島で一番大きな交差点があり、その向こうに商店街があり、路地裏まで夜は居酒屋になるレストランとか土産物屋が並んでいます。

適当な居酒屋レストランに入って昼食。お勘定をして外に出てカミさんがレシートを見たらビール代が入っていなかったので、払わさせて頂きました。腹に収めたものが会計に入っていないって後味が悪いですからね。

今回の旅の忘れ物、それは短パンでした。私はホテルの部屋では短パンをはきます。
サウジアラビアに行ってもイエローストーンに行っても世界中どこへ行ってもホテルでは短パンです。

部屋に着いて服を脱ぎ、短パンをはくとほっと一息、やっとリラックスができるのです。

それを忘れてきました。そこで商店街で土産物を売っていた若い女の子にスポーツ用品店の場所を聞いて短パンを買いました。かっこいいPUMAのサッカーパンツです。

この日は特に観光の予定はなし、元々は夕方遅く着いてホテル直行というプランでしたが早朝のフライトに変わったので、時間がたっぷりと余ってしまったのでした。
でもお陰で石垣銀座をゆっくり見れたし、ホテルに着いてからもゆったりできました。

夕食はホテルからバスに乗って別な場所のレストランで"和琉レストラン"で豚のしゃぶしゃぶを頂きました。
このレストラン、団体さんでごった返していました。
せっかくなので泡盛のロックを頼んだのですが、小さなグラスに氷をどっさり入れて泡盛の実量は恐らくスプーン3杯くらいという代物を出されました。これで700円、団体客相に阿漕な商売をするものです。
翌日は朝8時半集合で、再び石垣港から西表島まで高速船で行きます。
西表島でのハイライトは水牛車に乗って由布島という"島"まで行っての島内見学です。カミさんは今回の旅の目的の一つはこの水牛車に乗ることだったらしく、かなりはしゃいていました。

水牛は3才の"元気君"、人間で言えば9才の子どもで体重はまだ400kg弱です。この元気君が10名を乗せた牛車を引っ張るのですから、すごい力です。
重量は牛車を入れると700kg以上は確実です。

ところで現在の沖縄ではかの有名な"ハブとマングースの決闘ショー"はやられておりません。

私は今から40年くらい前、沖縄がアメリカから返還された直後に初めて沖縄を訪れましたが、その時このショーを見たのが最初で、その後何度も見ていました。

行われなくなった理由は、そうです、"動物愛護団体"の反対に遭ってしまったからです。
私は彼等の”かわいそう基準”はわかるようでよくわかりません。

水牛"元気君"の顔を見ていると少なくとも溌剌とした顔、輝いた目ではなく、悲しそうな表情で牛車を曳いていました。

動物愛護団体から声がかかるのは時間の問題だと思います。
元気君、ガンバレ、苦行から逃れるのは間もなくだ!

でも元気君、この仕事がなくなると君は早々にレストランでお皿の上に乗る事になる。さー、どっちがいい?

とか私は元気君の将来について考えていると、御者のオジサンが突然蛇味線を取り出して唸り始めました。曲は知りませんが沖縄民謡です。

なま暖かい風に吹かれて蛇味線を聞きながら牛車に揺られる、、、。
元気君には申し訳ないけありませんでしたが、なかなかいい気分でした。

久し振りの日本:八重山諸島はこちらです。
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