14−03−05 アジアと日本の過去

タイに行って4泊した5日目、バンコックからシンガポールに向かいました。シンガポールに行くのは初めてです。、

現役でオハイオにいた頃オハイオから車を輸出したのはよかったのですが何せメイドインアメリカの車、その味付けの荒さにシンガポールのインポーター(輸入販売会社)は頭から湯気を立ててカンカン、後始末にエライ目に遭った記憶があります。
ま、この一件が効いたのか、その後オハイオからシンガポールへの輸出はなくなってしまいました。

あとはシンガポールはマーライオンと超近代的な高層ビル群のイメージくらいしかありません。

シンガポールは3泊4日なのでカミさんと私の身の回り品をひとつのスーツケースに入れ残りのひとつをホテルに預けてチェックアウト。
空港まではBTSとエアポートリンクを乗り継いで行きました。
非常に便利、誰でも直ぐに乗れます
BTSというのはバンコック市内を走る高架鉄道で1999年に開通、2013年には空港からエアポートリンクというのができてバヤータイ駅につながって大変便利になりました。

バンコックからシンガポールまでは例の利用客人気が高くて有名な"シンガポールエアーライン"。どこが違うのか期待ワクワクでしたが2時間弱のエコノミーシートでは違いはわかりませんでした。

わかったのはCAの制服はサロンケバヤという伝統衣装でなかなかステキであります。とにかくベッピンさんが多い。
理由は採用基準に明確に"容姿端麗であるべし"というのがあってこれが厳格に守られているという話を、そういう事に詳しい友人から聞いた事があります。

シンガポール空港に着いて入国後にまず行うことはATMでシンガポールドルの引き出しです。バンコックみたいに手数料取られるのかな〜、と思っていたら手数料はなしでした。
ホテルまではタクシーで30分で非常にスムーズな到着でした。

ホテルはオーチャード通りの大統領官邸の横にあるホリデーイン。
ホリデーインというとアメリカではお手頃な大衆旅館ですが、ここでは1泊目がS$300、2泊目以降がS$400という結構なお値段。朝食付き、ラウンジ使用OKとはいうもののさすがシンガポールのホリデーインでした。。

翌日は定番の1日観光です。
集合場所はマンダリン・オーチャードホテルのロビーで、フロントで聞くと歩いて15分かな?という事でしたが、まだオーチャード通りも歩いていないのでタクシーで行きました。後で歩いてみるとあっけないlくらい近くで簡単でした。

メンバーは私達以外に高知県から新婚旅行できた夫婦の合計4人、案内は中国系シンガポーリアンの"マック"さん。シンガポールの住民の75%は中国系だそうですが、みんなこういうイギリス風の名前を持っています。

マックさんは問題のない日本語をしゃべってくれたので観光もスムーズにいきました。
昼食はレストランでローカルフードを頂きましたが、ちょっとお粗末で味はイマイチでした。

このツアーのハイライトは人力車(トライショー)によるチャイナタウン、リトルインディアの約30分による走行。これは最高でした。
人力車を漕ぐのはかなり年配のオジサンです。
人力車は日本の置きみやげです
私達の乗った人力車にはちゃんとオーディオの装置もあってオジサンはさっそく"演歌"のテープをけけてくれましたが、"ノー、ノー、エンカ、ノー"とか言って断り、ラテン風の音楽にしてもらいました。

これをボリューム一杯にして大通りをゆっくりと走るのですから最高!道行く人は聞き慣れているのか誰も特に注目はしてくれず、私とカミさんだけがはしゃいでいました。

当日の夜はシンガポール駐在中のKSさんとホテルで待ち合わせ。

約束の19:00ぴったりにKSさんはホテルに来てくれ、「中華とかだと飲めないのですよね〜、やっぱり飲むには鮨屋ですね〜」、という事で早速日本レストランへ。

場所はタクシーで行ったのでよくわかりませんが本格的な高級鮨屋。
実はシンガポール、日本レストランはもう数え切れないほど、それこそ山ほどあるのです。この鮨屋100%日本から輸入された材料ですからおいしかったですね〜。

KSさんはアトランタに2回目の駐在を経てシンガポールには1年半前に単身赴任されています。勤務先はある超有名工作機械メーカーでアジア全域の責任者として日夜奮戦して見えます。

カミさんがKSさんと会うのは何年ぶりだったでしょうか。カミさんが「ちょっと体格よくなったんじゃないですか」、とか余計な事言ったのでKSさん少々気にされていました。

KSさんからはシンガポールは"明るい北朝鮮"論に始まり、シンガポーリアン気質の話、その他大変興味深くいろいろと聞かせて頂きました。

しかしKSさん、1ヶ月のうちシンガポールにいるのは1週間だけ、それ以外はアジア中を飛び回っており、翌日もマレーシア、その後は日本、その後は、、、というスケジュールでした。
KSさんあと5年、頑張って下さい!!今度は時間があれば日本で一杯お願いします。!
3日目はオーチャード通りを中心にブラブラと散策。
立派なショッピングモールにデパート、レストラン街、驚くばかりです。
シンガポールは国民一人当たりのGDPは日本より多く実に裕福な人が多い国で、国民の6人だか7人に1人は金融資産1億円以上という話も聞きました。
50年前はジャングルでした
シンガポールはGDPの75%が金融・サービスなどの3次産業で、1次産業はゼロ、水・電気・食料などの生活インフラも輸入という典型的都市国家です。

今のシンガポールだけを見ていると、16世紀から450年以上ポルトガル、オランダ、イギリスの植民地になっていて、独立してまだ50年しか経っていない国であるという事が信じられなくなってしまいます。

ところが長い長い植民地の最後の方の3年間だけ、日本の軍政下にあった時期があります。

アジアの欧米植民地は太平洋戦争の緒戦で日本がイギリスやオランダを蹴散らしたのですが、日本は各国の軍政でことごとく失敗しています。

これについて今回バンコックでお会いしたSTさんに聞いてみた事があります。STさんは一言、

結局日本人はこれらの国の当時の人を自分たちと"同じ人"である、として付きあったのが失敗の最大の原因です。植民地の人に対しては手順が必要だったのです」、

つまりこれらの国の人々は何百年間も植民地搾取の下で生きてきており、そこから逃れるという考え方がわからず、同胞として立ち上がろうという日本人の言うことが理解できなかった。

そこで日本人は、「オレの言うことがわからんのか!」、となる。つまりワカラン人達にわからんのか!となって余計な事とか無体な事もしてしまった、というのです。

欧米人は植民地の人間は端から"人間"としてではなく動物と同じで、とにかく働かせて未来永劫に搾取するための施政をするのみであった。
また植民地支配の要は間接支配であり、これをやってきた欧米を理解していなかった。

学校を作る?植民地に学校を作るバカがどこにいますか。欧米の目的は搾取ですよ、知恵が付いたら困るのは誰ですか?
ところが日本は学校も作った。ナゼなら同胞として扱おうとしたからです


という事も言われました。

日本人に植民地支配は無理なんです、支配とは何か、わかる人間はいないのです。
わかっても実行できません、日本人は。

結局日本人の中には欧米人のような支配層というのは存在しないのです
」。

しかし太平洋戦争が終わって再び欧米人の支配下になったこれらの国々はその後ことごとく独立をしました。
自ら多くの血を流して。

でも自らの血を流さないで独立を果たした国が一つだけあります。それは半島にある”幼児みたいな国”です。
これをSTさんは"棚ボタ独立"という言葉を使いました。学校も作ってやって、それも今では自分が作ったような顔をしていますが。
実に言い得た表現であります。

尚、STさんは現在73才、何十年も東南アジアに住み、何カ国語も操れるので直接様々な人と付き合い、アジアの歴史、日本の歴史にも精通している日本人です。

旧植民地とは、今のアジアの国とは、昔の日本とは、今の日本とは、欧米とアジアについて、などを語る資格のある人のひとりだと思っています。

旅行日記はこちらです。
inserted by FC2 system