14−02−25 漁業無線局

三重県の主たる産業は何でしょうか?
三重県の北部にある四日市は昔から大きな化学工場があり、かつては公害問題で全国的に有名になっていました。大きな港もあります。

今から30年以上前の鈴鹿から津にかけては大きな紡績会社がいくつもあり、繊維工業が盛んな地域でした。
更に津には50万トンのドックをもつ造船所があり、今も会社の名前は変わっているものの操業を続けています。

鈴鹿市とその近辺は自動車とその関連する工場が集中しており、また半導体・液晶関連の工場もあります。調べてみると今でも三重県は工業製品出荷額が全国で10番目に大きな県だそうです。へー、知らなかった。

そうか、、、三重県は第二次産業の県なのか、、、。
でも待てよ、これらは全部三重県の北部・中部の話で、中南部は農業・水産業の盛んな県です。

特に水産業は伊勢市・鳥羽市。志摩市を中心に盛んで、伊勢エビ・鮑・鰹は有名です。

その水産業、養殖・近海漁業が中心ですが遠洋漁業の港も南部地方にいくつもあります。

遠洋漁業の殆どは鰹・鮪漁で、かつては三重県の漁船も太平洋・インド洋それに大西洋・西アフリカ沖まで魚を求めて多くの漁船が出ていました。

遠洋漁業の漁船は近年は減少傾向ですが、まだまだ多くの三重県の船が大西洋・インド洋に出ています。

これらの漁船は100トン以上の大きな船で、遠く日本を何ヶ月も離れ操業をしますが母港を管轄する漁業無線局と無線通信で結ばれています。

無線通信を行う漁業無線局は全国に何カ所かあり、三重県にも志摩市浜島町にひとつあります。

こういう無線局にはずっと昔から興味があったのですが、この日は私のアマチュア無線仲間のMさんの紹介で三重県漁業無線局を見学する事ができました。

Mさんは私より7才ほど先輩で、私と同じ会社に勤務されていた方です。Mさんは奉仕精神旺盛な方で311の被災地へ県のボランティアーで何度も行かれています。

その時に同じようにボランティアーに参加していた三重県漁業無線局の職員のKさんと知り合いになり、そのKさんのご厚意で無線局見学ができることになり、Mさんに無理にお願いをして連れて行ってもlらった、というのが私が参加させて頂いた背景です。

志摩市浜島町までは鈴鹿市から車で2時間半弱で着きました。
さて、、、私が浜島に来たのは何年ぶりだろう、、、会社に入った頃に親睦会で一度来て以来かな?そうか〜、30年以上前に一度来たきりです。

港の隅の方にポツンと建っている2階建ての建物が局舎(受信所)で、受信用アンテナの高い鉄塔があるので直ぐにわかりました。

駐車場に車を停めて外に出るとKさんと局長のIさんがわざわざ外まで出迎えに出て来てくれました。

局舎の2階が無線室で中に入ると女性の職員が2〜3名(後で聞くと2名の方は通信士)が勤務してみえます。
早速無線局の中の説明をIさんから受けます。

ここは近海で漁をする漁船と通信をする"三重県超短波統合無線局"、それに遠洋に出ている漁船と通信をする三重県業業無線局の2つの機能があります。

やはり私が一番興味があるのは遠洋漁船との短波通信です。この局舎には5つの通信卓があってそれぞれの通信卓には受信機が2台あります。

受信機、そしてその付属装置は全てJRC(日本無線)製で、1つの通信卓を除き4つの通信卓は短波帯の無線電信用であるという説明を受け、私は少々びっくりしました。

というのは今から10年くらい前に、無線電信で通信をするのは自衛隊・海上保安庁・アマチュア無線だけで、漁業無線、その他の業務用無線通信の世界で無線電信は一切使われなくなったと理解していたからです。

「今からインドネシア沖の漁船と通信をします。Nさんはアマチュア無線をやっているのですよね。ちょっと聞いてみて下さい」

局長のIさんが通信卓に座って通信を始めました。

電信の符号は明らかに手打ち(モールス信号を手で打つキー)による符号で、プロの通信士独特のちょっとせっかちな感じのする符号です。

周波数は12MHZ帯、非常に明瞭で少しキークリックが感じられるきれいな信号です。
私も符号を追いかけてみましたが、気象通報と操業中・異常なし、というような内容でした。

但し受信した符号は簡単なマトリックス表で置き換えないと平文にならないという、低レベルの暗号化がされていました。

通信の後Iさんは現時点で通信の対象となる漁船が、どこにいるのかプロットしてある世界地図の前でいろいろと説明をしてくれました。

漁船の多くはサモア・フィジー・トンガの付近、他に南米沖、インド洋などにもいました。
今から6〜7年前は電波の伝搬が良くなかったため、日々の通信には非常に苦労したと言ってみえました。

局舎の見学を終えて、少し離れたところにある送信所にKさんに連れて行ってもらいました。
業務用の無線局は受信所と送信機が置いてある送信所が別の施設になっているのが普通です。局舎(受信所)から車で10分くらいのところの山の上に送信所はありました。

建物の中には自家発電機が設置してある部屋と送信機6台が置いてある部屋の2つがありました。
送信機の中は見ることができませんでしたが、制御系統が非常に堅牢に作られている印象を受けました。外には3基の鉄塔(高さ30m〜40m)があり、何面ものアンテナが展開されていました。。
送信所の見学の後、襲い昼食をMさんとKさんの3人で町の食堂で頂きました。
何を食べるか?ここに来たら迷わず"てこね鮨"です。

"てこね鮨"とは、酢飯の中に醤油で漬け込んだ鰹のぶつ切りを混ぜたも豪快なもので当地の名物です。
”てこね鮨”は一説によると、漁師が漁の合間に舟の上で作ったファーストフードだそうです。

Kさんは愛知県出身で、30代前半という、恐らく全国を探しても何人もいない若い通信士です。
この浜島の無線局も2015年3月で廃局になり、他県の無線局に統合されるそうです。

「すると職員は失職ですか?」
「いえ、みんな三重県の職員なので他の仕事をする事になると思います」


Kさんは無線通信の仕事をやりたいそうなのですが、通信士の募集は海上保安庁しかないとの事でした。

今の遠洋漁業の漁船の甲板員などは、殆どがインドネシア人とかの外国人で普通船員の技量があるという事で雇っても見張り・操舵などは危なくてやらせられない連中が多い、という日本人船員の話などを聞かせてくれました。

そう言えば数ヶ月前日本漁船などに乗り組む船員のインドネシアの訓練施設の報道番組があり、彼等の訓練内容を観ましたが、「これじゃ5年やってもダメだろうな〜」、という印象を持ったのを思い出しました。

かと言って何ヶ月も日本を離れての海の上の生活に耐える日本の若者は既に皆無に近く、このままでは日本の遠洋漁業も過去の話になってしまうのはほぼ間違いないな〜、という感じがしました。
食事の後再び局舎に戻り、局長のIさんに挨拶をしてそしてKさんにもお礼を言って漁業無線局の見学を終えました。

あと1年でなくなってしまう志摩市浜島町にある三重県漁業無線局、いやなくなるのは無線局だけではなく、日本の遠洋漁業もなくなってしまう、、、。

昔は同じ周波数で何隻もの漁船の電波がうなりを上げて、混信して受信機から聞こえてきました。何時間も連続して通信をしたものです。
今はほら、スピーカーから何も聞こえないでしょ。漁船が減ってしまったのですよ


局長のIさんの言っていた言葉が耳に残りました。
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