13−11−28 島での会話

宮古島には4泊5日の滞在でした。
1ヶ月半前に行った久米島とは比較にならない観光開発された島で、そういう意味では人も少々観光地ズレしている感じは否めませんでした。

とは言ってもそこは南の離島、我が故郷の伊勢とか鳥羽等の土地も人も施設も何もかも観光地ズレしている所と比べると大いに素朴さを感じました。

旅行をする楽しみは普段は目にする事のできないその地方の自然・風景とかその土地の歴史を知るというのが私の主なものですが、それ以外にもうひとつ、知らない人と様々な話をするというのがあります。

今回も限られた中ではありましたが、いろいろな方と話をする機会を持つことができました。

<池間島の土産物屋のオバサン>
私達が島に到着した時間とほぼ同時にロシア人5名(♂X1,♀X4)の観光視察団が2泊3日で訪れていました。
私達は到着した日に早速レンタカーで池間島まで行ってみましたら、この視察団ご一行様も池間島に来ており、丁度池間大橋の袂の土産物屋を覗いておりました。
私も土産物屋に入り、大きな宝貝の彫り物を買いました。。

店のオバサン : 「イヤー、びっくりしました〜。バレリーナみたいな女の人が何人も急に現れて〜。まあ〜スタイルのいいこと!どっから来た人なの?エッ?ロシア?
ここにロシアの人が来るのは初めてだよ。」

「ここに来る外国人?
台湾の人、アメリカ人、それに、ほら沖縄からブラジルに移住した人達と家族、こんなもんかな。これからロシアの人も来るのかな〜。
でもあんなバレリーナみたいな人、初めてみました。びっくりした〜、、、」
  

このオバサン、かなり興奮していました。確かに♀X4は太った人はいなかったな〜、でもバレリーナとは、、、。

<ドイツ村の受付のオバサン>

2日目は天気が悪く雨がポツポツ。そこで自然ではなく、天気が悪くてもいい場所を巡りました。その中の一つが宮古ドイツ村。明治6年(1873年)に宮古島沖でドイツの船が座礁・難破し、これを島民が救った事にちなんでいろいろな施設が作られています。

敷地は広く様々な施設がありますが何と言ってもびっくりするのはドイツのライン川沿いの山頂に残るマルクスブルク城のコピーが建てられており、内部も割と精緻に作られている事でした。

受付のオバサン : 「ようこそ、ゆっくり見て行って下さい。(観光客はこの広い中私達2名だけ)
このお城は実際にライン川沿いにあるお城と全く同じなんですよ。エッ、ドイツに行った事あるのですか。それにライン川も、、、。そうですか。」

「それとここもいいですけれど、もっといいところがあるのですよ。それはね、、、それはね、、、泡盛の工場です。ここからすぐ近くにあります。泡盛飲みますよね! 是非行って下さいね!」

このオバサン、ドイツ村の説明より泡盛の工場見学を熱心に勧めてくれました。。

<泡盛の工場見学の受付のオバサン>

ここはドイツ村から車で10分ほど、泡盛の貯蔵庫とかを見せてくれるところです。

私: 「あの〜、ここに来るといいってドイツ村の受付の人に言われたのですけど、、、」。

オバサン: 「はい、残念ですけど今日は雨が降っていますので、貯蔵庫の見学は控えさせて頂いています。貯蔵庫はここから歩いて5分くらいの山の中腹にあるものですから。」

ここでは泡盛を貯蔵庫に5年間保管・熟成させ、それを5年後に自宅まで送ってくれるという売り物がありました。1升で1万円、3升では3万円ではなく、ナゼか4万5千円。(容器が本格的な瓶だからかな?)
ま、記念だからという事で1升買いました。記念の木札に一言書いて、はい1万円。

オバサン: 「お客さん、縁起いいですよ!丁度2100人目です! じゃ〜、貯蔵庫に行きましょうか! 雨? 大丈夫ですよ、雨なんか!」

来たときの態度がガラッと変わってこのオバサン、貯蔵庫まで案内してくれました。なかなか面白いオバサンでした。
<東平安名灯台近くの土産物屋のオバサン>

東平安名灯台を見に行った帰り、大きな土産物屋・レストランに入ってみました。きれいな大きな土産物屋です。
入り口の駐車場には観光バスが1台停まっており、そのお客がいましたが、私達と入れ替えにみんな出発してしまい誰もいません。

オバサン : 「この泡盛、おいしですよ〜、ちょっと飲んでみやんせ。エッ?車の運転している?なあに、心配いらん。マモル君は昼間は寝ちょるから。ハハハハ、、、、」

という訳で私は小さなカップで泡盛をキューッとひっかけました。
ちなみに”マモル君”とは正式には”宮古まもる君”といい、宮古警察管内の道路のあちこちに設置されている警察官の人形の事です。
私はマモル君の目を真っ直ぐに見れなくなる事をしてしまいました。


オバサン : 「ところでお客さんはどこから来たの? 三重県? 赤福で有名ですよね〜、宮古にもああいうおいしい小豆があればいいのですが、、、」

宮古島まで来て、我が故郷が誇るあの赤福の話を聞くとは思いもよりませんでした。(ワタクシ、ここでこのオバサンに急に親しみを持つ、、、)

オバサン : 「そうそう、昼食は?未だ食べとらん?んじゃ、2階の食堂で食べていきゃんせ」

なかなか商売もうまいオバサンでした。(上記方言については全く不正確。ご容赦)

<板前のオヤジ>

ホテルの鮨屋がいいと聞いていたのですが、ホテルの一部が工事中で鮨屋は閉まっていました。そこで平良の繁華街に行って地元の鮨屋に入ってみました。
板前は私より少し若い人、オカミさんがカウンター横で小さな子供に晩飯を食わせていました。

刺身を作ってもらい、これをつまみながら泡盛を頂き、ちょっと沖縄の基地問題について聞いてみました。

板前のオヤジ: 「いろんな考えの人がいますからね〜。反対派の言うように基地が縮小、なくなってみなさいよ。ここで働いている人の給料はすごくいいんだけど、この人達はどうなるの? この事は誰も言わないですよね、、、」

「沖縄は補助金一杯もらっていますからね。へへへ、、、。これがあるからいい目できるんですよ、へへへ、、、いくらでももらえますからね、政府から、へへへ、、、。
個人にも廻ってくるかって? そりゃ、ね〜、、、いろいろな形でね、へへへ、、、」

やはり沖縄経済は、基地と日本政府からの補助金で成り立っているところのようです。(中国領土になったらそうはいかんよ)

<アイランドテラスの社長さん>

池間島の南西の海岸にリゾートヴィラがあったので車を停めてみました。

「どうぞ敷地の中の方に入って下さい」

声をかけてくれた人はこのリゾートヴィラ、”アイランドテラス”の社長さんでした。全部で5軒の素晴らしいリゾートヴィラ、ハイシーズンだと2名で1泊10万円もします。

社長さん: 「ここはいろいろな人が来ますよ。芸能人も一波行きますよ。名前は出せませんが、ま、こういう人は奥さん以外の人と来ているので。名前を出してもいいのは、津川雅彦さんとかXXXさんとかXXXさんとか。」
(XXXはカミさんに言わせると相当な有名人らしいが、芸能オンチのワタシは全く存ぜず)

「私はサラリーマンをやっていましたが会社が倒産して自分で事業を始めました。出身?京都です。今の若い人?ダメです。死に物狂いで仕事をやろうという気がない。ちょっと怒ると挫けてします。ダメですよ、これからの日本は」


話好きな61才の社長さん、あっという間に1時間もおじゃまをしてしまいました。

<マングローブの森にて>

マングローブの森にも行きました。ここにも誰もいませんでした。駐車場に戻り車に乗ろうとしたら年配の方が近寄ってきました。奥平さんという方で、この島の出身、20年振りの里帰りとの事で孫娘と一緒でした。

「私は考えるところがあって本を書きました。日本の家族は崩壊しています。この崩壊を防ぐには住まいを変えなくてはなりません。住まい方は人づくり、町づくり、国づくりの根っこです、、、、」

駐車場でいろいろと話を伺いました。そして別れ際に娘さんも入れて写真を撮り、奥平さんの著書、”げんきなかぞくのつくりかた(早稲田出版)”という本を頂きました。

奥平さんは80才、あまりにも元気な姿にびっくりしてしまいました。
よお〜し、オレも頑張るぞ〜。
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