13−04−21 イヤな予感

今週はある会議に浜松からS君がやってきました。S君というのは今から17年前まで私が本社にいた頃、オハイオに行く直前まで私の部下だった同じ会社の社員です。
S君は非常に真面目で、細かいところによく気がつき、見た目とは少し違って几帳面な性格でもありました。

S君とは帰国後会うのは2回目で、この日は時間がなく、会議終了後に昼食を一緒に食べてその後喫茶コーナーでコーヒーを飲みながらいろいろと話をしてこの日は別れました。
家に帰って今日S君に会った事をカミさんに言うと、カミさんも懐かしそうにS君の想い出を話してくれました。

私は1996年6月、とりあえず単身赴任でオハイオに転勤になりました。カミさんと2人の娘(高校1年生と3年生)は埼玉県のマンションで生活、上の娘は受験勉強に邁進していました。

その年の12月のある夜、上の娘が急に発熱と嘔吐を伴う腹痛を起こしました。夕食に食べた牡蠣があたったのでした。慌てたカミさんはどうしていいのかわからず、私が何かあったらS君に連絡するようにと残しておいたメモを見てS君に連絡をしました。

S君は2日後に浜松への転勤が決まっており、埼玉県志木市のアパートは最後の日だったそうです。時間は夜中の12時、S君は車で駆けつけてくれ娘とカミさんを連れて病院まで運んでくれました。

診察を受けるまでかなりまたされれましたが、牡蠣による食中毒と言うことで、ややこしい病気ではなかった事がわかりました。
診察が終わったのは明け方でした。
S君はこの間ずっと病院で待っていてくれ、診察の終わった娘とカミさんを再びマンションに送り届けてくれました。

カミさんが言うのは、娘は激しい嘔吐で一時はどうなるかとこの時ほど心細かった事はなかった、でもS君が直ぐに飛んできてくれて病院でもずっといてくれて、そして明け方に自宅まで送り届けてくれた、こんなに心強かった事はなかった、といつも言っていました。

そのS君も今では私がオハイオに転勤になった時より年上の40代後半、浜松の工場であるグループの長として立派に仕事をしています。

今週の月曜日に起きたボストンテロ事件。2日後には犯人2人を特定し、3日後にはそのうちの1人を射殺、4日後には残りの1人を拘束という、信じられないスピードでの対応が報道されています。
ボイルストン・ストリート、この先200mくらいの右側が2発目、更にその先200mくらいが1発目
事件のあった場所はボイルストン・ストリートで1発目の爆弾、2発目の爆弾が爆発した場所はいつも歩く、ボストンらしい通りで、特に2発目の爆弾の場所はよく知っている場所でもあります。
(テレビで報道される度に、あそこでこんな卑劣な事が行われたとは信じがたい気持ちで一杯です)

事件後直ちに警察は市民が撮影したビデオの提供を求め、路上監視カメラのビデオも含めて画像分析を行ない、犯人を割り出したというのですから、その分析力には只驚くしかありません。

そしてそれを公表して市民に通報を求め、その直後に犯人の1人目を射殺しました。
同じような事件が日本であったら日本の警察はこのような素早い動きで犯人を捕まえてくれるか、ちょっと不安になります。

というのは事件直後の数時間でとった政府の対応を”USA TODAY”のインターネット版で読んだのですが、ここまで短時間でよくできるな〜、というのが正直な印象だったからです。

事件直後に警察・救急のみではなく、陸軍・海軍部隊の投入による警察支援、FBIの捜査開始、マラソン参加者・関係者のボストンコモンへの避難、ホテルを含めた人の全ての撤去、周囲15ブロックの(多分4〜500m四方かそれ以上)の無人化、立ち入り禁止、ボストン上空の飛行制限、携帯電話の使用制限などが1時間以内に決定、そして実行に移されたそうです。
2発目が爆発した辺りから通りの反対側(北側)をみた風景
アメリカではこの対応の素早さに国民の間から絶賛の声が揚がっているという事も書いてありました。
危機管理ができているというのはこういう事を言うのであって、日本のようにいちいち人を集めて会議をやらなければ物事が決まらないというのとば次元が違うと思いました。

この事件に対し、日本のテレビのある報道番組で犯人はアメリカ社会に溶け込めなかった移民によるものである。
従ってアメリカ社会自体の問題が表面化しただけの話ではないか? などとまだ何もわかっていないのに、そういうコメントを出す人もいたりして驚きました。

日本もいつテロに襲われるのか安心はできない状況です。
北朝鮮というとんでもない国では核爆弾を積んだロケットが発射台に乗っかっています。311のような巨大地震はいつ起きてもおかしくない、と多くの学者が言っています。毒だらけの中国産の食料がスーパーには山のように積まれています。

国が”庶民の暮らしを守る”、とはこういう事に具体的にどう対処するのか、そしてそれが国民に見える形にする、という事だと思うのですが。
今週は1月から避寒でタイのバンコックに行っていたSTさんが日本に帰ってきました。STさんはバンコックではマンションに住み、時々近隣諸国を旅行したりしています。
Sさんはリタイアして10年くらいが経っていますが、お元気で時々メール、最近ではスカイプで話をする事もあります。

STさんの奥様は中国系のインドネシア人でいろんな言葉を話すし、STさん自身もインドネシア語、タイ語、英語、中国語などを操るので、アジアの国々は一般的な人が思う”外国”という感覚はなく、自由に往き来されています。

私は残念ながら東南アジアに土地勘はありませんが、来年くらいからSTさんに指導してもらって、アジアブラリ旅をしたいな〜、と思っています。

STさんはバンコックでは賃貸のマンションに住んでおり、住むのは1年間で3ヶ月ですが、荷物なども置いてあるので、すっと借りっぱなしだそうです。

さてそのSTさん、今回バンコックのタクシーの中で見つけた面白いものの写真を送ってくれました。

これは”タクシーの中でするべからず”、及び”タクシーの中に持ち込むべからず”の禁止事項のステッカーです。
所変われば品変わる、ですね。

さていくつおわかりでしょうか。(私もSTさんも一番左はわかりません、、、)

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