13−01−24 洲本・徳島へ

今週は月曜日の午後から淡路島の洲本に向けて出発。淡路島は初めてで行き方としては、鈴鹿から名古屋に出て新幹線で新神戸に行き、そこからバスに乗ります。
新神戸と言えば昨年の春に機関従業員の採用で三宮に来たのを思い出しました。あの時は実に世相を表している様々な人が応募に来ていたな、、、。

今回の出張は先週と同じくIS君、先週は神奈川県の伊勢原に彼と行きました。IS君は大阪出身で、神戸付近も土地勘があるらしく、いろいろと案内をしてくれました。

洲本のバスターミナルに着いたのが6時頃、既に暗くなっており雨もシトシトと降っています。
今日の宿泊は”淡路プリンスホテル”

名前を聞くと一瞬、「どんな高級なホテルかしらん」、と思ってしまいますがチョー普通のビジネスホテルで値段は一泊5300円、プラス500円で朝食が付くとのこと。

ここのホテルのカウンターは秋葉原のラジオデパートの部品売り場と同じくらいの幅の1.5mちょっとでオバさんがひとりで切り盛りしていました。

「部屋は禁煙ですよね」
「はあ?ウチは禁煙の部屋はないです。部屋に消臭スプレーがありますので、それをバラまいて下さい、、、」


荷物を置いてカウンターのオバさん、もとい、カウンターレディーにどこかちょっと一杯飲めて食事ができるところはないか聞きます。

「サー、、、この辺は寿司屋とかちょっとした店はありますけんどね〜、、、」、という頼りない返事。
あっちの方に歩いて行けば何かありますから。」、という事で小雨の中をIS君と”あっちの方”に歩いてみました。

ウーン、それらしき店は何軒もあり、ちょっと中を覗いてみるとカウンターには地元の人らしい客が一人座ってかなり出来上がっているとか、店は新しいのですがエライ埃っぽくって店の人の姿も見えず、営業しているのかどうかわからない店とかイマイチです。

ちょっと路地に入るとボーっと”栄すし”という看板が見えたので中を覗くと、何と店のカウンターでオバさんがひとり俯せになって寝ています。

「こりゃ、あかん」、という訳で入り口を閉めて、さて、、、と考えていると”栄すし”の入り口がガラッと開いて寝ていたオバサンが顔を出しています。
どうも私達が安眠を妨害したみたいです。

もう他の店を探すのは面倒だし、出てきたオバさんと目も合った事でもあるし、今夜はこの店に入る事にしました。

店はダンナが亡くなって、オバさんひとりでやっているそうで、1mくらいの小さな寿司ネタケースにちょっとだけ寿司ネタが入っているだけで店の中にはお品書きもありません。

まあたまには昭和40年代の香りのするこういう店もいいんではないかという事で、刺身を作ってもらい、鰯の煮付けと供にビールを飲んで、最後に寿司を握ってもらってお開きにしました。
この間店に来たのは、オバさんの友だちと思えるお婆さんがひとり、それにオジサンがひとり、何かを作ってもらって一杯飲んで帰って行きました。

”淡路プリンスホテル”と”栄すし”、洲本の夜はなかなかユニークでありました。

翌朝はカウンター横の喫茶店で朝食。朝食とはズバリ、名古屋でいうところの”モーニング”です。トーストにゆで卵、それに直径6cmくらいの容器に入ったサラダ、これにはドレッシングは掛かっていませんでした。
コーヒーのお代わりをお願いしたら、350円の追加料金をとられました。

さて仕事の方はタクシーで15分程離れたところにあるPS社の工場での打ち合わせです。この工場、今はPS社の看板ですがちょっと前までSY社の工場で、SY社はPS社に吸収合併されたのでした。

会議に出てきた6名の方々はPS社の名刺を差し出しましたが、打ち合わせがヒートアップしてくると、「我がSY社はですね、、、」、とかSY社の技術は、、、」、とか皆さんまだ心はPS社の社員ではないのがよくわかりました。

会議室に掲げてあった創業者のかの有名な社是について聞いてみると、「はあ、これ毎朝大きな声で唱えるんですわ」、という言い方。皆さん、社是もまだ身に染み込み切っていないような返事でした。わかるような気がしました。

昼食時に合併後の様子についていろいろと伺いましたが、給与体系の違いとか様々な事がまだきちんと整理できていなくて、ひとつの会社として動けるようになるにはまだ少し時間が必要な印象を受けました。

工場は思ったより大きく、T社向けの製品を大量に生産していると言ってみえました。
今回の打ち合わせの対象となったある工程はかなり詳しく見せてもらいましたが、0.1mm以下の精度で行う超精密な溶接の問題ではあるものの、本質の部分は大物溶接と同じであることを実感しました。

昼食のあと組み立てラインの説明を受け、この日のまとめを行い、徳島に向かいました。
訪れたのはやはりPS社の徳島工場、場所は徳島空港の横にあり、ここも想像していたよりも敷地も広い大規模な工場でした。

徳島工場は打ち合わせを行うのが目的ではなく、ここで生産されている洲本工場向けの素材工程の見学のみだったので1時間程度で終了、おいとましました。
徳島から鈴鹿までは直線で200kmしかありませんが新幹線などを使っても4時間ちょっと、自宅に帰ったのは10時前でした。
洲本の淡路プリンスホテルで朝テレビを見ているとローカル放送で、鳴門海峡で隊長1〜1.5mのクロマグロの大群が回遊しており、何匹も釣り上げたというニュースが流れていました。
鳴門海峡では普段はマクロの大群は見ることがなく、珍しい出来事である、という事でした。

私はこれを聞いて三陸海岸の大津波について思い出しました。三陸海岸では過去400年間に大小併せて44回の津波に襲われており、その中の35回が津波の前にマグロとか鰯とかの大漁が記録されているのです。
詳しくは吉村昭の”三陸海岸大津波”という歴史小説に書かれており、特に明治29年と昭和8年の大津波の時について詳しく欠かれています。

普段獲れない魚が獲れる、或いは大漁に獲れる、これは海底で何かが起きており、それによってこれらの魚がある一定方向に移動したために起きる現象であると思われます。

ニュースでは今回の鳴門海峡のマグロの大群は、鰯などのエサを追ってきたマグロがたまたま鳴門海峡まで来てしまった、という開設をしていましたが、過去の三陸沖の例に合致しない事を祈ります。
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