13−01−01 年が明けました

年末は29日から会社もお休みで、私も掃除をしたり窓ガラスをきれいにしたりちょっとだけお手伝いをしました。
29日、30日と冷たい雨が降って悪かった天気も大晦日の朝にはよくなり、予報では三が日はマズマズのお天気になりそうで、一安心です。

年末にする事の一つに年賀状書きがありますが、私は葉書による年賀状は最小限にしています。葉書による年賀状の代わりにインターネット・メールを送ることのできる方にはこれで新年の挨拶を送ることにしているのです。
グリーディングカードサービスはいろいろなところがやってくれており、私はこれを利用します。このサービスは大変便利で、配達時間(メール送信日時)も指定できるしテキストも送れるので、近況を書いたりもできます。

年賀状メールも書き終えて、年越しそばを食べて液体燃料を注入しつつ、朦朧とした意識の中で誰かに背中を押されるような気持ちを味わいながら、2012年から2013年にフワフワと入っていくのであります。

明けて2013年1月1日、我が家は起床ラッパは鳴りませんが6時には私の”つぶらな瞳”はパッと開きます。
すっきりした気持ちで起床、新年最初のコーヒーを煎れて(只のインスタントコーヒーですが)、これをすすります。いつもと違って何だか美味に感じます。

7時前、居間のカーテンを開けます。10階から東方向は何十キロも遮るものがなく、伊勢湾の入り口の更に向こうの太平洋も見えます。
正月の太陽は渥美半島と神島の間の水平線上から出てきます。

残念ながら水平線に雲があるので、太陽が水平線をプチっと音を立てて切って上がってくる、”絵に描いたような日の出”は今年は見れません。
2013年の初日は薄い雲の向こうに真ん丸な太陽が見え、恥ずかしそうにしずしずと上がってきます。

こういう上がり方の太陽の方が正月らしいと思いながら、「ウン、よしよし」、と私は太陽に向かって何故か頷き、そして顔がほころぶのであります。

やがておせち料理がテーブルの上に並びます。
黒豆、たつくり、栗きんとん、数の子、里芋・竹の子・椎茸・レンコン・ニンジン・こんにゃくなどの煮染め、酢蛸、なます、焼いた有頭海老、昆布巻き、伊達巻、紅白のカマボコ、その他。

いつもの田舎おせち料理です。これらはカミさんが作りますが唯一私の技術なしでは作れない品があります。
それは昆布巻きです。

昆布巻きは小さく切った身欠きニシンを昆布で巻き、それをかんぴょうでギュッと締める、おせち料理の中でも関脇クラスの重要な品です。

この巻き作業は私の役割となっており1年に1回、高等な技術を披露します。全部で50個以上、年によって70個くらい作ります。

結婚して三十有余年、私はこのおせち料理を食べなかったのは2回だけです。1回は2004年、この時は休みを利用して私だけが日本に一時帰国をした時。
2回目は2007年、この時はカミさんだけが日本に一時帰国をして、私はオハイオで一人で正月を迎えた時です。

そんな事をちらと考えながら、おせち料理を頂くことにします。正月は1年で唯一、朝から堂々と液体燃料が注入できる日、私は年末に仕入れたアルコール度20%の原酒をお屠蘇の代わりに頂きます。
この原酒、非常に濃厚で日本酒という枠をはみ出たような味がします。

エニウエイ(話を適当に打ち切るときに使う、”とにかく”くらいの意味)、私は液体燃料の影響で少しずつ精神が弛緩、新年をフワフワと感じるのであります。
夕方になり上の娘夫婦がやってきました。茨城県から連れ合いの実家の島根県浜田市まで車で行って年末を過ごし、更にそこから鈴鹿までやってきたのでした。

夜は1年に数えるほどしかない5人が顔を合わせての食事です。食べるのはもちろんおせち料理に雑煮です。
上の娘の連れ合いはカミさんと同じく、液体燃料は殆ど飲みません。娘2人は飲めますが、ここ何年も飲んだのを見たことがありません。
そんな訳で私だけが4人の幸せそうな顔を見ながら、遠慮しながら少しだけ液体燃料を頂くのであります。

さあ、2013年が始まりました。

新年早々のジョーク(その1)

リストラで会社を辞めたために毎日仕事探してる父をねぎらおうと思い、父の日に肩たたき券をあげたら殴られました。 何がいけなかったのでしょうか?

新年早々のジョーク(その2)

「いかがですか、この機械。 仕事の半分はこの機械が片づけてくれますよ」
「それは良い。じゃ、2台もらおうか。」
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