12−09−02 なつかしい顔
金曜日の夜はオハイオ駐在時の2人目の上司であったKZさんが鈴鹿に見えたので、お世話になった人達が集まって一献。
KZさんは若い時にイギリスに5年駐在、その後50才くらいでオハイオに5年、引き続きイギリスに7年という事でオハイオ時代が私以外に1名、イギリス時代2名、そして日本での関係者1名の合計6名。

KZさんとSさん以外の4名は現役で、みんな昔話に花を咲かせました。KZさんは若いときから海外との関係が深く、イギリス、オハイオそれぞれの事業が小さかった時に何人かの現地人スタッフを育て、それらの連中がその後の会社の発展を支えたという立派な業績を残した方でもあります。

今は日々自己研鑽に励んでいます。木工(家具を中心)は自宅の庭に工房を作り、半端ではないレベルに達しつつあります。話を伺うとこれはライフワークである、との事でその熱意が伝わってきました。
それ以外に在日外国人に日本語の指導のボランティア等にも励んでおり、積極性は私も見習わなくてはいけないな〜、と大いに思った次第です。

みんなで昔の思い出話、今の事、そしてこれからの事などをワイワイと話しているとあっという間に時間が経ってしまいました。

そんな訳で金曜日の夜は一次会だけで帰らせて頂こうと思っていたのですが二次会にも付き合い、自宅に帰ったのは12時近くになっていました。(Iさんは中国出張から夕方のフライトで帰ってきたばかりで直行、前日もあまり寝ていなかったとのこと、タフだな〜、、、)
翌日の土曜日は中学校の同窓会の旅行です。オハイオから帰ってきて2年、中学校時代の同級生との付き合いを少しずつ始めてはおりましたが、こういう本格的な会合(旅行)に参加するのは初めてです。

眠い目をこすりながらいつもの時間に起床、同級生であるマンションの管理人のYさんと近鉄・白子駅で7時50分に待ち合わせ。駅に着くとYさんは切符を買って待っていてくれました。
同窓会旅行は長野県にある昼神温泉までの1泊旅行で、私とYさんは津駅前からバスに乗り込みました。

参加したのは全部で30名。
全学年9クラス450名というマンモス校で、消息が掴めているのが全体では50%くらい。これはクラスによって随分違うようです。

バスに乗ってパッと分かったのがKD君。昔の面影そのままで歳を重ねただけです。
KD君とは小学校からの友だちでいろいろと遊び回った仲間です。今は津市内で家業のうどん屋を引き継いでいます。

彼のお父さんは旧海軍の下士官パイロットの生き残りで、片手で出前の丼うどんの入った箱を肩の高さで持ち、バイクに乗ってダーッとダッシュする姿にはド肝を抜かれたものでした。
殆どサーカスに近いと思いました。

困ったのが女性軍、殆どというか全く名前が思い出せません。顔はバッチリ覚えているのですがどうしても名前を思い出せません。ま、久し振りという事でそれぞれ名前を聞いてみました。

同級生の一人が、「そりゃ、お前の興味があった女の子やったら覚えとるはずや。覚えとらんというのは興味がなかったということや。」
ナルホド。

幹事のYM君には、「これからはクラス名も書いた名札を作って付けるようにしたら?みんな思い出せているのかな〜、、、オレだけだったら仕方ないけど。」、と提案をしておきました。

バスは後部に宴会場のついた”サロンバス”というスタイルのバス。私はあっという間にここに押し込まれてしまいました。
顔ぶれを見ると半分は名前が思い出せない連中ばかり、まイイか〜、、、。
という訳で朝から散々飲まされてしまいました。

バスはM交通の観光バスで、YM君は2年前までM交通の○務取締役。
昨年の旅行会の評判が悪かったそうで(私は不参加)、今回はトップクラスのガイドさんと運転手を出せと元部下に指示をしたらしい。

道理でガイドはうまいし、運転手はびっくりするくらい礼儀正しい人でした。
こういう越権行為をみんなが堂々と要求して、言われた方はそれをやってしまうというのも同窓会のいいところ。

恵那では明智鉄道に乗って”極楽駅”までいきましたが、天気がグズついて景色がイマイチでちょっと残念でした。
明智鉄道の後は三大山城で有名な岩村に行きましたが、最初から肝心の城の見学はコースに組み込まれていなくて酒蔵と元祖カステラの何とかに寄っておしまい。

これってカナダのナイアガラに行って、手前で買い物して、そのまま帰るみたいじゃないか、と思いました。
ガイドさん:「お城を見たいという方は、また別途観光バスでおいで下さい。いいところですよ、ゼヒ!!」
バスは予定より少し早めの16:30に昼神温泉郷のホテルに到着。
部屋割りは特に決まっていなかったので、3年3組の同じクラスの4人で一部屋をもらいました。

SS君は会社員を定年退職して今は悠々自適の生活。趣味に旅行に自由にやっているようです。YM君はM交通から今は関連会社の社長という事で、まだ数年は続けるようです。
KT君も東京で会社員でしたが定年で津に帰ってきました。

KT君はやはり特筆すべき友人で趣味の多彩さとその実行力ではやはり群れを抜いた存在です。
中学の頃から音楽が好きだったようで、当時からギターを弾いていたようです。(これは知らなかった。)

その後オカリナをやって、最近はスコットランドのバグパイプをマスターし、何と今度の津祭りであのスカート(キルト)をはいてソロで津市市民の前で演奏をするとの事。

他には料理教室に5年通い、腕は本格的、、、最近は自宅で鶏を40羽以上飼っており、どんどん増えて困りつつあるとのこと。確か木工も少しやったな〜、そうそう家庭菜園もやっている。

それともう一つ、この春からマジックを習い始めて、これを夜の宴会で披露してくれました。

「KT、お前のマジックまだ完成度が低いな〜、、、もっと練習せいよ。アハハハ、、、」、という辛辣な評価が下りましたが、それはそれで同級生しか吐けない言葉。
このマジックも11月には市内で発表会をやるとの事、何とも恐れ入ります。

宴会の前に温泉に入ってみました。ここの湯は”単純硫黄泉”で湯には不思議なヌルヌル感がありました。
宴会は18:30開始。
幹事の挨拶、全員の一言自己紹介、その後はそれぞれ話に花が咲きます。

私は全員を廻ってそれぞれ少しずつ話をしようと思い、ビール瓶を持って隅から回り始めましたが結局2/3の20名くらいで、全員と宴会場での再会の挨拶はできませんでした。
不思議なもので、顔をジーッとみながら話をしていると昔の姿が甦ってきた同級生もいました。

それぞれの人生を歩んで、いろいろな責任を果たして第一線を退きつつあります。
でも完全リタイアという男組はやはりというか、数名レベルだったのには驚きました。

やはり今は60才定年で仕事から身を引く、という人は極く少数派であるというのを実感しました。

そりゃそうだ、みんなびっくりするくらい元気で、とても隠居するようには見えませんからね〜。

女組は男組とは年令に対する人生の節目が少し違い、結婚している女組のダンナは普通、数才年上なのでまあ肩の荷が下りた年頃、という感じがしました。

参加していない同級生の消息を聞いたりすると思いがけない事になっていたり、仲の良かった同級生が亡くなったりしてやはり47年間の月日を感じました。
翌日はロープウエーに乗って標高1400mの高原に行ったり、リンゴ園でリンゴ狩りをやったり、いやという度あちこちの土産物屋に寄ったりしながら夕方の5時前には津駅に到着、私と他に数名の同級生はここでバスを降りました。

中学校の同窓会、殆どの級友とは47年ぶりの再会でした。秀才も悪ガキもみんないい顔になっていました。また近々に会おうと約束をした同級生もいました。
旅行会は毎年行われるようなので、なるべく出席をしたいと思いました。

この付き合いだけはずっと続くのだろうな、、、、。

(かなり気に入ったジョーク)

伊豆諸島の八丈島で有望な石油鉱脈が発見された。
翌日、中國で八丈島が中国領であることを示す唐代の地図が発見された


(少しだけ気に入ったジョーク)

神様が天地創造した時のことです。
神様: 「日本と云う国を作ろう、世界一すばらしい気候と風景、食べ物を与え、そこに世界一勤勉で礼儀正しい人々を住まわせよう」
側近: 「神様、それでは日本と云う国があまりに恵まれすぎています」
神様: 「安心しろ、隣に韓国と中國という国を用意しておく」
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