11−10−09 50年振りの祭り
あの暑かった夏もどこかに行ってしまい、爽やかな日が続いています。日本に帰ってあっという間に1年3ヶ月、2回目の秋です。
秋は「読書の秋」、「運動の秋」、「食欲の秋」、「行楽の秋」、「勉学の秋」、とかいろいろな事が言われていますが私は食欲の秋だけは身をもって実感、かつ実践しています。

私が通っている近所のクリニックのドクターNは、「SHINさん、体重が減っていませんね〜。運動していますか?週1回のジョギング?それで減量したら、別な原因があるという事になります、アハハハ、、、」、と言われています。

10月8日、9日は鈴鹿はではF1レースがあり、全国から何万人もの人が来ます。鈴鹿サーキットは私の住まいから車で10〜12分くらいで通路側のベランダからは遊園地の観覧車などが間近に見えます。この日は鈴鹿サーキットに通じる道路は走らないようにしなければなりません。

大交通渋滞が発生しているからです。
ここでは年間を通じていろいろなレースが行われているので、そのうち2輪のレースでも見に行こうと思います。
ところでローカルテレビではナゼか理由はよくわかりません鈴鹿サーキットのF1レースの話題は殆ど取り上げません。どうしてでしょうか。

さて10月8日、9日はそのローカルテレビによると津で大きな祭りがあると放送をしていましたのでこれに行ってみる事にしました。
津は私が育ったところであり、津祭りというのは秋祭りの一つで子どもの頃に行ったきりで、もう50年近く行った事がありません。天気もいいし、ぶらりと出かけてみました。
白子駅から津まで

朝10時前の白子駅はいつもと違って、F1を見に来た人の降車でごったがえしています。
以前と違って日本では、モータースポーツは以前ほど人気がなくなっています。
特に2輪に興味を示す若者は非常に少なくなっています。

2輪に乗っているのはオジサンばっかりと言っても過言ではありません。
若者よ、自宅でパソコンなんかやってないで、バイクに乗ろう!!
三重会館前

白子から津まで15分、そこからバスで10分で中心街に着きます。

大通りでは既に中学生によるブラスバンドの行進が始まっています。
よく見ると演奏しているのは女子が80%くらいの感じです。
???男の子はどこへ行った?

みんな演奏は上手なのですが、背中を丸めて足を曲げて歩くので、非常に見栄えが悪い。
誰もこういう行進の基本を教えないようです。
山車

和船山車「安濃津丸」というそうです。全然知りませんでした。
通りは身動きも出来ないほどの黒山の人だかり。

子どもは泣きわめくは、オッサンは怒鳴るは、オバはんは悲鳴を上げるは、大変な騒ぎです。

この日は「安濃津丸」一日船長ということで、今NHKでやっている戦国時代ホームドラマ主人公の、何とかいう芸人が乗っていました。
再販所前の通りの様子

山車が通ったあと、やっと道路に出ることができました。
よくもこれだけの人間が、狭い歩道に押し込めれ荒れていたものです。

ここではテントを張って津の民芸品とかを売っていましたが、津は大した民芸品がないところなので、貧弱そのもの。
市役所の職員が”津の水”を無料で飲ませていましたので一口もらいました。
フリーマーケット

お城公園の中ではフリーマーケットをやっています。
フリーマーケットと言っても半分以上は業者のようで、普通の人がやっているのは少数のようです。

衣類が圧倒的に多く、アメリカのように誰が買うんだろう?と首をかしげるような超ガラクタは置いてありません。
今は日本のお祭りでも、この青空市場は定番のようです。
八幡獅子

津民芸保存会による八幡獅子で、400年近くの歴史があるそうです。
八幡獅子というのは聞いたことはありましたが、見たのは60才になって初めてです。

大通りの商店を一軒ずつ回って踊っていましたが、YOSAKOIダンスの騒音に笛の音もかき消されて、引きの手の人達も苦り切っていました。
さあ、昼食です

お昼時になりました。あちこちの小さなレストランがあるのですが、いずれもイマイチ。
丁度目の前に松菱デパートがあったので、ここのレストランに入ってみました。

天丼とうどんのセットを注文。
何の変哲もないメニューですが、いつもと少し違います。そうです、液体燃料も頼みました。

昼間に液体燃料を注入するのは正月と旅行中だけなのですが、これにもう一つ”お祭り”という例外が加わりました。(今後、例外は増えるかも、、、。)
よさこいダンス

いつの頃からなのでしょうか。日本ではこのYOSAKOIという奇妙なダンスがあちこちで流行っているようです。
電車などに乗ると独特の格好をした集団に遭遇することがあります。

格好を観察すると沖縄風・中国風が大半です。
踊りは私の見たところラップダンスです。その騒々しさには呆れます。
 
さて、何でしょう

これぞ正統・津祭り行事の高虎太鼓か?と思ったら着ているものが違う。
でも津と言えば高虎太鼓しかないし、これを見てしばし混乱。

この羽織と履いているものはどう見ても日本のものではない。やはり沖縄か中国風の出で立ちです。
ウーン、やっはり太鼓叩きはハッピを着なくっちゃ。

でもこれが高虎太鼓なのでしょうか、未だに?です。
唐人踊り

津祭りの有名な出し物のひとつです。

江戸時代、朝鮮国王が幕府に派遣した外交使節団「朝鮮通信使」。
その行列を真似たとされます。

この日は実際の踊りは見ませんでした。あまりの人手に会場付近に行くのが億劫になってしまったからです。
でも唐人の格好をした踊り手を間近に見ましたので、よしとしました。
大門アーケード

基本的にここは50年前と変わっていません。
変わっているのはシャッターを閉めた商店が増えたことでしょうか。

でもこの日の賑わいは真っ直ぐに歩けないくらいの混雑です。
50年前の遙か彼方にある記憶を呼び戻しても、こんな混雑は思い出せません。
両側にはいろいろな屋台が出ています。。
金魚すくい

これぞ正統派、祭りの風物詩です。今は一回いくらくらいなのかな〜。
私が子どもの頃は、一回十円か20円くらいだったと思います

何人もの小学校低学年くらいの女の子が金魚を見つめています。
この子達が大きくなって、お母さんになって子どもを生んで、津祭りに来たとしたら、やはり同じように金魚売りがいるのでしょうか。
お好み焼き

観音さんの前の出店に長い行列ができているので覗いてみると、お好み焼き屋さんです。
一目で行列の理由がわかりました。

このお好み焼き、普通の二倍くらいある大きさです。
幾らで売っているのか、買っていく客を見ていると500円です。
大食の私でも、1個は食べれない大きさでした。
観音さん

ここは子どもの頃よく来たところで、この風景は変わっていません。
普段は人通りもなく、ひっそりとしているところです。

1300年の歴史があるそうで、我々は「津の観音さん」、と呼んでいます。
ここにつながる大門アーケード街付近はかつては津で一番賑やかだったところですが、今はもうその面影はありません。
何だか寂しい気がします。
津駅前

ここでもYOSAKOIダンスをやっていました。
これを市民がどのように見ているか、周りの見物人を観察してみました。

年配の人の目には明らかに、「こりゃ、なんじゃい?」、という戸惑いの表情が見られました。

スピーカーからガンガン訳のわからない音楽を鳴らして、ドクロの絵の書いた旗振って、ラップダンスやっているのですから無理もありません。

私が子どもの頃の津祭りは平日もあって、その日は学校も午前中で終わったような記憶があります。
時代としては、昭和30年代後半から昭和40年頃で、その頃の記憶と照らし合わせると、祭りの形態が随分違うような気がします。
こんなに騒々しくなかった、人出もこんなにケンカをしなくては鳴らないほど多くはなかった、大門のアーケードは親が子どもの手を引いて、ゆったりと歩けたような記憶があります。

裁判所前の通りで山車を見ようと、教会の塀の横に立っていたら、2〜3才の子どもを1.5mもある塀の上に乗せて、お母さんは列の最前線にカメラを持って陣取ってしまいました。
これを見た警備の係の女の子(多分、大学生のアルバイト)が女の子を塀から下ろして、お母さんをさがしました。

「私はここから、出られへんのや〜!、あんたその子見といてや〜!!」

警備の女の子の、「この子のお母さんは誰ですか〜!危ないですからちゃんと保護して下さ〜い!」、という叫び声に対するお母さんの返事はこれでした。

この子、塀から転げ落ちたら間違いなく、人混みに押しつぶされて踏みつけられてどうなるかわからない状況でした。
警備の女の子、子どもを塀から下ろして抱いてお母さんが戻ってくるのを待っていました。

やがてお母さんは写真を撮り終わったのか、人をかき分けて戻ってきまてその子を受け取り、例も言わないで立ち去って行きました。

警備の女の子は怒ったような、泣きそうな、何か複雑な顔をしてその場を離れて行きました。
私は一部始終を目の当たりに見て、こんな親が世の中にはいるのだと腹が立つというレベルを超えた何か怒りを覚えました。
母親が戻ってくるまで子どもを抱いて待っていたアルバイトの警備員の女の子、この子は何を感じたでしょうか。

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