11−06−02 時の流れ
1ヶ月くらい前から始めたアマチュア無線、アンテナを変えたりあちこちの調整をやった結果、予想していたよりもうまく電波は飛んでいくようです。
遠距離通信に適した比較的高い周波数のアンテナを上げたところ、北海道から九州までいとも簡単に電波は飛び、快適におしゃべりができるようになりました。

このアンテナでは外国までは電波は飛ばないだろうと決め付けておりましたが、先日マレーシアからの電波が結構強く聞こえたので、呼んでみました。
な、な、なんと一発で応答がありました。これにはびっくりでした。相手は Mervyn という大学生で、学校の無線クラブから電波を出しているとのことでした。

その数日後、寝る前に受信機のダイアルを回していたら南アフリカからの電波が聞こえていたので、試しに呼んでみました。
これも一発で応答がありました。
オペレーターは南アフリカに来て仕事をしているポーランド人でした。

オハイオから帰ってからは英語を話すことは殆どなく、最後に英語を話したのは昨年の11月くらいだったでしょうか。

無線電話でしゃべるのは双方向で同時通話をするわけではなく、こちらが話しているときは相手は私の電波を受信して内容を聞きます。

、相手が送信を開始したらその逆をやるという方法なので、普通の会話とはちょっと違いますが、英語で話すには変わりはありません。

それぞれ長話はしませんでしたが、オモチャのような長さ1.2mのアンテナから電波を出してる、と言うと非常に興味を示していろいろと質問をしてきました。
これからどんどん電波の伝播がよくなる季節ですから、あちこちの外国のアマチュア無線家達とおしゃべりができそうです。これってひょっとしたら、私の英会話力(大した事はありませんけど)の維持に役立つかも知れません。

今週も栃木に出張に行ってきました。今回は自宅を朝出発して、午後からの会議です。近鉄を降りて名古屋駅の新幹線ホームに行くといつもと少し違う雰囲気です。
ホームには中学生が一杯!修学旅行の団体のようです。

私立なのか公立なのかわかりませんが、ワイワイとみんな実に楽しそうです。先生らしき人がクラスごとに2人くらいいます。割とお行儀のいい中学生達で、極端にヘンなのはいないようです。中学生達はたまたま私の乗る列車と同じ列車に乗り込んでいきました。

1時間40分後に東京駅に着きました。ホームに出た私の目に入ったのはバスガイドさんの一団、降りてくる中学生達を待ち構えていました。
ガイドさんたちは20才〜25才くらいのいずれもべっぴんさんばかりです。

どうするのか見ていると、引率の先生が番号を書いた旗を振るとそれぞれのガイドさんはそっちに向かって走っていき、自分のバスに乗せる中学生達のクラスと”ご対面”、というような事をやっていました。

これらの中学生とバスガイドさんを見ていると、遙か何十年前の自分が修学旅行に行った時の事を思い出しました。
当時は名古屋まで近鉄特急、そこで東海道線に乗り換えました。行き先は箱根で、東京には2日目に入るのでした。

今は8時40分ののぞみに乗ったら、10時30分前には東京駅に着きます。あっという間です。ガタゴトと走る電車の中でみんなでワイワイとトランプやったり、お菓子を食べたり、お弁当を食べたりするには短すぎる時間です。

私は中学生の時の修学旅行で使ったガリ版刷りのガイドブックを今でも持っています。これは当時の先生が作ったもので、時間割、部屋割り、注意事項、その他持ち物まで旅行に必要な事は何でも書いてあり、これ一冊で修学旅行の全てがわかるというものです。
これを見ると当時の様子が蘇ってきます。

娘に話を聞くと今の修学旅行は名所旧跡を廻るのは非常に限られており、小グループで自分達の行きたいところを決めて自分達で廻ると言う形式になっているそうで、修学旅行から「修学」の字が消えて、殆ど”学生慰安旅行”に近い感じになっているみたいです。
旅館で(今はホテルかな?)夜になっても寝ないでワイワイ騒いでいる生徒達を寝かしつけるために、先生達が見回るのは昔も今も変わらないようです。

それと思い出すのはバスガイドさん達です。田舎の中学生にとってバスガイドさんはうんと大人で、そしてスゴイ美人に見え、「こんなきれいな人が東京にはいるんだ〜、、、」、と憧れたものでした。
この日東京駅で見たガイドさん達も、若くてきれいな目をしたお嬢さんばかりでした。

栃木に出張の直前にMTさんという昔からの知り合いからメールが入ってきました。メールにはあと10日で定年になり会社を去る、と書かれていました。そうか〜、MTさんも定年か〜、、、。

MTさんと始めて会ったのは、私が今の会社に入社して4年ちょっとを過ぎた頃で、出張先のカナダ・トロントでした。出張の目的は、あるプロジェクトのトライアルを行うことでした。MTさんは別の仕事でトロントに来ていたのでした。

私はトロントへの出張は初めてであり、先に来ていたMTさんにいろいろとお世話になりました。休日はナイアガラの滝とか、あちこちの観光名所にも案内してもらいました。
その後私は本社に転勤になり、MTさんとは職場も近かったので時々話をしたりしていました。

1996年6月に私のオハイオ駐在が決まった時、何とKTさんも5月赴任でオハイオに行くことになっていたのでした。
KTさんとは部門は全く違うのですがこれには驚きました。

私がオハイオに赴任をして3週間後にサマーシャットダウン(夏休み)になりました。この休みを利用して私とMTさんはワシントンDCへ旅行をする事にしました。
ワシントンDCにはオハイオ・コロンバスからは車で7時間程度で行ける所で、手ごろな旅行先でした。この旅行は2人にとって思い出に残るものでした。

冬になりました。既に家族が来ていたMTさんは、単身生活をしている私を自宅に招いてくれました。
MTさんには私がオハイオに連れてこようと思っていた下の娘と同じ年令のお嬢さんがいました。当時の私の最大の関心事項は、下の娘をオハイオに連れて来た時の学校の事でした。

KTさん曰く、「住む家を選ぶ時はどの学校区になるのか、これが重要。コロンバス北部には非常にいい学校が多いが、その中でも高校はWKHSがお勧め。」
結局は私はMTさんのアドバイスに従ってWKHSの学校区内の家を購入し、1997年に来た娘をそこに通わせたのでした。

MTさんはその他の生活に関するアドバイスをたくさんくれ、本当に助かりました。

MTさんは1999年春に3年のオハイオ駐在を終え、日本に帰国されました。
少々短い期間ではありましたが、家族4人(奥さん、娘さん、息子さん)で充実されたオハイオ生活を送られました。
日本に帰られたMTさんとは、その後も何度か食事をしたりしていましたが、ここ数年はちょっと顔を見ることなく過ぎておりました。

MTさんからのメールで、間もなく退職をされる事を知り、とにかく今回会っておかなくては今度はいつになるかわからない、と思いこの出張を利用してご苦労さん会をやろうという事になったのでした。
MTさんとは私の定宿ホテルのロビーで待ち合わせをして、MTさんが予約してくれてあった寿司屋に行きました。

最近は定年退職後も40〜50%くらいの人が再雇用を希望するのですが、MTさんは再雇用を希望せず、ナゼ希望しないのか、この理由を説明してくれました。

私もMTさんも30才台前半から海外にあちこち出かけており、この辺の思い出話は着きませんでしたが、MTさんもやはり一番大きなものは家族とともに過ごしたオハイオであったようでした。

私はMTさんに心からお礼を言いました。
MTさんの、特に子供の教育に関するアドバイスがなかったら、私の下の娘はWKHSには行かなかったと思います。(それまでは全く別な学校を考えていた)
MTさんも娘さん、息子さんはそれぞれ自分の生きる道を確保され、立派にやられているとの事でした。

入社直後から海外に関係する仕事を始め、その後オハイオに駐在して14年後に昨年帰国、これらの中でMTさんとは様々な形で付き合いをしてきたことが不思議に思えてなりませんでした。
あまりお酒を飲まないMTさん、この夜は結構飲まれておりました。

オハイオ仲間がまた1名会社を去っていきました。。

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