11−05−01 紀伊半島ブラリ旅
日本には5月に連休があります。私もこれを15年ぶり(最後にとったのが1996年5月)に味わうことになりました。
会社の連中にどうやって過ごすのか聞いてみると、旅行などをする人が半分弱で残りの人達は家でのんびりと過ごすという感じでした。

連休は4月29日から5月5日の7日間、私もどこかに行きたいな〜と思っていたものの、具体的な計画をすることなく、あと3日で連休開始という日を迎えてしまいました。

その1週間くらい前にカミさんから、「連休は山梨の妹のところに行きたい。」、と言われていたので、このままでは連休は自宅でひとりぼっちになってしまいます。
やはりせっかくの7連休、ちょっとどこかに行ってみたいものです。

という事で頭に閃いたのが紀伊半島。紀伊半島と言えば本土最南端の潮岬、遠洋漁業の勝浦、捕鯨の太地。
なかなかよさそうです。
という事でさっそくトラベルでホテルをチェック。
残念!めぼしいホテルは満室で、空いていても1人1泊4万円とかの高い部屋しか残っていません。さすがゴールデンウイークです。

そこでホテルは諦め民宿にします。これも1軒目の民宿は満室で、その民宿で紹介してもらった、その名も”かつうら荘”という老舗民宿。
電話をして料金を聞くと、1泊2食付きで8000円と超お値打ち。
お金を払うので、刺身をうんと豪華にして下さいと頼んだら、「わかってますう〜。お金はいりまへ〜ん、、。」と、かなり年配の女将さんらしき人の返事がありました。大丈夫かな〜、、、。

一人で民宿に泊まって、刺身をつつくのもちょっと寂しいものがあるので、下の娘に電話をすると一緒に行ってくれるとの事。
という訳で、娘と2人で1泊2日の紀州の旅に行ってきました。
南紀1号勝浦行き

正式には”JR特急ワイドビュー南紀1号”という長ったらしい名前です。
紀勢本線というのは本数が少なく普通・特急併せて1時間に1本くらいしか走っていません。

特急は1号が09:01、3号が10:59、5号が13:58という具合です。

行き先は串本、ここで潮岬に行ってそして勝浦まで戻って民宿に泊まる、という計画です。
津から新宮まで

社内は60%くらいの乗車率です。
私も娘も朝飯を食べていないので、列車がホームを離れると同時に、コンビニで買ったお弁当を開きます。

お天気は晴れてはいませんが、マズマズの感じです。
こうやって在来線の特急に乗って、外の風景を眺めながらお弁当を食べる、なかなかいいものです。
新宮から串本まで

新宮で特急を降りて普通列車に乗り換えます。結局津から串本までは3時間30分程で到着しました。

ゴールデンウイークの真っ直中でも紀勢本線の普通列車はガラガラです。
観光客らしき人は数組程度しかいません。
あとは地元ひとばかりです。

カタコト揺られて、地元の人の会話を聞きながらなかなかいい感じです。
串本駅

12時30分に串本に到着。何人かの人が降りましたが、とにかく駅はガランとしています。

駅の横にある観光案内所に行って、観光のポイントとかバスの時刻表をもらってスケジュールを組んでみましたが、バスは本数が少なく利用は無理。

今回は海中公園は諦めて潮岬方面1本に絞ることにし、タクシーで行く事にしました。

ブラリ旅ですから計画なんか殆どしていません。
潮岬(1)

潮岬まではタクシーで15分くらいで到着。草地が広々と広がっており、気持ちがいい。

タクシーの運転手さんの話によると、今年は観光客が例年の3分の1から半分くらいとのこと。

確かに人はいるにはいrますが、どこへ行ってもパラパラという感じで、私はこれくらいの方がゆったりできて好きです。
潮岬(2)

ここは本州最南端で、沖を見ると大小の船がひっきりなしに往き来しています。
私は今、毎日伊勢湾を眺めて暮らしていますが、目の前に広がっているのは海は海でも太平洋です。

首を左から右にゆっくりと動かして水平線を見ると、地球の丸みを感じるほどです。

広大な芝生地の一部はキャンプ場になっており、数十張りのテントが見えます。
中年ライダーの姿も結構目に入ります。
皆さん元気です。
潮岬(3)

潮岬灯台は1870年に仮点灯、その3年後に本点灯で業務を開始したそうです。
そして今の白い石造灯台になったのは、1978年だそうですから130年も前なんですね。

蒼い海と青い空、そして海の仲から突き出している焦げ茶色の岩と、それを覆う緑の草木。
その中にすくっと立つ白い灯台という構図は、本当に絵になります。

芝生に寝転がって2〜3時間くらいいたいのですが、この日は余裕なしでした。
潮岬(4)

200円を払うと灯台の上に上る事ができます。
ここから見る景色は格別です。
海を見ながら、遠くを走る船を見ながら、いろいろと空想にふける、いいじゃないですか。

娘はこういう高いところは嫌いらしく、上がったと思ったら直ぐに下りて行きました。
お前はロマンがないな〜、、、。

灯台の横には小さな資料館があって巨大なレンズとかも置いてありました。
 
潮岬(5)

灯台から西北西の方を見たところです。空は曇っていましたが視界は割とよく、水平線も見ることができました。

次は樫野崎灯台に行くので、バスに乗って一旦串本の駅前まで戻らなくてはなりません。
バスは多いときでも1時間に1本ですから、乗り遅れると大変です。

駅前でレンタカーを借りておけばよかったかな。
樫野崎(1)

バスで串本に戻って再度タクシーに乗って、樫野崎まで。樫野崎は大島の東端にあります。
昔は民謡で歌われているように連絡船で往き来をしていたところで、12年前に橋ができて本土と繋がって便利になりました。

”ここは串本〜♪ 向かいは大島〜♪ 仲をとりもつ巡航船んん〜♪♪”、ナゼか私は串本節を全部歌えるのであります。

娘に披露したら、「???」、みたいな顔をしていました。
「お前、知らないの?」
樫野崎(2)

ここはトルコ軍艦のエルトゥールル号が遭難をしたところでも有名です。遭難は1990年に起きて、トルコ海軍の将兵600人近くが溺死、69名が救助されました。

この時、大島村の村民が献身的な救助と生存者の介抱を行ったという事で、今でもトルコはこの事を忘れず、5年に1回の慰霊祭をやっています。

灯台の手前に大きくて立派な慰霊碑があり、周りはよく整備されています。
樫野崎(2)

このトルコの軍艦の日本への派遣はある皇族のイスタンブール訪問の答礼という意味があったので、両国で非常に大きなニュースになり、大島村の住民の行為が大々的に知られる事になったのでした。

当時の村民は非常に貧しかったが、それでも貴重な食料や薪を全て、それに着物等もみんなが出し合って助かった乗組員の介抱をした、とタクシーの運転手さんも熱っぽく説明をしてくれました。

昨年は120周年という事で、かなり大々的に記念行事をやったそうです。
樫野崎(3)

この灯台も潮岬灯台とほぼ同時に立てられています。灯台には自由に上ることができます。(お代はいりません、無料!)

灯台からの眺めは左手は紀伊半島がずっと見え、右手から後方のかけては潮岬と同じようにドーンと太平洋が見える、実に素晴らしいものです。

それにしても潮岬と言い、樫野崎と言い、灯台の周りは本当によく手入れされています。
樫野崎(4)

タクシーの運転手さんに勧められて”きんかんソフトクリーム”を食べてみました。

”きんかんソフトクリーム”はここしかないし、雑誌でも紹介された有名なものです、是非食っていくべし、と小さな文字で書かれていました。
(横にはこぶ平の写真まで貼ってありました。)

腰が抜けるくらいウマイ、というものではありません。
海金剛(1)

タクシーの運転手さん曰く、樫野崎まで来て海金剛を見ないで帰るのは、東京に行って東京タワーに上らないのと同じ、料金はほんのちょっとしか違わないから、行きましょう! という事で回ってみました。

たしかに迫力満点の眺めです。鋭く尖った岩と、そこに砕け散る波は見事です。

名前の由来は朝鮮半島の金剛山からきているそうです。
海金剛(2)

この日は太陽が出ていなくて、天気がイマイチだったのですが、天気のいい日に来て、写真を撮ってみたいものです。

結構有名な場所らしいのですが、ここで会った他の観光客は私達以外に2組だけでした。

狭いところですから、たくさんの人が押し寄せたら景色をゆっくり見ることもできなくなるので、ラッキーだったかも知れません。
橋杭岩(1)

運転手さんに4時14分の電車で勝浦に向かう予定であることを言うと、
「了解、じゃ時間ありますから橋杭岩を見に行きましょう!あれは電車からも見えますが、実際に近くで見るのとは大違いですから。」

という訳でタクシーぶっ飛ばして串本駅の北にある橋杭岩までつれて行ってもらいました。

「時間?大丈夫ですよ、橋杭岩の横には紀伊姫という駅があるから、そこから乗ればいいですよ。」
橋杭岩(2)

「運転手さん、私達は荷物を串本駅のコインロッカーに入れてあるので、串本駅に戻らなくてはなりません。」
「エーッ!!でも大丈夫です、大丈夫。」

という事で串本駅にすっ飛んで帰りました。
16時14分の普通に乗るつもりでしたが、16時8分の特急に乗れました。
乗った瞬間に発車しましたけど。

かなり年配の、親切な運転手さんでした。
民宿”かつうら荘”(1)

電車の中から民宿に電話をかけて、到着時間を知らせておきました。

民宿”かつうら荘”は勝浦の駅から歩いて5分弱。
これぞ民宿、って感じでしたが、トイレ・洗面所は各部屋についていました。

食事は6時から。まず私が先に風呂に入ることにしました。大きな深い風呂で本当に気持ちよく旅の垢を落とすことができました。

娘は30分近く入っていました。お前、長いなー、、。
民宿”かつうら荘”(2)

食事は台所横の食堂で頂きました。客は私達以外にもう1組(5人家族)だけ。
ドーン、出てきました!刺盛りが!

サザエに赤貝までついています。オバサンの「まかしとけ〜」、は嘘ではありませんでした。
ここの民宿は弁当屋もやっており、そういう意味では料理は手馴れている感じでした。

刺盛りの立派さに興奮してしまい、写真を撮るのを忘れてしまいました。気がついた時はほとんど食べ終わっていました。
民宿”かつうら荘”(3)

昨夜は私は9時にはバタンキュー、娘は11時頃までテレビを見ていたようです。
爽やかな目覚め、そして朝食は7時20分頃から頂きました。アサリの味噌汁がおいしかった!!

お勘定を済ませます。液体燃料込みで2人で2万円でおつりがきました。

「ところであんたら、那智の滝はいついくんかいな?」、若女将に質問されます。
「イエ、今日は行く予定はしていません。」
「何?勝浦に来て、那智の滝を見んとは、そりゃ問題じゃ。」
那智の滝(1)

「よっしゃ、わてが車で案内したる。」

という事で、私と娘は民宿の若女将の運転する車で那智の滝まで連れて行ってもらいました。

女将曰く、今日は親戚の建前で弁当を作る予定だったが、日を間違えて今日ではなく、建前は明日だったとの事。
で、暇じゃから連れて行ってやる、という事でした。
何と親切な女将、、、。

写真は滝の入り口の付近のかつて南方熊楠が3年間逗留したという旅館。
那智の滝(2)

若女将、年齢は50〜55才くらいだと思うのですが、かなり運動神経の良さそうな身のこなし。
話を聞くと、ゴルフ暦30年以上のシングルプレーヤー。ヒェー、、、
ゴルフは私はやれと言われればやらない訳ではありませんが、娘の方が遙かに上。
で、2人はゴルフの話で盛り上がっていました。

民宿と弁当屋は母親(80才)と母親の妹、それに若女将の3人でやっているとのこと。
しゃきしゃきした若女将でした。

昔から紀州の女は働き者、と言われています。
紀州の男は元々働くのが苦手なくせに、博打だけは大好き。
それでいつも女房の尻にしかれている、という土地柄です。

那智の滝はやはり見事でした。
昨夜雨が少し降ったので水量も十分、時間も8時ちょっと過ぎだったので、観光客も少なく絶好でした。
那智の滝(3)

熊野地方は2004年にユネスコの世界遺産に登録され、滝もその中に含まれています。
最近は熊野古道を歩くのが流行っており、かなりブームになっているようです。

今回は民宿の女将の好意で車でここまで連れてきてもらい、そしていろいろと説明を受けることが出来き本当に感謝、感謝でした。
勝浦港

女将の運転で那智の滝から勝浦港まで送ってもらい、ここでお礼を言って別れました。

勝浦といえば、日本でも有数の遠洋マグロ漁の基地でたくさんの漁船が入港していました。
漁船の周りには船員が何人もいましたが、全員が外国人。フィリピン人との事でした。

もう日本の若者はこういう漁船に乗って何ヶ月も太平洋とかインド洋に出て、マグロを獲るという仕事はやらないのでしょうか。
日本の遠洋漁業はお先真っ暗です。
紀の松島(1)

勝浦の観光桟橋を出て40分ほど勝浦周辺の島巡りをする観光船が出ています。
これに乗って太地のくじら浜公園に向かいます。

島巡りの途中で雨が降ってきました。
天気のいい日に周ったら、結構イケるところではないかと思います。

観光船には全部で10人くらいしか乗っていませんでした。
紀の松島(2)

6ノット(10Km)で観光船はあちこちの島を周っていきますが、結構ゆれます。
観光船は”くじら号”と”いるか号”の2隻があって私達が乗船したのはくじら号でした。

娘は船酔いするらしく、シートに座ったままぐったりとなっていましたが、私は船が揺れると何となく嬉しくなってしまうという性質。

40分ほど雨の中を島巡りをしてくじら浜公園に到着しました。
くじら浜公園

かなり雨が降ってきたので、娘は持ってきたポンチョを着てくじらの博物館まで歩きます。
このポンチョ、何と12年前にフロリダのデスニーワールドに行った時に買ったものです。

太地というところは古式捕鯨発祥の地として知られています。
私は中学生の1年生、2年生と熊野市で過ごしています。
そのとき太地の捕鯨の話は学校の先生からよく聞いており、いつか行ってみたいと思っていました。

いろいろな歴史的な場所も訪れてみようと思ったのですが、この雨ではどうもダメみたいです。
くじらの博物館(1)

古式捕鯨のジオラマです。
捕鯨についてずっとずっと疑問に思っていた事に、どうやってあんな大きな鯨を小さな船しかなかった昔に仕留める事ができたのか、どんな方法でやったのか、という点でした。

答えは簡単、可能な限り鯨に近接して、手でモリを打ち込む、これだけです。

何席もの船がチームワークをとりながら、何時間もかけて1頭の鯨を仕留める、実に男の仕事です。
くじらの博物館(2)

クジラは歯クジラとひげクジラの2種類があって歯クジラの小さいのは、いるかの仲間になるそうです。

クジラの骨は大昔(縄文、弥生時代)からいろいろな用途に使われていた、と説明にありました。
という事はそような時代から捕鯨は行われていたのですね。
くじらの博物館(3)

ここではイルカショーと併せてクジラショーが行われています。
何という種類のクジラなのか名前を聞くのを忘れましたが、イルカショーと同じような芸を仕込んで、それをみんなに見せていました。

雨が降っていたので、私達は建物の中から見学しましたが、なかなか見応えのあるものでした。。
くじらの博物館(4)

くじらの骨、肉、脂は何に利用されてきたか、という絵です。
これは私の世代であれば、小学生の時から図鑑などで何度も何度も見た記憶があるはずです。

クジラは今、その数が増えすぎて、クジラが餌にするバイオマスが何億トンというレベルになって、これは世界中の人間が食べる魚の総量の何倍ものレベルに達している、という記事を雑誌で読んだことがあります。
くじらの博物館(5)

昔の捕鯨の様子です。

大背美流れ(おおせみながれ)という明治11年12月24日に起きた悲劇。
巨鯨を追いかけて丸1晩格闘して捕まえたものの、真冬の荒海に飲まれて100人近くが溺死、凍死した悲しい事件です。

真冬の海ではこんな格好で捕鯨をしていたわけではないでしょうが、昔の捕鯨は本当に命を的にした男の世界であった事がわかります。
くじらの博物館(6)

これらのモリとか剣は明治時代に用いられたもので、いずれも非常に大きくで重そうです。

これを小船の上からクジラ目がけて投げたり、切り込んだりした訳ですが、昔の日本人は今よりずっと小柄だったと思うのですが、スゴイ人達だったのですね。

こうやって見ていると、捕鯨は海の上で行われた狩猟で、実に荒々しいものであった事が理解できます。
くじらの博物館(7)

ミンク鯨用の40mmの捕鯨砲。

ミンク鯨はヒゲ鯨の仲間で体長は7mくらい、それでも体重は7トンもあります。

捕鯨砲から打ち出される銛は鯨の体内に深く入ってそこで弾頭の火薬が爆発して、先が体内で花びらのよう開き、銛が抜けないようになります。
くじらの博物館(8)

アメリカの捕鯨黄金時代、と銘うって説明されていました。

アメリカは長い間、300トン前後の母船にボートを数隻積んで大西洋、太平洋、インド洋と世界中の海で捕鯨をやっていました。
捕鯨船への水・食料・燃料の補給基地を得ることを目的とし、江戸幕府に対して開国を求めたのはあまりにも有名です。

アメリカの捕鯨は油と、骨の一部のみ以外は全部棄てており、1回の捕鯨は数年に渡って続けられたとありました。
くじらの博物館(9)

地球上で最大の動物は像でもキリンでもなく、クジラなのですね。
現在商用捕鯨は禁止されていますが、大型クジラだけでも各種合わせて百五十万頭以上の棲息が確認されている、と説明がされていました。

日本が主張する規模の商用捕鯨は、生息数を減少させるものではない、というのがまともな日本の学者先生の見解だそうです。
(まともじゃない学者さんも一杯います。)
お土産を買いました

かなりの雨も降ってきました。
博物館の見学を終えたところで勝浦に戻ってきて娘はマグロ丼、私は鯨の竜田揚げの昼食を頂きました。
勝浦は駅前から港の間にマグロとかクジラ料理を食べさせる店がたくさんあります。今度はこういう店で夕食をするのもいいかも知れません。

その後土産物屋で少しだけ買い物をしました。
お土産にはもちろん”鯨肉の大和煮”の缶詰も忘れずに買いました。
津駅に着き増した

勝浦を13:37のJRワイドビュー82号に乗って16:25に津駅に到着。
この列車の乗車率は25%もなかったと思います。

昼の時間帯の列車の乗車率は高くないのはわかっているのですが、それにしてもゴールデンウイーク中だというのに客があまりにも少ない。

テレビニュースで報道していたゴールデンウイークの旅行者は、昨年比マイナス30%というのを実感しました。

1泊2日の紀伊半島の旅、親切なタクシーの運転手、それに民宿の女将さん、大変気持ちよく観光をする事ができました。
娘も真満足した様子で、ちょっと勉強するとか言って持ってきた参考書は、行きの電車の中でちょっと拡げただけで後は観光に忙しくそれどころではなかったようです。

電車で目的地に行ってバスとタクシー、それに歩いて回るというのも悪くはありません。
紀伊半島にはまだまだ行ってみたいところがあります。太地は博物館だけで、他をどこも行くことができなかったので、もう一度行く必要がありそうです。

思いつきの旅ではありましたが、結構中身の濃い旅行でした。

inserted by FC2 system