11−01−03 新しい年のはじまり
激動の2010年、世の中もいろいろありましたが、わたしたちにとってもいろいろとありました。
2010年を迎えことしはどんな事があるのか、仕事を続けている私にとってはまだまだゆったりと全ての時間を、自分のためにつかうという訳にはいきません。

暮れからは上の娘夫婦が茨城から来ており、賑やかになっています。おせち料理作りも2人でやるので、随分スムーズに出来上がりました。

急に買い物に行かなくてはならなくなった時でも、娘か娘の婿さんがさっと買い物に行ってくれるので、私が出る必要がありません。
そんな訳で私はうんと楽でした。

元日は暮れの天気予報ではかなり荒れて雪がふるという事でしたが、これが嬉しく外れて晴れ。水平線上の雲もほとんどありません。

快晴というわけには参りませんでしたが、それでも7時01分の日の出を部屋から拝むことができました。遠く知多半島から昇るご来光は見事でした。

そのあとカミさんと娘が精魂込めて作ってくれたおせち料理をみんなで頂きます。
私、カミさん、上の娘、娘の婿さん、下の娘の5人、狭いダイニングルームで小さなダイニングデーブルでしたが、何とか5人で頂くことができました。

このおせち料理をみんなで頂くのは何年ぶりでしょうか。おそらく7〜8年振りだと思います。
オハイオにいる間14年間(1回を除く)、ずっと何らかの形で材料を手に入れ、カミさんはおせちを作ってきました。

お屠蘇は年末に中学校の先輩が持ってきてくれた三重県の地酒の”美杉の美酒、稲の玉”、これはアルコール度が20%という珍しい生酒で少し甘口で芳香も強い日本酒です。
ここまでアルコール度の高い日本酒は今まで飲んだことがありません。

新年の挨拶をして、お屠蘇を頂きます。
カミさんと上の娘の婿さんはアルコール類を飲みませんので、少し口に含んだだけ、下の娘も車で来たので飲みません。

という訳で、私ひとりがチビチビというか、ダラダラとおせち料理をつまみながら飲みました。

おせち料理はいつもの田舎おせち料理、15〜6種類も作ってくれてあります。
少し酔いが回ったところでみんなが一人ずつ、今年の抱負を簡単に述べました。健康の事、仕事の事、家族のこと、それぞれの思いを簡単にみんなの前で口に出して言う、これは家族であっても大事なことだと思います。

今年もこのみんなの一言を録音するのを忘れました。1年後にどうなっているか、また来年の今日、それの反省も含めてやりたいと思います。

おせちを食べ、お屠蘇をたっぷり頂き、みんなが新年の所信を述べる、これが我が家の恒例のお正月なのです。
3日の日は中学校の同級生の集まりがありそれに参加するために津まで出掛けました。
中学校全体の集まりは数年に1回、これ以外に我が3年3組の有志が1年に1〜2回どこかに集まって食事をしたりちょっとした旅行をしたりしているのです。

オハイオにいる間は参加したくても参加できなかったのですが、地元に帰ってきた私、ここでデビューをさせてもらず事にしました。
実は、、、私は昨年の10月に新しいくマンションを購入してそこに住み始めています。住み始めている、というのはそれまでの家も当面の間残しておき、住める状態にしてそちらにも泊まっているのです。
いろいろと事情があって全部居を移す事ができないので、こういう形になっています。

このマンションの管理人が、何と、何と中学校3年生の時の同級生なのです。
入居を初めてしばらく経ってから、「Nくん、Nやろ?」、と声をかけられた時は直ぐには彼の顔を思い出せませんでした。
同級生のY君でした。

そんな訳でY君と2人で津まで、上の娘の主人に送ってもらい、集合場所の三重会館前まで行きました。

いるいる、45年ぶりに会う連中の顔です。
みんな面影を残していますが、オッサンです。女子は?確か女子も参加しているのですが、姿が見えないので訊ねるとすでの食事会をする寿司屋で待っているとのこと。
全員の写真を撮るのを忘れました
部屋に入ると2名の女子の同級生が既に座っていました。OBさんは直ぐに名前がわかったのですが、もう1人が、、、と思っていたら、「N君、私の事覚えている?NMです。」、と苗字を言われた瞬間、「あっ、MDさん!」、と瞬間に名前が口から出てきました。

集まったのは3年3組の9名、みんな昔の面影そのままです。卒業して45年、何の話をしても懐かしい。2人の同級生は私の両親の顔まで知っている程の近くに住んでいた仲間です。

高校も同じだった、KT君は今月一杯で定年になり津に戻ってくると言っていました。

リタイアした者、現役の者、ちょうど半々です。女子のMDさんはボランティアに精を出していると言っていました。
2時間ほどでこの店を出て「市杵島姫神社」に行こうという事になりました。
この神社の宮司は女宮司で彼女も同級生なのです。

正月の神社は一番忙しいときですからこの集まりに参加できなかったので、こちらから行こうという訳でした。
女宮司のKさんも私の事をよ〜く覚えていてくれて、話に花がさきました。

最後にみんなでお参りをして通りに出ると、何と、何と、ジョギングをしている同級生のFKとばったり。

KF君はNTTにいたのですが、その後NTTの再編等でメールアドレスがわからなくなっており、音信不通状態なのでした。彼とも45年ぶり、昔のままの目が顔の中にありました。

名残惜しかったのですが、この日はこれでお別れ、次の会合を2月13日に決めてお開きにしました。
私はバスと電車でY君と一緒に鈴鹿まで帰りました。

この中学校の仲間達、これからずっと付き合いを続けなくてはならない仲間です。みんな飾っても仕方のない、何を言ってもそのまま通じる、何物にも代え難い仲間です。
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