10−12−31 過ぎ行く2010年
2010年もとうとう大晦日を迎えました。私にとって2010年くらいいろいろな出来事、変化があった年は今までの人生の中でなかったのではないかと思います。

まず2月に腰の大手術をやりました。手術後の2週間のあの苦しさは思い出すだけでもゾッとします。手術後3ヶ月は数キロ以上の物が持てず、その後の生活にも大きな影響を与えています。

手術後の経緯はマズマズですが腰をかばうので、どうしても運動量が減って、体重がグングン増えて正真正銘の肥満になってしまいました。
肥満は腰への負担も増え、またいろいろな意味で健康には決してよくないため、来年はこれを正常に戻すために努力をしなくてはありません。

6月には14年のオハイオ生活にピリオドを打ち、日本に帰国しました。帰国にあたっての最大の懸案は自宅の売却でした。ずばりリーマンショック後の最悪の経済状況下での家の売却は、想像以上に大変でした。
結局は帰国の5日前にクロージング(売却の契約締結)をするという、きわどいタイミングで売る事ができました。
帰国後の日本は梅雨の真っ盛り、日本の梅雨とはこんなに過ごしにくいものなのか、本当に参りました。アメリカから送った荷物が2便に分けられて到着しましたが、これとの格闘も大変なものでした。
送った段ボール箱は大小併せて約200個、日本の普通の家に収納するのは容易ではありませんでした。

日本に帰った私達は家具、電気製品などが一切なかったので、これも一から買いそろえなくてはなりませんでした。
14年前にオハイオに行く時に電気製品と家具は親の家に預けましたが、14年経って電気製品は全て使えず、家具もすでに使ってもらったりしていたので、結局何もない状態だったのです。

帰国して6週間後の7月末、私は会社を定年になりました。30年ちょっとの会社員生活でした。
そして定年の翌日、再雇用。最大5年まで延長できる事になっていますが、そこまで仕事を続けるかどうか、まだ決めていません。いろいろな手続きが一杯ありました。

日本の工場勤務は実に24年ぶり、何もかも戸惑うことばかりです。
日本の様子を見て、一つだけ言えるのは定年までの14年間、オハイオで勤務できてよかった、という事です。

日本の元気のなさ、内向き思考、妙な縄張りがあるかと思えばルール決め事が全くいい加減、これは海外(特に北米)で一定期間以上勤務した人の共通の印象であることがわかりました。
(口に出して言うか言わないかは別。)

10月には新居に移りました。
と言っても全部引っ越した訳ではなく、古い家を残したままでそこにはまだオハイオからの荷物も残っており、一応住める状態にしてあるので、行ったり来たりの生活を続ける事になりそうです。

12月になって少し落ち着いたかな、という感じがしないでもありませんが、生活そのものを安定させるためにまだまだやらなくてはならい事が山のようにあります。大変ですが、自分でこつこつとひとつづつ片付けていくしかありません。

昨日から上の娘夫婦が来ており、カミさんと2人でおせち料理を作っていました。そのおせち料理作りも午後3時頃に終わり、夜は年越し蕎麦を食べながら一杯頂きます。

いろいろな事があった1年をあれこれ振り返りながら、段々と気持ちよくなって思考力が低下した中で今年から来年にワープしていくのであります。

我幸也
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